3.逃避行

 あの日逃げ出した君の足跡あしあとを、無意識に探している私がいる。


 ブラウンカラーのコートを羽織はおって、マフラーに手袋と完璧な防寒ぼうかん状態の私は、アパートから出て広がった雪景色と、その雪道を踏み荒らした足跡に見とれていた。


 そして、その中には不思議な足跡もあった。


 現実じゃない神秘的にキラキラと輝く様々な足跡、中には裸足はだしのものもある。それらがあらゆる方向に歩みを進めている。


 私はそれらの光る足跡を無視して真っすぐ進み始めた。


 ホワイトクリスマス。今年は、この日を祝福しゅくふくするかのように大雪が吹いて街を白くめた。もうじき夜が来る。そうしたらまた雪が程よく街をかざるらしい。


 大学のサークルの仲間たちがそのことをはやし立てるようにメッセージを送ってきた。「こんな特別な日だぜ、ちゃんとゴムは買っていけよ」。その言葉のせいだろうか。今日はやけに足跡が多い。


 それが意味するのは、今私がとてつもなく『逃げ出したい』という感情に囚われているということだった。


 この足跡は、私だけが見える『逃げ切った人たち』の足跡なのだから。そして、いつも私はこの足跡から探してしまうのだ。センター試験の会場に行く電車。降りるべき駅に降りず行方をくらませた、峡谷きょうこくカスミ。幼馴染である、彼女の足跡を。

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 峡谷カスミを一言で表す丁度いい言葉がある。『優等生』だ。丸く可愛らしいショートの髪に触角のようについた長い両サイドのおさげ。背が低く、りんとした姿はどこか人形めいていた。


 まるで、当然のように成績もよく。クラスの中では、彼女に関わってはいけない。彼女の邪魔をしてはいけない。触れてはいけない。そう言った雰囲気が出来上がっていたほどだ。


 多くに応える故に、多くに守られている。それがカスミという女の子だ。


 決して逃げ出すような奴じゃなかった。


 私は彼女と多くの時間を共にした。高校時代は彼女が塾通いで私は部活があり、段々と距離が離れていたが、お互いに調子があった時は二人で下校し、現状報告を行っていた。


 カスミに不安は見られなかった。彼女はいつも私を心配していた。彼女がいい意味で守られているように、私は悪い意味で守られているのだ。逃げたいと思ったときに、足跡が見える不思議な能力に。


 そうして、高校時代は逃げに逃げて、友人の一人もできなかった。友達になるのには『第一歩』が必要なのだ。


 逃げで入った部活にも居場所はない。そこから逃げ出すための足跡はあったけど、さすがにその先は行ってはいけない気がした。危険な逃げの足跡もあるからだ。


 カスミにはその能力については話してはいなかった。そして、彼女に対しては逃げないと私は決めていた。逃げることなど知らない無垢むくな時代に仲良くなったのだ。彼女に対しては能力なんて関係ない素の自分でいたかった。


 そんな彼女は急にいなくなった。センター試験の当日に。その前の日、彼女は『今日はゆっくりと寝なさい』と言われており、一日休みで会うことができた。


 その時も、なんも気になることを言っていなかった。遠くを見る感じがあった。でも、それはいつもの彼女だった。


 なのに彼女は消えた。手掛かりはあった。警察の捜査によって、彼女が下りた駅が分かった。当初降りる駅よりかなり離れた無人駅。雪が積もりに積もったド田舎で、彼女は行方を眩ませた。


 私の方に警察がやってきた。


 その時に見せられた一枚の写真。


「分からないと思うけど、これ峡谷カスミさんの足跡だと思う?」


 雪道についた足跡。制服姿の女の子を見たという目撃情報があった場所についていたらしい。木の下で、ここだけしか足跡は残っていなかった。その先は雪で隠された。


「そうです。カスミの靴」


 その即答に、警察の人は苦笑いしていた。でも、私にとって足跡は大切なものだ。知らず知らずにどこかで彼女の足跡を見ていた。


 彼女は逃げ出した。何から逃げ出したのかは分からない。でも、逃げ出したんだ。


 それはつまり、いつか見えるかもしれないことでもあった。いつか彼女の足跡が見えるかもしれない。その足跡の先にカスミはいるのではいだろうか。


 そう思って、今でも足跡はしっかり確認してしまう。君の足跡が私を呼んでくれているんじゃないかと思って。

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 そうしてもう三年が経とうとしている。こうして、雪についた足跡を見るたびに、胸がめ付けられる。


