2.理想的な一日

 クリスマスも終わり、いよいよお正月ムードが迫ってきている。バイト先のホームセンターも、社員の人が一日かけて作業を行い、いつの間にか陳列棚ちんれつだなが様変わりしていた。


 ガタイが良いせいかトラックに乗る姿が異様に似合う、その社員さん。「大変だったよ」なんて軽く笑って、今日も今日とて仕事に精を出していた。


 僕はそんな社員さんを見てとてもみじめな気持ちになったんだ。


 アパートに帰り、さみしいしいワンルームを見渡す。決して汚部屋おべやというわけじゃないけど、テーブルの上には飲み終えたペットボトルや空き缶が並び、洗濯籠せんたくかごからあふれんばかりの衣類。


 この部屋は月に二回ほど綺麗になる。洗濯物を一気に洗い、ゴミを片付ける。掃除機をかけて換気をして、そうするととても気持ちも落ち着いてくる。でも、服を着続ければ溜まるし、日常を過ごせばゴミも溜まる。


 僕は掃除が嫌いだ。重い腰を上げてせっせと綺麗にしてクタクタになっても、すぐに散らかって嫌になる。


 僕にとって掃除とは、片付けることとは労働であり、行為以上の疲労がたまるものだ。バイト先の社員さんのように、一日かけて模様替もようがえした後に、次の日も笑顔で出勤なんて到底できないだろう。


 しかし、そんな僕でも。そろそろ行わないといけない。


 年末恒例の大掃除。


 実家に帰るときに、両親が迎えに来る。その際に散らかった部屋を見せたくはない。


 この大掃除は毎年少し違う気持ちで片付ける。なんせ、もうすぐ一年が終わるという時期だ。どうしても、過去の自分や過去の部屋と向き合ってしまう。


 高校の頃から本が好きだ。文庫本より分厚い単行本が好きだ。部屋の壁に天井まで伸びる本棚の半分は単行本で満たされている。ちょくちょく買いあさっていたらこの量になったが、四分の一はまだ手を付けていないし、全部読み終えてない作品もある。


 壁にはどこかの街の写真が額縁がくぶちに入ってかざってある。おしゃれだからという理由で、入居時に買ったけど、もはやこの堕落だらくした部屋では浮いた存在だ。

 そういうものに触れると、思い出すのだ。僕は、この部屋をカフェみたいな落ち着いた空間にしたかったのだと。


 そう思いだせば見えてくる。使わなくなったコーヒーメーカーも、値段は張ったがリラックスして座れるソファも全部そんな、カッコつけたコンセプトから始まったんだ。


 そんな部屋を作り、そんな部屋を汚した僕が。ひどく惨めに思える。こんなことになるなら、最初っから安物で着飾った部屋がよかった。そうすれば、いくら汚しても、浮つく物はなかっただろう。


 惨めさを慰めるように少し休憩をすることにした。外の自販機で缶コーヒーを買ってきて、ソファに座って前に読みかけていた本を読み返し始める。


 我ながらよくこんないいところで読むのをやめれたものだ。


 ため息を吐いて、その本の中に引き込まれていく。

_______________________


 読み終えて本を閉じると、なぜか朝日が昇っていた。


「……へ?」


 慌てて、窓際まどぎわに向かう。


 そんなはずはない。だって、休憩を取ったのは午後三時だぞ。いくら集中してたからって、こんな時間まで読めるはずもないし、そんなに長い内容でもなかった。


 しかし、窓から指すその光は、何度も見てきたこのこの部屋に差し込む朝日だ。しかし、いくら力を入れても窓は開かなかった。もっとよく確認したかったのに。


「おはようございます」


 とおる、女性の声だった。もはや、僕はパニックにおちいっている。だってこの部屋に女性なんかいるはずがないのだ。一度も、招いたことなんてないんだから。そうして、僕は一つ仮説を考えていた。


