4.熱望想
ここは天国でしょうか? いいえ、現実です。
真っ白な部屋の、真っ白なベッドの上で、真っ白な服を着る黒髪の少女。窓から見上げる空は真っ青で健康的ですが、その部屋の中は何処か暗く寂しい雰囲気で包まれています。
彼女、茂上ネネは心臓に重い病気を持っています。
そのせいで、彼女は「あっちの世界」に行けません。あっちの世界に行くと、身体的負担が強いのです。少しの刺激で、彼女の症状が急変する恐れがあります。
彼女がぼーっと外を見つめていると、部屋に備え付けられた機械からレーザー光線が出て彼女を照らします。
定期診察です。たったこれだけで、彼女の身体的な情報が即座にデータ化されて「あっちの世界」の先生の元に送られます。
この世界では手術すら機械が行います。あっちの世界の先生が支持を出しながら、冷たいロボットが人間を解剖して人間を救います。
だから、彼女はずっと一人ぼっちです。生まれてこの方ずっと、一人ぼっちなのです。
仮想世界技術が大きく発展した現代。人々は一日の半分を仮想世界で過ごします。もう半分は、運動と睡眠の時間です。人々は仮想の世界の中で、仕事して、遊んで、交流しています。
そんな世界で、ネネは一人ぼっち取り残されています。これが生きていると言えるのでしょうか?
でも、そんな生活ももう終わりです。
彼女の寿命がわずかとなっていました。
この世界はすべてがデータ主義です。数字の上で世界が成り立ち、奇跡なんて言葉はまやかしでしかありません。だから、データの中で「もうすぐ死ぬ」とでたら、もうすぐ死ぬのです。
仮想世界の中でずっとネネを見ていた先生はさすがに、彼女に対してやるせない思いを抱いていました。そこで、先生はネネに一つプレゼントを贈ったのでした。
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ネネが起きると、そこは外の世界でした。セミの鳴き声が聞こえて、数メートル先で陽炎揺れる真夏の田舎町。
「……?」
ネネは不安な気持ちでいっぱいになりました。今までずっと白い部屋の中にいたのに急にこんな世界に来てしまった。
彼女はゆっくりと歩きだします。運動時間では心臓に負担をかけないために、常に機械に監視され一定のリズムから外れたり、過度に体を動かすと注意されます。しかし、ここでは機械がいません。彼女が走っても注意をしません。
しかも、どこまでも走れます。走っても走っても疲れないのです。ネネは楽しくて仕方がありませんでした。
「ハッ、ハッ」
荒い息を吐きますが次第に、そんなに呼吸を荒くしなくても大丈夫なことに気づきます。
すべてが新しい世界でした。見たこともない建物、生き物、世界。彼女はそのすべてに触れて、持ち上げたります。
でも、全部が全部発泡スチロールを持ち上げたように軽々なんの抵抗もなく手にくっついて持ち上がり、手放そうとすると離れていきます。
もちろん、見るものすべてが新しい彼女はそんなことに違和感を覚えずそういうものだと納得します。
ネネは一見の古民家の中に入ります。玄関なんて知らないため、庭先の廊下から中に入り込みました。やっぱりそこにも初めて見るモノばかりでしたが、全部が全部持とうと思えば、手にくっつき放そうと思えば離れる。
なんだか、面白みに欠ける。
見るものすべてが新しいのに触れるものすべてが同じなのです。ネネは首を傾げて、家の外に出ました。
山手を見上げると、赤い鳥居が見えます。緑の中に映える綺麗な朱色にネネは惹かれます。彼女は神社を目指して歩き始めました。
どこに言ってもセミの鳴き声は止みません。
駄菓子屋の前で風鈴の音が響きます。
カーブミラーに写る自分に立ち止まり少し見つめます。流石に、自分の姿程度はネネでも理解しています。しかし、そこに写っている自分は茂上ネネではない女の子でした。
「……?」
首を曲げてネネは目的通り神社を目指しました。長い階段をいくら登ろうと、全く疲れません。
セミの声がより一層強くなっていく中で彼女は目的地にたどり着きます。綺麗な赤の鳥居の下に来たものの特に何も感じませんでした。
境内に入って興味深そうに見回しますが、やっぱり景色は違ってもどれも同じように思います。
そうして、また戻ろうと階段の方に戻ると。そこから街の全貌が見渡せるようになっていました。ネネはその景色がひどく気に入って座り込んでジーっと町の景色を見つめるのでした。
「ねぇ、君……」
「――!?」