 だが、今の私には。昔では考えられないくらい、良い環境が出来上がっていた。逃げ道が見えるということは、挑むべき道もわかるのだ。


 そうして、私はだんだんと昔とは逆の道を歩み始めた。逃げ道からの逃げ道。わざと、苦しく険しい道に進んでいく。そうすることで、得られるものがあることを知ってしまった。


 しかし、進んでいく中で私にはいくつもの落とし穴が待ち受けていた。逃げられない場面に何度も出会った。逃げることはできるが、多くを失ってしまう場面にも。


 そうした中で、私はドンドンと生き苦しくなっていった。気づけば、好きでもない女性と付き合って、何度かデートにも行った。手を繋いで笑いあったし、キスもした。ある意味、その行為も逃げだったのかもしれない。足跡は見えなかったが。


 受け入れても良かった。でも、心の中でカスミがいるから、そのせいで私は苦しくなってしまうのだ。道を進むためには、捨てないといけないものが多い。特に逃げ道には。


 カスミという怨念おんねんから逃げることができれば、少しは気楽になるかもしれない。でも、私は彼女からは逃げないと決めている。それこそが怨念の正体なのだろうが。


 駅についても。足跡は依然そこら中に歩みを進めていた。今日私は好きでもない人と一夜を過ごし、童貞チェリーを捨てるのだろう。最悪の場合、取り返しのつかないことが起こる可能性もある。


 いや、もしかしたら。この先に進めば、もう戻れないのかもしれない。故に、こんなにも足跡は広がっている。


 ホームに入ると、人が混雑していた。この雪のせいで電車が遅延ちえんしているようだった。運行自体は進んでいて、混雑はそこまで大きくは無いようだった。しかし、こんな特別な日だ。ホームの中の、雰囲気は重苦しい。


 そんな中で、またしても、逃げたいと思う私。そして、増える足跡。流石に、線路に飛び出そうとしている足跡にはため息が出た。


「そこまで、追い詰められてはないんだけどなぁ」


 そうして、空を見上げると。ハラハラと雪が降り始めていた。


 このまま降りが強くなったら電車が止まってしまうかもしれない。


 彼女にメッセージを送ると、既に余裕をもって現地についているとのことだった。まぁ、彼女の場合、現地が家に近いからバスや最悪タクシーの選択肢もある。それでも、前もってちゃんと現地にいることの、なんと健気けなげな事か。


 目の前に広がる足跡たち。


 深く、深くため息を吐いて。その白い息がゆっくりと消えていく。


 本当に私は行きたくなかったんだと、その瞬間に痛感つうかんしてしまった。こんなに、可愛い彼女を手に入れたのに、特別な夜を過ごせるというのに。


 逃げ出したい。


 しかし、無情にも電車がやってきた。三十分前に来るはずだった電車が遅れて丁度いいタイミングでやってきた。


 これに乗らなかったら、もう間に合わないだろう。最悪、電車が止まれば今日は解散になる可能性も高い。


 それゆえに、すし詰め状態の車両内に向かう足跡はほぼ無かった。でも、ひとつだけ。ひとつだけ真っすぐつき歩いていく足跡があった。


 私は、その足跡をたどりながら電車内に入り込んだ。


 身動きが取れない状態の中、ポケットの携帯が何度も震えた。彼女が何かメッセージを送ってくれているのかもしれない。サークルの奴らが、また茶化してきているのかもしれない。


 車内に入ってから足跡を見ることができない。さっき見た足跡は幻覚だったのだろうか。この複雑な私の心境しんきょうが、雪降る奇跡の日がそう言った幻想を見せたのだろうか。


