【短編集】ひと世の戯れ Vol.3

岩咲ゼゼ

1.絵画『雨ノ街のアりす』

 一組の親子がそのイラストの前を通った。


 小さな少女は、その藍色のシンプルな額縁がくぶちに入れられたイラストを見上げて立ち止まる。


「この子、可愛そう」


 少女の声と感想を受け、母親もそのイラストを見た。


「あら、素敵すてきな絵ね。お上手だわ」


 そして、その親子は教室を出て行った。


 その様子を見ながら僕はどこか悶々もんもんとした気持ちをいだいていた。


「やい、佐久間さくま。もう、客出て行ったんだから、そんな顔するな」


「あぁ、すまん。いや、なぜかちょっと緊張したよ」


「何がだよ。お前の絵は展示してないし、そもそもお前は部員じゃないだろう」


「そのはずなんだが」


 九州総合大学、通称『九総大』は県一のマンモス校で知られる歴史あるキャンパスであり、毎年秋に学芸祭を行うことで有名だ。


 学芸祭では様々なゼミや部活が展示や屋台を出しており、今私はデジタルアート部という現代的な部活の展示室にいた。目的は、友人の曽根崎そねざきがデジタルアート部であり、他の部員と受付を行うはずだったのだが、寝坊でその部員がこれず急遽きゅうきょ私が呼ばれたのだ。


 曽根崎が言った通り私は部員ではないが、私はよく曽根崎と共にデジタルアート部の部室にお邪魔する関係であり、高校時代は曽根崎と共に美術部の経験もあることから、部活に参加することもあった。


 しかし、理解ないものに絵を見せることに私は抵抗ていこうを持つ。


「さてと」


 客もいなくなり、がらんどうとなった展示室の中、壁に掛けられたイラストたちを一巡する。デジタルアートとは言うが、その中身は幅広い。アニメチックなキャラクターのイラストもあれば、写真と見間違うような風景画もある。アートとしか表現できないような抽象ちゅうしょう的なものもある。


 そんな様々なデジタルアートの世界を巡っていくと、必ず足を止めてしまう一枚がある。それは先ほどの親子も足を止めた一枚。


「気になっているみたいだな」


「あぁ。なんでだろうか、この絵を他人事のように思えないのだ」


「わかる。俺ほどになれば、モナ・リザだって他人事じゃない」


「……茶化すのか?」


「その方が、気が楽になるだろ?」


「まぁ、な」


 そのイラストに向き合う。


 パッと見、夜の街を描いているように見える。雨降る都会の夜。カラフルな街灯がいとうは雨によってぼんやりと光り、車のライトが水たまりをらす。どこかさびしく、悲しい風景。


 そして、その景色のど真ん中に違和感が存在する。まったく別のコンセプトの絵を切り取りこの風景の中に張り付けたような。それだけ、その人物は異彩いさいを放っていた。


 題名【雨ノあまのまちのアりす】


 そう、そこに写っているのは紛れもない童話『不思議の国のアリス』い登場するアリス。白と水色のドレスに、金色こんじきの髪。大きなリボン。


 アリスは雨に打たれながら雨空を見上げている。髪が張り付き表情は見えず、ほほに伝うしずくは涙なのか雨粒なのかは解釈かいしゃく次第だろう。そして、アリスの足元に転がるビニールかさう汚い猫。


 現代的な風景にまぎれる童話のキャラクター。純情じゅんじょうな表情に似合わない悲惨ひさんな情景。


 あの少女が可愛そうと感想を抱いたことにうなずく。


 あの母親が素敵な、上手な絵といったことに悶々とうなずく。


 心を刺す芸術は不可視ふかしだ。でも、この作品。水準は高いがやはり一大学生が描く趣味程度の作品。今時ならネットの中で一日一枚は目に通るレベル。見えてきそうに思える。されど、分からない。


「やい、佐久間。こっちを見ろ」


「どうした?」


 曽根崎に呼ばれて振り向くと、シャッター音が聞こえた。どうやら、携帯のカメラで顔を取られてようだ。はて、なぜそのような真似を。こいつは自撮りなど俗っぽいこともせず、携帯の画像のほとんどは保存したイラストか、ゲームのスクリーンショットのような奴だ。


「ほら、見ろ。面白いぞ」


 そうやって差し出してきた画僧の中の私は満面の笑みを見せていた。一目で加工だとわかる不自然さだ。


「どうだ?」


「……もしかして、また茶化ちゃかされたのか?」


「いや違う。アドバイスだ。いいアドバイスはする前に、変なことをするものだろ。その方がより印象に残っていい」


「では、そのアドバイスとは?」


「この下らねぇ写真も、そこのウチの後輩ちゃんが書いた最高なイラストも同じだ」


「……その心は?」


「どっちも鏡だ。加工した画像は見られたい自分。感動するイラストってのは大体自分の性癖せいへきに合うか、自分の内面に近いやつだ。つまり認めてほしい自分を投影とうえいしているもんだ。お前がなぜその絵にそこまで感動するかは、その絵の情報を分析し、お前の心と比較することで解明する」