急に後ろから声が聞こえてきてネネは振り返りました。そこには、カーブミラーに写っていた自分と同じような女の子がいました。
「あぁ、驚かせてしまったかな? ごめんね、でも。珍しくてさ、このワールドに人がインしているの」
女の子なのに、声は男の子でした。
それに、ネネはまともな教育を受けていません。学校も仮想世界の中にあるからです。負担の少ない仮想学校もあるのですが、ネネはそれすらも受けられないのです。最低限の文字の読み書きはできるようになっていますが、話すことはできない。
そもそも、人と話す機会なんて無いのです。機械たちの発している言葉も、何となくしか理解していない。
「でも、どうやって入ってきたんだい? 普通の人たちのアカウントではバージョン対応していないから、公的なアカウントでは入ってこれないのに」
何を言っているのかわからないので、ネネはその人をじっと見つめます。すると、その人の頭の上に何か書いてあるのに気づきました。
『KUJOU』
彼の名前は九条アキト。漢字だったら、ネネは読めませんでしたが、ローマ字だったため、ネネはそれが彼の名前だと理解でしました。
「……話したくはないみたいだね。まぁ、違法アカウントであっても、こんな所じゃ悪さもできないだろうしねぇ。えっと、ネネさんか。マイクはオンにできます? 良ければ色々お話ししたいなぁ」
そうアキトが言ってもネネわかりません。その様子をみて、アキトは何かに気づいたように頷きました。
「そもそも、今の人は設定の方法なんて知らないか。これだと、オーディオの方もオンにしてないんじゃないか? 聞こえてますー? 聞こえてないみたいですねー?」
アキトは勘違いをしている。ネネの設定は完璧であり、ネネは喋ることもできるし、声も聞こえている。
しかし、その勘違いが功を成す。
『こんにちわー』
アキトは、マイクではなくチャット機能を使ってネネとの対話を図った。アキトのアバターから吹き出しがでてきてそこに文字が並んでいる。
ネネはそれを読んで笑顔になった。そして、右手を大きく振って見せた。
「あー、伝わった伝わった。やっぱ、聞こえてなかったんだなぁ」
『とりあえず、フレンド申請送りますね! 記念です』
そう言ってアキトがフレンドを送ると、ネネの耳にピコンッと軽快な音が鳴り、目の前に『KUJOUからフレンド申請が送られました』の文字が出ます。
よくわからないままネネは『受け取る』を選択します。
そして、アキトの元にネネの情報がわたりました。
アキトは、ネネのプロフィールを確認して驚きました。
「……なるほど。そういうことかぁ」
そこには、先生があらかじめ設定しておいたネネについての情報が入っていました。彼女が重い病気を持っていてもうすぐ寿命が尽きること、教育を受けていないこと。
そして、彼女のいのちが尽きる前に、外の世界を見せたかったこと。
ここのワールドは、まだ仮想世界技術が進歩し始めた頃に小さなチームが実験として作った場所でした。そのため、彼女への負担はほぼ無い。
小さな田舎町を再現した狭いワールドだけれど、細部まで作りこまれていて、一時期サーバーが落ちるほど人が集まっていたこともあった。
しかし、そこから仮想世界技術は躍動する。もはや、人の意識そのものを仮想世界に送れるようになり、国がそのアカウントを管理するようになった。
そうなると、ワールドの方も多くの人の意識に耐えれるレベルのものが必要となる。
仮想世界を作っていた企業達は徐々に一つになっていき、最終的に『無限世界』と呼ばれる全人類が二十四時間活動しても動作し続けるワールドを生成し、それ以外のワールドは価値を無くしてしまった。
しかし、そのワールドにも少しだけ価値できていた。それは、意識とのリンクが無限世界と比べて弱いため、障害をもったネネのような者でも入ることができるのだ。
ネネの担当医は、国に申請を出すことでこれらのワールドにインするための旧式アカウントを発行してもらう権利を持っている。医療のために使うという名目で。
そうして、彼はアカウントを用意し設定を行い、ネネをこの旧式の仮想世界に送りこんだのだった。
彼女の短い寿命が尽きるまで、せめて暗く冷たい病室の中で寂しく死ぬことがないように。
現実世界のネネは既に死ぬ準備に入っていた。機械たちによって多くの管に繋がれて延命を行っているが限界の状態。しかし、その口は少し笑っていた。
『ネネ、ここはジンジャで、お願いごとをする場所だよ』
『おねがいごと?』
『そう、こうやるんだ』
アキトの二拝二拍手一拝の動きに合わせてネネも手を合わせる。でも、ネネは何を願えばいいのか分からなかった。