 夜になんだかんだあって、酒を飲み。女性を部屋に連れ込んだ。酒のせいで記憶が抜けている。


 なんだかんだってなんだよ。そもそも、酒を記憶がなくなるほど飲んだことないし、酔っても女性を部屋に連れ込める度胸なんか僕にはないはずだし。


 それでも、そうとしか考えられず。嫌な汗が背中をかゆくさせる。


 ゆっくりと振り向いてその姿を確認した瞬間。そんな嫌な感覚は一気に消えていった。


「あっ、あぁ。なんだ……おはよう」


 そうして、僕は過程を飛ばして彼女を受け入れた。


 黒髪ロングで白シャツにロングスカート。文学少女という言葉がぴったり過ぎて、思わず笑いっちゃいそうな若い女性。


 初めて会うのに、ずっとそばにいたような。そんな安心感が彼女にはある。


「コーヒーをれています。バイトは正月明けまでお休みなんでしょ? ご両親が来られるのは明日ですし、今日はゆっくり休日を満喫まんきつしてくださいね」


「うん、そうだね。年が明ける前に読んでおきたい本があったんだ。来年映画化するから予習をしておきたくて。今日はゆっくりそれを読もうかな」


「ふふっ、それは、それは。いいですねぇ」


 別に彼女と何かをするわけじゃないのに、その子は自分の事のように喜んでいる。


 ソファに戻り深く座り込む。気づけば、隣のテーブルの上は綺麗に片付かれていて、その上においしそうに湯気が立つコーヒーがマグカップに入っている。しかも、ちゃんとコーヒーフレッシュも入れられているじゃないか。消費が賞味期限に追いつかずに、ゴミもかさばるからすぐに購入をやめたはずなのに。


「こちらですか?」


 彼女は僕が言っていた小説を本棚からとって渡してくれた。本を開いたとたん、スーッと文字が頭に入り込んでくる。こんなさわやかな気持ちで本が読めるのはどれくらいぶりだろうか。


「……そういえば、君。名前は?」


 登場人物一覧を見ていると、彼女の名前を知らないことに気づいた。名前も知らないのに、僕は彼女を受け入れている。


「203号です」


「え、ロボット?」


 どこか知った番号のような。まぁ、こんなに身近に感じる彼女だ。赤の他人というわけではないだろう。


 そんな事を思いつつも、すぐに小説の内容に入り込んでいく。


 僕はいつも、小説を読むときは何かに追われているときが多い。次の日が朝からバイトの二十三時。講義課題に追われている合間。部屋を掃除すると決めたが結局何もしないでいる休日の午後四時。好きであるはずの小説を現実逃避の一種に使ってしまっていた。


 だからこそ、一番いい瞬間に読む手が止まる。一番楽しんでいるときにふと、「これ以上進むと、時間が溶けるぞ」と警告を感じる。そうして本を閉じて慌て始めるのが常だ。


 今日はそんなこともなく、しっかりと最後まで読んで本を閉じる。それなのに、やっと午後になったくらいだった。まだまだ時間がある……。


 203号は、昼食を作ってくれた。皿に乗ったミートスパゲッティを見ても皿洗いを心配する気持ちがいてこない。それもそうだ、洗うのは彼女の仕事なんだから。


 最近は、コンビニのパンやサンドイッチみたいな簡単なものばかりだ。そもそも、バイトが朝にあって帰るのが昼の十四時ぐらいだから料理をする気も起きない。まぁ、何もない休日でも、料理をすることは無くなったんだけど。


 スパゲッティを食べ終えて、ソファに戻る。座ってふと思う。あれ? 何をすればいいんだっけ?


 いつも、こんな時何をしているのか。いや、そもそも僕の毎日にこんな余裕のある空白の時間なんてないんだ。実際はたくさん散らばっている。しかし、僕自身に『やらなければいけないこと』という汚れが溜まっているのだ。それから逃げることに必死でスマホのゲームをしたりSNSのタイムラインを眺めたりしてつぶす。


 ていうか。スマホどこ?