「意外とまともだな」


「当たり前だ。俺のイラストを見た部員の大半が今お前が言ったのと同じことを言うぜ」


納得なっとくだ」


 さて、では。この『雨ノ街のアりす』と私の内面。何が合致がっちするだろうか。そんな心持で絵を見つめるとすぐに答えは見つかった。


「おぉ。やい、佐久間。どうやら答え合わせもできそうだぞ」


「……どういうことだ? 答えはすぐに出た。しかし、合わせるも何も自分の問題だろうこれは」


「いいや、国語の問題さ。作者の心情しんじょうを答えろってな」


「まさか」


「お寝坊な後輩ちゃんがもうすぐ着くってことさ」

_____________________


【雨ノ街のアりす】に対して私は何を投影したか。それは明白めいはくだ。アリス。やはり重要なのはそこにある。


 私は少女趣味だ。男であり、大学二年にもなる私は、未だキラキラしてふわふわしたものが好きだ。一応古書漁りなどといった渋めの趣味を持ってはいるが、部屋の中はおぞましいほどピンク。


 中学の頃は周りは、変わっているがと認めてはいた。高校時代に挫折ざせつを味わい、封印。大学生となり自由の身になってから再度爆発したといった感じだ。

 世間的にはズレていることがわかる。


 曽根崎もこのことは知っているが、彼すらも私のそう言った趣味には引いている節がある。二人の時はそう言った話題がなしなのは高校時代からだ。


 このアリスの絵は、まるで少女が世間から汚されているように見える。こうであるべき、これは変。そういった言葉の雨あられ。傘を捨てた少女はそれを受け入れた。これは、大人への成長の絵のなのだろうか。それとも、反逆はんぎゃくという解釈もできるのだろうか。


 こんな現代的な夜の風景に、童話的な少女。そこに違和感を覚える時点で私はすでにまっているのだろうか?


「こんにちは」


 シンッと、一瞬私が沈み込んでいた絵画の世界。雨の街の雨が止んだように思た。しかし、目の前の絵の中ではなおも雨は降り続いている。


 振り返ると、後輩ちゃんこと天城あまぎが立っていた。清楚な出で立ちで、ぼーっとした性格で数人の後輩がいるデジタルアート部の中でも後輩ちゃんの名を与えられた妹のような存在。


「佐久間さん、すみません」


「いいんだ。曽根崎から呼ばれなかったら祭りの間ずっと家にいた。外に出る機会きかいが増えたよ」


「だな、しかも素晴らしイラストに出会えたじゃないか」


「あら、何か刺さる作品でもあったんですか?」


「君の作品だ」


 そう言うと、私の視線は天城とのひとみにぶつかった。さっきまでの目は合っていた。でも、彼女のどこを見つめているのかわからない瞳にかすかに意思が宿やどり、そう感じた。


「佐久間さん、もしかして童話パロディが好きなんですか?」


「嫌いじゃない。でも、これは異質いしつだ」


「そうですか」


 柔和にゅうわな笑顔と共にいつものふんわり後輩ちゃんに戻る天城。


「後輩ちゃんはさ。この絵に何を込めたんだ? こんなにいい絵なんだ。線の綺麗さだけじゃ描けない。コンセプトやテーマがしっかりと入っているんじゃないか?」


「そもそも、天城がこういった都会的なイラストを描くのはちょっと意外だ。アリスの世界を描くならまだしも、なんでこんな絵になったのか。私も聞きたい」


「うふふ。そんなに、真剣にならないでください。単なるたわむれみたいなものです。私のイメージと反対のことをして皆を驚かしたいなって。想定どおり、佐久間さんは驚いてくれたみたいで嬉しいです」


「驚いた。やい、佐久間。作者の心情を答える問題でも、作者本人は不正解を出すことがあるんだな」


「そういじめてやるな」


 さて、どうしたものか。天城は何も言わずに、受付に座ったし。曽根崎も無言を貫き通す。


 私の解釈を言ってもいいが、曽根崎の存在が邪魔だ。彼がいるとなかなか言いづらい話題でもある。ここは少し、戯れてやるか。


「私の考察だと。雨、街、少女、傘。それぞれに意味がありそうな気がする。傘を捨て、なぜ少女は雨に濡れる。受け入れているようにも見え、挑んでいるようにも見える。夜の街に似合わぬ少女がなぜ体を冷やすか」