『じゃあ、ついてきて。いろいろ紹介してあげるよ』
『うん』
アキトに教えてもらったチャットの仕方もだいぶ板についている。彼女はずっと水の入っていない乾いたスポンジの状態だった。本来なら、ドンドン知識を蓄えていける時期。しかし、彼女は今日死んでしまう。そのことすらネネは知らない。
アキトに連れられて簡素な食堂に入る。長いテーブルに、背の低い丸椅子が等間隔で並べられている。店前には猫がいて、でも実際の猫の触感などは再現されていない。
それでも、ネネは『かわいい』と興奮して、猫を抱き上げた。やっぱり重さは無い。腕にすいつくように張り付いて手放せば元の位置に戻る。
その動きが面白くてネネは何度も猫を持ち上げては話してを繰り返して笑った。
そんな彼女の様子をアキトは瞳を薄くして見つめていた。
次に駄菓子屋に向かう。
『ここにはちょっと面白いものがあるよ』
そう言って、アキトは店前にある機械の前に座った。レバーを回すと機械の中からカプセルが出てきた。
『わたしもやる!』
ネネが回すと、アキトとは違う光ったカプセルが出てきた。
『大当たりだよ。開けてみて』
アキトがカプセルをひねって開けるのをみて、ネネも開ける。すると、『パンパカパーン』と音が鳴って、カプセルの中には絶対入りきれないくらい大きな麦わら帽子を握っていた。
『おめでとう』
アキトは、その麦わら帽子を取ると、そっとネネにかぶせてあげた。そうして、カーブミラーまで連れて行って彼女の姿を見せる。
ネネは喜んだ。アキトの周りを走り回り、目の前をジャンプする。
アキトは泣きそうになっていた。
こんなお遊びにもならない技術でこんなにも喜んでしまう少女がこの世界にいる。発展した世界から見捨てられて誰にも知られず、孤独に生きてきた。
この子に、『無限世界』を見せてあげたい。こんなお粗末な世界じゃなく、完成されたあの世界を。あの世界だったら、仮想の食事でも味を感じることができる。スポーツもできるし、ゲームだってある。一日の中で千人と出会えるといわれている世界だ。
自由な生活ができない彼女のような子こそ、あの世界で生きていけるべきなんじゃないか。
『もどってきたね』
『うん、見せたいものがあるんだ』
この小さいワールドの中で見せれるもはあらかた見せた。最後にアキトはもう一度ネネを神社に連れてきた。ネネが見とれていた階段の上、街を見下ろせる特等席。
アキトが何かを操作する。すると、急に夜になった。
ネネは驚いたようにアキトを見た。
『まだだよ』
ぽつり、ぽつりと暗闇の中で優しい光が生まれていく。
祭囃子が聞こえてくる。境内に提灯が並ぶ。階段の下の方に屋台の店がずらりと並ぶ。
「本当は、現実の時間で夜にならないとこの世界も夜にならない。祭りが起こるのも、毎週土曜日限定。今日じゃない。でも、今日は特別だよ」
チャットではなくマイク越しでそういったアキト。ネネは言葉が分からなかったが、頷いた。
『ほら、ネネ。見てごらん』
アキトが指をさしたその先、ヒュ~と鳴る音。
仮想世界に大輪の花が咲き誇る。
「~~~ッ」
ネネが声にならない声を上げた。
飛び跳ねながら喜びを表現して、花火を背にアキトに満面の笑みを見せた。
『もっと、もっと見たい! いろいろ見たい! あしたも、あさっても!』
純粋無垢なその言葉に、アキトは思わず縋るように彼女を抱きしめた。
「約束する。あぁ、約束するよ。明日は無理かもだけど、いつか君にもっと綺麗なものをたくさん見せてあげるから! 僕が、僕が君を救うから」
思わずそう叫んでいた。
九条アキトはこのワールドの管理人だ。このワールドの制作者であり、責任者。しかし、技術の進歩に追いつけなかった。このワールドの制作に多大な借金をしていた。
それでも、せっかく作ったこの場所を捨てれないままでいた。なんも価値がないのは分かっていたが、この場所を否定したら自分の人生を捨てるようなものだと思っていた。
しかし、ついに。このワールドは本日をもって終了する。このワールドのサーバーを管理していた会社が潰れたのだ。今日で、このワールドは終わりを迎える。
そして、アキトは終わった後に自殺しようと考えていた。
だが記念でワールドに入ると、彼女がいた。
鶴の恩返しのように、このワールドが人になってお礼を言いに来たような気がしていた。
「ありがとう」
チャットではなく言葉でそう帰ってきてアキトは、ネネの顔を見た。でも、ネネはきょとんとしている。
(――今の声は?)