 駅に着くたびに多くの人が入ってくる。皆行く場所は同じだろう、あの駅周辺のイルミネーションはデートスポットだ。


 彼女の顔が浮かんでくる。サークルに入ってきた一個下の後輩。人数が多いサークルで、後輩一人に対して二、三人の部員で対応する流れなのだが、その年は新入部員が多くて私は彼女の専属担当になった。


 そのせいか、新入生歓迎会の飲み会でも、彼女は私の傍に陣取り離れようとはしなかった。


「先輩の横が安全な気がして」


 遊びをそこまで知らない子で、どうやら飲み会ですきを見せると、すぐさまアルコール度数の高い飲み物を飲まされ、『お持ち帰り』されると思っていたようだった。


 しかし、そんなことをしなくとも彼女は酒に弱かった。すぐにヘロヘロになって、それでも断れない性格のようでその状態で二次会に行こうとしていた。


 私もその時ばかりは帰りたかった。そして、彼女の足元から駅の方に続く足跡を見て、それに従った。彼女をさそうふりをして、説得し帰らせた。


 その行為のせいで、サークルの仲間たちは私が彼女に気があると思い込んで、彼女もまたそれを受け入れた。そして、ドンドンと逃げ場を埋められ、そして自ら墓穴ぼけつに入っていき。ここまで来てしまったわけだ。


 彼女は健気だ。小動物的な愛嬌あいきょうがあり、ハッキリ言ってそんな彼女にれられて付き合っていること自体は悪くはない。


 それでも、何回デートに行っても。何回話をしても。私は彼女に対して、ささげ受け入れる好意を持てなかった。何処か、壁を作ってしまう。毎回彼女と良い雰囲気になりかけたら足跡を探してしまう。


 しかし、それでも日が立てばまた外堀そとぼりは埋められ。見えきった墓穴が入れと言わんばかりに私の前に現れる。


 矛盾むじゅんなのは分かっている。私は彼女の泣き顔を見たくない。悲しんでほしくない。でも、これ以上先には行きたくない。


 電車の扉が目の前で閉まった。


 車両の中の人はごっそりと減って、もはや椅子いすに座れるくらいだった。

揺れる電車の中。私はポツリと椅子に座って放心していた。


 そして、その隣。私の靴の隣には足跡がある。まるで、私の隣に誰かが座っているみたいに。


 携帯を見ると、彼女からのメッセージがたくさん来ていた。待っている暇な間に、いろんな景色を撮って送ってきていた。まるで、離れていてもデートは始まっているみたいに。


 既読きどくが付いた。


 でも、私は返信を送らなかった。


 そして、静かに彼女との全てを消した。


 逃げるとはこういうことだ。もう、何も気にしなくていい。すべてを捨てていい、消していい。でも、何も残らないわけではない。私の心に、浅い後悔と。誰かの心に深い傷をつける。


 私はそれを知っていたのに。


 カスミが、行方不明になった後カスミの家は崩壊した。母親が何にも手が付けれなくなり。仕事を辞めた。妹はもともと優秀な姉と比較されて非行に走りかけていた。「お姉ちゃんに迷惑かけないで」というくさりから解放された彼女は、荒れに荒れて今は彼氏と一緒に暮らしていて帰ってこないと聞いた。


 そして、父親はそのストレスか。はたまた。事件より前からか。仕事先の女性と不倫関係にあったことが発覚した。大事にはせず離婚はしてないようだが、今もその女性との交流を続けているんじゃないかと近所では噂されている。


 そんな話を私は親から全部聞いた。そして、疲れたような声で母親は言うのだ。


「あんたは、いなくならないでね」


 この、足跡を選んでから新たに足跡が出てこない。それは、この足跡をたどることに対して『逃げたい』という感情が湧かないからだろう。


 私はすべてを捨てる覚悟が出来ている。


――例えこの足跡の先が極寒ごっかんの海に繋がっていようと、私は足を止めるつもりはないのだ。


 この足跡は、峡谷カスミのものなのだから。

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 足跡にしたがい、途中で電車を乗り換えて、それからまた一時間と少し電車の中で揺れた。


