第7話 好き好き好き好き好き
「はああああああああああ!?」
思わず叫んでしまった。
甘露が突然、意味のわからないことを言い出すから、ここが屋外だということも忘れて叫んでしまった。
目の前の美少女は、俺のことを、俺なんかのことを好きとか言ったのか?
立場が違いすぎるだろう。まだカエルにキスする方があり得る話だ。
だが、そんな俺の叫びをものともせず、甘露は俺の動揺を見てとって接近してきた。
「なっ……」
俺も自覚している以上に、相当動揺していたのだろう。いや、感情が最初からクライマックスへ達している今の甘露なら、能力が限界を突破しているのかもしれない。
甘露はノーモーションで跳んできた。踏み込むことなく飛んできた。
俺はその動きに反応できなかった。
ただ、甘露の姿が大きくなるのが見えるだけ。
飛びかかるように、飛びつくように、抱きつくように、甘露は器用に俺の体にひっついてきた。そしてそのまま顔を寄せ、俺の耳元に口を近づけてきた。
「見た目が、やってきたことが、支えてくれたことが、声が、匂いが、優しさが、気配りが、能力が、金が、体臭が、目が、手が、指が、筋肉が、ありとあらゆるヒキさんが好きなんです。私はどのパーツを渡されても、ヒキさん全体と同じように愛せる自信があります」
息も当たるような距離で、なんだかやけに色っぽい声音で、甘露はそんなことを言い切った。
はっきり耳元で言ってのけた。
こんなことしてくるヤツだ。顔を向けたら不意打ちでキスでもしてきそうで、うかつに顔の向きすら変えられない。
だが、見なくてもわかる。きっとうっとりとした表情で、俺のことを見ているに違いない。そんなことが、息遣いだけでわかる。
俺の動揺が甘露にスキを与え、さらなる動揺をさそったというわけか……。
「わかったわかった。甘露が俺のことを好きということは認めよう」
「じゃあ」
「まだ何も言ってないだろ」
今回ばかりはくっついてもいられない。
丁寧にすり抜けるように、すっと抱きつき拘束を外れ、俺は甘露から距離を取った。
「え……」
驚く甘露を尻目に話を続ける。
「別に、人を好きになること自体、否定したいわけじゃない。勝手に好きになればいいだろう。だが、どうして俺なんだ? 俺みたいな見知らぬ男だったんだ? いい相手は他にもわんさかいるだろ?」
「そうですね。います……」
俺の言葉に、甘露は急に暗くなった。
何やら悔しそうな、それでいてさみしそうな、そんな表情で過去を思い返すようにうつむいた。
今度は、さっきの、俺に好きということを迷うような態度じゃない。
それは俺でもわかる。今度こそ言いたくない、口にしたくないという感じだ。
「事情ってやつか」
「別に、隠すようなことでもないんですけどね。私には相手がいます。お見合いで将来の相手を決めることになっているんです」
「ふぅん。今時お見合いねぇ。訳ありお嬢様ってことか」
「お嬢様というほどじゃないと思いますけどね」
甘露が無理やり笑ったように見えた。
ただ、甘露の事情は詳しく知らないが、お嬢様というなら、今までのことも納得できる。とは言わないまでも、理解の助けくらいにはなる。
ここまでの奇行、なかなか実行に踏み切れる人間もいないだろう。
世間知らずとはいかずとも、世間ずれしてないからこそ、実行できたと言われれば、多少……百歩……一万歩くらいゆずって納得はできる。
にしても異常だとは思うが、それでもやはり、理解の助けくらいにはなる。
「だが、だからと言って、それは俺が選択肢に入る程度のことで、俺じゃなきゃいけない理由にはなってないだろ?」
「そんなことありません。ヒキさんじゃなきゃいけないんです」
「俺じゃなきゃ?」
「ヒキさん以外は、私のことを、どんなにピンチでも助けてくれたことはないんです」
「……」
助けたって、憑依での出来事か?
それとも、一年間、俺がたった一人、甘露の配信を応援していたことか?
はたまた、そのどちらもか?
わからない。知らない。把握しようもない。だが、先に変な関係を築こうとしていたのは、俺の方だったということか?
「ヒキさんは他の人たちと違って、私のことを馬鹿にするようなことはありませんでした。小馬鹿にしても馬鹿にはしませんでした」
「その方が面白いと思ったら、小馬鹿にするようなコメントをした時もあったな」
「そうですよ! 私としては、ヒキさんじゃなかったら、立ち直れないくらいショックですからね?」
「悪い」
「いえ、ヒキさんだから、それも嬉しかったんです」
「……」
なんだろう。甘露のテンションが戻ってきている。
いや、なんというか、甘露の目に、精気というか、獲物を狙うような真剣味が増してきてしまっている。
「それにヒキさんは、一度として、私のやっていることを、不可能だとは言いませんでした。無理だなんて、知ったような言い方をしませんでした」
「それも、つまらなくなるだけだろ?」
「案外、否定しかしてこないものなんですよ? 都合が悪い人たちは」
「ふぅん?」
よくわからないが、それがこれまでのお見合い相手ってことになるのか?
「だからって、見ず知らずの、文字でしかやり取りしたことない相手に、急に抱きつくほど気を許すか?」
「見ず知らずじゃありませんよ」
「そうか?」
「ええ。ヒキさんは、私に憑依してくださいました。あの時、私たちは一つになったんです。それなのに今さら他人のように接することなんて、私にはできません」
「変な言い方するなよ」
「でも事実です」
「……」
事実だけど……。
俺は甘露の中に入って、甘露の中に入ったまま、好き勝手動いていたわけだ。
まあ、一つにはなってたな。魂と肉体が。
「それで、ヒキさんと一つになっていたその時に感じたんです。この人しかいないって、一生添い遂げるならこの人がいいって」
「飛躍しすぎだ。確かに助けたかもしれないが、憑依されたから一生をってならないだろ」
「なったから、ここにいるんですよ? ここまで言ってもまだ伝わりませんかね?」
「……」
たしかに、そうなのかもしれない。
状況が状況だったから、命を助けられたら、そりゃ多少、俺なんかでも、魅力的に見えるのかもしれない。が、だからって、自分の権利を侵害するような、憑依なんてされてそう思えるか?
とか俺が疑っても仕方ないらしい。
先ほどまで、お見合い相手のことを話す時はすっかりげんなりしていた甘露が、今は完全に俺に抱きついてきた時の、つやつやした、かがやく瞳に戻っている。
「そう、言われてもな」
「なんですか? 逃げるんですか? 女の子にここまで言わせておいて、嫌だって言って逃げるんですか?」
「それはずるくないか? いや、聞いたのは俺か。でも、そこまで言われてもなぁ。ヒキニートに、そんな一生をどうこうできるような甲斐性があると思うか?」
別にイエスというつもりは微塵もないが、そんな諦めを促すような質問しかできない自分が、そもそも甲斐性のなさを表していると思う。
しかし、甘露はというと、そんな俺の疑問にも、ひるむことはなかった。
「私は、ヒキさんには甲斐性があると思います。なければ私を助けたりしません。それに、なくてもいいんです」
「なくていいって。じゃあ、どうするんだよ」
「だらしなくてもいいんです。私はどんなヒキさんも好きと言いましたよね? だから、憑依して、私の体、スキにしていいですよ?」
そんな、スキだらけの体勢で、甘露は腕を広げ、俺を受け入れるような姿勢をとった。
今まで言われたこともないセリフに、平静を装っていた俺の心臓が、バクバクと早鐘を打ち出した。
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