「どうでしょうか? 散歩にでも出てみてはどうでしょうか?」


 203号が皿を洗いながらそう提案してきた。まぁ、家に居てもどうしようもないし、外にでてみてもいいかもしれない。


 クローゼットを開けると、その整頓せいとんされた中身に驚いた。最初は洗濯物をたたんで決めた場所に収納していたのに、今は適当に畳んで適当に押し込む、最悪干したまま放置して着るときにそこから取る時もあるぐらいだ。


 あるべき場所に収まった衣類を取り出して着替える。脱いだものを、何も入っていない洗濯籠に入れて、玄関に向かう。皿を洗い終えた203号は「いってらっしゃいませ」と僕を見送った。


 そうだよな。皿なんて三分もかからず洗い終えれるもんな。


 ドアを開けて新鮮しんせんな空気の充満する外に出た。




 普段通らない道を行き、隠れ家的な喫茶店を見つけて入ってみる。おいしいコーヒーを飲みながら、ブックカバーを付けた本を読む。こういう外で読むときは文庫本と決めている。そして、サクッと読める短編集を好んで選んでいる。


 会計の際にふと、店内に飾られている街の風景を撮った写真に目がいった。マスターに、どこの風景か聞いたら、苦笑いで首を傾げた。


「市販のものでして、この店の雰囲気に合ってると思い買ったんですよ。でも、フランスっぽいですよね。パリとかですかね?」


「どうでしょ? あれの一回り小さいサイズをウチに飾ってるんですよ。それ見るたびにどこのだろーって思ってて」


 そう言うと、マスターは大げさに笑った。お釣りを渡してくるときに「またおいで」と言って、手を包むように小銭を渡してきた。


 そうして、バスに乗って近くのモールまで行き、書店で本を見て回った。雑貨屋で部屋に飾る丁度よさそうなものを探した。面白いものが多いけど、ウチには似合わなそうなものばかりだ。


 でも、この雑貨がしっくりくる部屋が世の中にはいくつもあるのだろう。それぞれの部屋に色があって、性格がある。


 自分の部屋の性格とはと考えたとき、203号の姿が思い浮かんだ。あまり待たせるのも悪いし、そろそろ帰った方がいいかもしれない。

_________________________


「おかえりなさいませ」


「ただいま」


 定位置のソファに流れ込む。そして、テーブルを目の前まで引っ張る。すると、203号がそのテーブルの上にノートパソコンを持ってきて広げた。何から何までわかって尽くしてくれるんだな。


 僕は、大学生活を始めてからブログを書き始めていた。ただ、小説を読むだけなのも味気あじけないから感想を書く場をもうけたのだ。自分としてはかなり続いた方だが、次第にやる気がなくなってログインするもの嫌になっていた。


 なんだか、だんだんとこのブログを書くために小説を読んでいる気がしたのだ。それはそれでいいことなのだが、この感想を書き込むという行為が億劫おっくうになったせいで、やはり読書が追われるものに変わっていったのが原因だった。


 でも、今日はとてもいい気分で書けそうだった。豊かな心が感情をハッキリと形作り、流れるようにタイピングしていける。


 丁度、書き終わったころに203号が夕食を作り終えていた。ノートパソコンを閉じて、テーブルを元の位置に戻し、食事を並べていく。寒い冬にうってつけの鍋料理だ。一人用の鍋。食べるのは僕だけだ。203号は邪魔にならないように僕の後ろ側で座って視界に入らないようにしている。


 夕食を食べ終わると食後のコーヒーが出てきた。それを飲んで、一息ついていると203号から風呂の準備ができたことを告げられた。


 最近はずっとシャワーだった。そのせいで、肌が乾燥かんそうして痒くて仕方がない状態にまでなっている。暇があれば風呂を沸かしてゆっくり入ろうと思っていたけど、やろうと思えば思うほど億劫になるのだった。


 風呂から上がると、冷凍庫から氷を取り出してグラスに詰め込み、ウィスキーを入れて炭酸で割る。それを飲みながら、一人物思いにふける。


 本来の僕はウィスキーの味が嫌いだ。700ml瓶の中身は何日たっても減らず最終的に呪いのようにそこにある液体を全部流し台に捨てた。それから大抵酒を飲むときは缶チューハイだ。


 本当はこうやって、香り高いお酒をゆっくり楽しむ夜が欲しかった。


「どうでしたか? ご主人様」


 僕の横に来て203号は聞いてくる。


「貴方は、コーヒーがかおり、ゆっくりと小説にふける朝を送りたかった。家の近くにお気に入りの喫茶店を見つけて、そこのマスターと仲良くなりたかった。お風呂上りは、ウィスキーをたしなんで、映画でも観て眠る夜が欲しかった。……そうですよね?」