 降りたその駅は決して大きくはないが無人ではない、しっかりとした所だった。改札を通ると、誘うように足跡は数歩先を進んでいく。


 今までにない足跡だった。いつもはナビのように目的地まで迷いなく足跡が続いていた。カスミの足跡はまる私についてこいと言わんばかりに先導している。


 バス停でとまり、丁度止まったバスに乗り込む。


 既に日が落ちて本格的に雪が降り始めていた。乗り換えた電車が止まらなくてよかった。


 どこか魅力みりょくに欠けるイルミネーションに囲われた駅を出て、市内を進んでいく。大通りに出てさらに進むと、住宅街に入る。バスはさらに進んで、やがて家々の感覚が離れていく。


 そして、真っ白な道の中。ポツリと看板が立ってる何もないバス停で降りた。


 なおも足跡は進んでいく。


 そして、最終的に一つの古民家に辿り着いた。


「……小野寺おのでら


 表札にはそう書いてある。峡谷ではない。つまり。


 いや。まだわからない。もしかしたら違う人の足跡を追ってきていたのかもしれない。


 でも、それは絶対に違う気がした。


 私は、雪をザクザクとらして、玄関前まで行くとチャイムを鳴らした。


「はーい?」


 女性の声が聞こえた。彼女の声かどうかは分からなかった。そういわれればそうかもといった、曖昧あいまいな感じ。


 しかし、扉を開けて顔をのぞかせた人物を見た瞬間。私は思わず彼女を抱きしめていた。峡谷カスミを。


 いや。


「ママ~?」


 小さな男の子が彼女の後ろからヨチヨチと歩いてくる。


 私は小野寺カスミを強く抱きしめた。

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 カスミは私を家にまねき入れた。クリスマスだというのに、夫は帰ってこないという。


「去年は一緒にクリスマスパーティーしたけど今年は無理だったみたい」


 そうカスミは何でもないように言って、息子のハルト君をでた。


「どういうことか、全部説明できるか?」


 そう聞くと、彼女は静かに頷いた。


 しかし、その話はなぜ彼女が逃げ出したのか。あの日、カスミはどこに向かったのかという部分は飛ばされたところから始まった。


「私は、記憶消失になったの」


 気が付けば病院の中で、何もわからない。制服から身元は特定されて両親たちが集まってきたが何もわからない。


「両親に合っていたのか?」


「うん、でも。その日。私は病院から逃げ出したの。衰弱していたからすぐに捕まったんだけど。これ以上混乱させれないって感じで面会はできなくなった」


 今考えれば、彼女がずっと行方不明のままだということのおかしさに気づける。彼女は制服のまま行方をくらましたし、バックの中には学生所とか身分が分かる物がある。


 たとえ、どこかで死を選んでいたとしても、そういったものが見つかっていたはずだ。


 そういう情報が来なかったのは、早い段階で捜査の意味がなくなって家族の間で事が完結していたからなのだろう。


 そして、カスミの家庭が荒れ果てたのも、そういった彼女の記憶消失が原因だったのだ。


「そこで、私はコウイチさんに出会った」


 夫のコウイチさんもそこで入院していた患者であり、年が近いこともあってよく話し相手になってもらっていたという。先に退院したコウイチさんは、その後、何度もカスミの様子を見に来た。


 だんだんと、その存在をカスミのご両親にも認知してもらい、コウイチさんはそのはしになろうとしていたが、その時既にカスミの家は崩壊していて娘に顔向けできない状況であった。


 故にカスミの母はコウイチさんに泣きついたという。


「ウチの子をどうかお願いします。もうこの際、私達の事なんて忘れたままでいいです。だから、あの子だけは幸せにしてあげてください」


 実の母が言ったであろうその言葉を、何の抑揚よくようもなくさらりとカスミは言いなぞった。「そう、言ったんだって」と、どこか他人事のようだった。


 しかし、カスミは結婚してすぐに記憶を取り戻したという。


「思い出したことは、病院の先生とコウイチさんにしか言ってないの。両親に言っても、もうどうしようもないし。向こうが私に顔向けできないように、私も顔向けできないことをしちゃったから」