「ありがちなものだと、雨は少女の涙を表してるってとこか? 物語のキャラクターが、現実の残酷ざんこくさに泣いているって感じだ」


 すかさず曽根崎も乗ってくる。調子のいいやつなのだ。


「……先輩方にとって、雨は綺麗なものですか?」


「私は嫌いだ。雨は私をよごす」


 ここはあえて自分の解釈を押し出す。


「なんだそれ? 俺はもちろん好きだ。けブラが見れる。透けブラは綺麗。つまり雨は美しい」


「そう、私もです」


「透けブラか?」


「私にとっても、雨は綺麗なものをけがしていくものなのです」


 曽根崎の茶化しは完全にスルーし、天城は私の方を見た。


「では、この少女は綺麗なものを象徴しょうちょうしていると」


「はい」


「この街はどうだ? ぼやける街灯がうまく表現されて美しく見える。しかし、この表現がイラストそのものにリアリティを生み出し、少女の違和感が増してしまっている」


「街は、既に汚れているのです。すべて、汚れてしまっているのです」


「……面白いな」


「じゃあ、この少女は汚されているってことか。都会の夜に汚される少女。つまり、売春の絵なのか? 傘はコンドームで」


「曽根崎。多分君は、その考察を大真面目にやっているんだと思う。いつもの茶化しではなくて。だが、やめた方がいい」


「ですね。それこそ、雨のような考察。私の絵を汚す言葉の雨」


「ではなんだ?」


「汚れ切った者には難しだろうな」


「その通りです」


「嫌な言葉だ。だが、俺にはわかるぞ。お前らは格好をつけて汚れていると言っているだけだ。本当はお前ら自身に汚れがある。でも、自分が綺麗だと思いたいゆえに、違う人間を汚そうとしている。俺というアリスをけがしている」


「曽根崎……」


「……すまない。いや、イラストのことになると雄弁ゆうべんになりすぎるのが俺という人間だ。長い付き合いだ。わかってくれ」


「サイテーです」


 再度訪れる沈黙ちんもく


 改めて『雨ノ街のアりす』を見つめる。


 とても胸が締め付けられるような一枚に思えた。彼女が落とした傘を拾い上げて差し出したい。


 しかし、それは不可能であり。待てど暮らせどこの絵の中の雨は止むことは無いのだ。


「ねぇ、佐久間先輩」


「ん? どうした?」


「解釈ごっこはもうやめにしませんか? 確かにそれは自信作なんですけど。やっぱり、嫌です。そっと、しておいてください」


「あぁ。そうか、すまなかった」


 窓の景色を見ていたら急にカーテンを閉められてような。そんな感覚に襲われた。見えていたものが急に見えなくなった。


 もっと見ていたかったがさすがにそこまで言われたらもう、どうもできない。仕方なく、絵から離れる。


 そうすると、この場には何も興味などはなくなり。もういっそ帰ろうかなんて気持ちがわき始めた。


 少し熱くなったが一時の興味だったのだろう。曽根崎が変に刺激してきたせいでムキになりすぎたのかもしれない。


「ん、じゃあ。私は帰るよ」


「あぁ、気お付けろよ」


 あの絵は僕の絵ではないのだ。あの少女に傘を差しだすことなんてできない。


 雨は止むことは無いのだろう。

______________________




 雨は止むことは無い。


 今日も今日とて虚無きょむを行く。才能なんて、自分になければこのようにないのと同等。死ぬこともできず、生きていける力もない。


「あぁ、君が天城さん?」


「はい、萌香もえかって呼んでください。今日はよろしくお願いします」


「あぁ、よろしく」


 清潔せいけつな人だ。でも、中身はどす黒いんだろうな。こんなことをしてしまう時点でそれは明確だ。そして、私も変わらない。誰にも等しく塗りつぶす黒。

 いつし。か、皆汚れてしまうんだ。


「あれ? 可愛いストラップしてるね? 何かのアニメ?」


「はい。小さいころからずっとこのキャラクターが好きなんですよ。皆からは馬鹿にされることもあるんですけど、どうですかね?」


「そんな。好きなものに年齢なんて関係ないさ。萌香ちゃんが好きならそれを貫きとおせばいいんだ。人とは違うってのは、悪いことじゃないんだから」


 なんで、こんな人しか欲しい言葉をくれないのだろうか。

 なんで、こんな人たちにしか伝わらないんだろうか。

 なんで、こんな人しか私を見てくれないんだろうか。


 こうして、濡れて。溺れて。汚れていく。

 



 降り出した雨は止まない。


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