そうして、見つめあっているとネネはニコッと笑った。そして、そのまま固まってしまった。
「おい、どうた? おいネネ! おい!」
彼女の前に、エラーの表記が浮かび上がった。
「おい、まさか……」
そして、ネネはワールドからログアウトしていく。
「あっ、ああ」
そして、すぐにアキトも強制的にログアウトさせられた。サーバー終了に伴い、安全面のために追い出されたのだ。
「ネネは……ネネはどうなんだ? あの子も、強制的に退場させられたんだよな。僕よりちょっと早かっただけで」
部屋の中で一人、九条アキトは呆然としていた。部屋の壁の方に目をやると、あのワールドのモチーフとなった田舎町の資料が壁に貼られている。
その中でも目立つ赤々とした鳥居の神社。
アキトはあの時、神社でこうお祈りした。
『この子も僕も、安らかに死ねますように』
拳を強く握る。内側から何かが燃え始めている。
「死なねぇよ。僕もあの子も」
_______________________________
彼女があの日、田舎のワールドから強制的なログアウトが起こった理由。
それは、アキトと出会ったことで精神的な乱れが発生しており、花火を見た時の興奮状態とアキトの叫ぶような声によって大きく数値がブレた。それによって危険状態とされて安全装置が強制的に発動していたのだ。
しかし、それは危険状態とは真逆だった。
ゆっくりと弱っていた彼女の心臓の動きが再び息を吹き返したのだった。
その後、症状はだいぶ落ち着いていき。体が成長するごとに重症化することもなくなった。無限世界には入れないが、田舎ワールドのような学校のワールドでシステム化された教育を同じような子達と受ける生活をしている。
なぜあの時、自分は生きることができたのか。奇跡が起きたのか。彼女は何となく言葉にできるようになっていた。
――生きたいと本気で思えたんだ。
お参りした時も願いなんてよくわからなかった。でもあの瞬間、ネネは本気で願うことができた。
担当医は彼女の回復について調べた。流石に、提出する書類に「奇跡が起きた」なんて書けない。そして、彼はある仮説に行き着いた。
あのワールドの劣化、またはサーバー終了に伴う処理の中で安全面のシステムに異常が出たため暴走が起こった。それにより、彼女の意識に強い刺激を与えることとなった。その刺激反応が彼女を救った。
彼女の精神に何かしらの異常があったことは数値的に事実であったため、この仮説が通る結果となった。
そんなことがあってから三年後の今日。ついに、茂上ネネは『無限世界』に向かうことができるようになった。
それは、彼女の成長による症状の安定化もあるが、技術の進歩でもあった。
無限世界を安全性面での強化。現実の肉体・精神への負担を最小限にまで減らすことのできるシステムの開発。
一人の技術者『九条アキト』はその力量を買われて、無限世界の管理会社に就職し、この偉業を早くも達成させたのだった。
遠く離れた二人。だが、無限世界行の装置を付ける瞬間まで互いのことを想っていた。あの熱い田舎町での一日を忘れた日は無かった。
あの日の約束を果たす。
熱望するその想いは、やがてもう一度奇跡を呼ぶ。
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