 そう言い終えて彼女は一息吐き出す。


「だから。もう、このままでいいんだと。このまま、なんだろうなって思っていた。ハルトも生まれたしね」


「アー?」


「……ちょっと待っててね。この子を寝かしつけてくるから」


 そう言って、カスミはハルト君を抱き上げて、部屋を出て行った。


 丁度そのタイミングで、携帯に着信が鳴り響いた。見ても、知らない番号だったが、出た瞬間に誰だかわかった。


『先輩ッ! 先輩ッ!』


 あの子の声だった。この冷たい雪の降る聖夜に一人、来ない待ち人にがれる。彼女の声だった。


 その、涙が混じったような必死な叫び声。それは決して私をめるものではなかった。まるで、死にに行く私を必死で止めるような叫び声だった。


大葉おおば部長から電話番号聞いたんです。緊急事態っていったら部員名簿見て教えてくれました。ごめんなさい。ごめんなさい』


 そういうことかと思いながら、彼女が何に謝っているのかイマイチ分からない。


 このまま切ることもできただろう。でも、この声は聴くべきだった。それだけのことをした。逃げてはいけない。むしろ、受け入れることが逃げかもしれない。この子のことになればこういうことばかりだ。進むこと全てが逃げになる。


『私、ずっと怖かったんです。先輩って常に遠くを見てるっていうか、私といる時も私がいない方向を見ていたし、皆でいる時もそうでした』


 だから、ついに私が遠くに行ってしまったと思ったらしい。まぁ、それは言葉としては正解なんだろうが、意味としては自殺しようとしたということだろうから間違っている。


 だんだんと、彼女は感情を吐き出すにつれて怒りが沸き上がっているようだった。涙を流しながら暴言を吐き散らす。


 それはもう、受け入れたと同然だった。もう、諦めたと。


 いくら叫んでも、この人には届かないと悟ったような。


「ごめん」


 そう短く言って電話を切った。


 ごめんなんか思っていない。何も思っていない。


「……あっ、見てた?」


 いつの間にかカスミが部屋に戻っていた。


「ずっと待っていたの……」


 カスミは私の前に座った。身を乗り出せば触れられる距離。


「私は、君が好きだった。離れたくなかった。私がもし大学に行ったら君は、私から逃げていた」


 答えられない。しかし、それは事実だ。彼女が遠くの国公立に行くと聞いた時。もう、届かないほど遠くに行くなら。その時は諦めようと思った。


「長い付き合いだからかな。君が、私から一度でも逃げ出したら私は一生君を捕まえられない気がしたんだ」


 あぁ、そうだ。私は絶対に逃げれる。私はあらゆる足跡を追ってもう一生君に合わない道を選ぶだろう。


「だから、逆に私が逃げようと思ったの。そうしたら、君は追いかけてくれるだろうって」


 そうして、カスミは逃げ出した。


 しかし、彼女は言う。逃げた先で誘拐ゆうかいされて……。


「は? 誘拐!?」


「うん。……ハルトはね。その時に」


 思わず絶句してしまった。そういうことか。


 ボロボロとカスミは大粒の涙を流し始めている。


「ねぇ、来るのが遅かったんじゃないかって思ってる? いいんだよ。ちゃんと来てくれたもん。私は、ずっと待ってたもん」


 頭の中で今までの話が繋がっていく。


「私は、自分をおそった男の子供なんて育てたくない。殺してやりたいって何度も思った。ちっとも可愛くない! 好きじゃない人と結婚したくなかったし、これからずっと一緒なんて嫌。嫌だ!」


「もしかして、カスミは」


「私は信じてたよ。私は、君の事だけは覚えていた。だから、親が来たときにまた逃げ出した。嫌でも、この日のために結婚した」


 彼女が私にすがりつくように抱き着いた瞬間。奥の部屋からハルト君の空を切るような鳴き声が響いた。


「一緒に逃げよ。君にはそれができるんだよね?」





 あぁ。無論。私は彼女の手を取った。雪が降る聖夜。大丈夫、私達の足跡は雪がかき消してくれるだろう。


 捨ててはいけない多くを捨てる。それが逃げること。

 そんな残酷な瞬間。私たちはその瞬間を待ち続けていた。

 

 足跡を辿る逃避行とうひこう。捨てた物の怨霊が私たちを追いかける。


 雲間を切ってのぞく、欠けた月だけがそれを見てるのさ。

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