 そうだ。僕はそんな日常が欲しかった。なんか格好いい日常。今日一日のような充実した日々を送りたかったんだ。


「でも、僕はできなかった。朝は低血圧ですぐには起きれない。休日なんかは昼過ぎまで寝てしまう。昼に外に出たって、喫茶店に一人で入る勇気もない。ウィスキーは飲めないし、夜は何もするわけじゃないのにグダグダして、深夜遅い時間まで無駄に起きている」


 それが、僕という人間の日常。講義やその課題、バイトに追われて将来の不安もあって、うまくいかない人間関係もある。そんな中で理想の暮らしなんかできるはずもなく、汚れに汚れていった。


 ふと気づくと、部屋が片付ける前の汚い状態になっていた。テーブルの上にはペットボトルと空き缶。籠から溢れる洗濯物。あのクローゼットの中も、ぐちゃぐちゃになっているのだろう。急に重苦しい何かが全身に乗っかってきた感じがする。


 203号の姿も汚れてしまっていた。ぼさぼさの髪に、しわだらけのシャツ、汚れのついたスカート。


 文学少女というより、どこか幸薄い感じの女性。イメージが大きく変わった。


「なんだか部屋が狭くなったようで、息苦しいですね」


「……あぁ、そうだね。僕らも随分ずいぶんと変わってしまった」


 長いもので、来年の春には僕らは三年の付き合いになる。長いようで短い、三年で変わり果てたという見方もできるが、なるべくしてなったといってもいい。


「本当に、生き苦しくなってしまったよ」


「ですが。私たちは、まだ戻れますよ」


「いや、戻る必要なんかはない」


 どこかで読んだことがある。聞いたことではない、だから何かの小説で読んだのだろう。


――部屋は己を写すかがみである。


 この言葉を見た時の僕は、部屋はその人の趣味であふれているから、その人となりが分かる的なものかと思っていた。でも違うんだ。


「身の丈に合ってない着飾りをするべきではないんだ」


 毎日コーヒーを何杯も飲む必要はない。朝昼晩すべて自炊しなくたっていい。そんなにたくさんの小説を読まなくていいし、感想をブログにいちいち書かなくてもいい。好きじゃないお酒で無理やり酔うなんて滑稽こっけいだ。


「……断捨離だんしゃり。してみるよ」


「どうあれ、私は貴方の選択について行きますから」


 掃除とは、捨てたり洗ったりして綺麗にすることだ。でも、それは物だけに対する行為じゃなかったんだ。そこを理解してなかったから僕は掃除が下手だったのかもしれない。非効率だったのかもしれない。


 203号が自身の長い髪をすくってまとめると、はさみで一気に切った。切られた髪の毛はスーッと消えてなくなっていく。そうして、思いっきり笑って見せたのだ。


「まずは換気でもしましょう」


 そう言って、彼女は窓に手をかけた。僕がいくら力を入れても開かなかったその窓はキュルルと音を立てて開いていく。そうして、外から光が、真っ白な光がこの部屋を包んだ。

_____________________


 目が覚めると既に外は暗くなっていた。冬で日が落ちるのが速いだけで、まだ十八時ぐらいだ。三時間程度寝てただけのようだった。


 部屋を見渡すと、改めてその汚さに笑いが出た。


 何となく、年末に掃除をする意味が分かった気がする。


 新年とは、新しい自分に変わる場としてはふさわしすぎる。だからこそ、年末にその準備をしっかりしないといけないのだ。


 新しい自分になれた時は、もう一度君の姿が見たい。


 最後に見たショートヘア―の君の笑顔。あの笑顔は、どんなこだわりのある部屋よりも綺麗だった。


 ただ片付けることだけが、綺麗な部屋である条件というわけではないのだろう。


 勢い付けて立ち上がり、軽く体を伸ばす。目覚ましに両手でほほを叩いてグッと気合を入れる。


「……さて、掃除そうじするか!」

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