第169話


「放てっ!」

 その戦いは、ジャックスの指示で射られる矢の攻撃で、始まった。


 夕暮れ時とはいえ、三百もの数が接近すれば、流石にボンヴィッジ連邦の部隊も自分達が追跡された事を知り、足を止めてこちらと対峙する。

 いや、どちらかというと、こちらが敢えて自分達の姿を隠さずに、堂々と近付いたからってのが大きいか。

 もっと距離を置いて追跡し、日が沈むのを待ってから、相手の油断に乗じ、闇に紛れて夜襲を仕掛けるという手もあったけれど、ジャックスはそれを選ばなかったから。


 当然ながら、ジャックスは意味もなく夜襲という選択肢を捨てた訳じゃない。

 仮に夜を待って襲撃をしようとすれば、ボンヴィッジ連邦の部隊が先にルーゲント公国の村を襲ってしまって、そこで夜を過ごそうとするだろう。

 そうなると、要らぬ被害が村に出る。

 更にこちらの襲撃に対して、ボンヴィッジ連邦の部隊が村人の生き残りを人質、或いは盾にしようとする可能性もあった。


 国境近くに住む人々は、自分達が危険に近い場所に暮らしていると知っているから、何時でも逃げられる準備くらいはしてるだろうけれど、襲われずに済むならそれに越した事はないから。

 ここはルーゲント公国で、そこに暮らす人々はジャックスが守りたいフィルトリアータ領の民ではないけれど、それでもジャックスが一般の民が襲われるのを待つのは善しとしなかったのだ。


 それに加えて、夜襲は確かに攻められる側に混乱を齎すが、攻める側にも影響は皆無じゃない。

 夜の闇が敵味方を誤認させたり、逃げ隠れする敵の姿を隠してしまう場合もある。

 だったら夜襲なんて小細工はせずとも、こちら側の部隊の練度、装備の差、何よりも魔法使いが二人も加わってる事を考えると、正面から堂々と押し潰した方が損害は少なくて済む可能性もあった。


 実際、戦いが始まってすぐの矢の斉射は、こちらからの一方的な攻撃となった。

 まぁ、あちら側は歩兵ばかりで弓兵がいないから当たり前なのだが、一方的に降り注ぐ矢は、兵力以上に相手の心を削っていく。

 それでも数では勝るからと士気を保ち、果敢に距離を詰めてきた敵兵を、ジャックスの部隊の歩兵がガッチリと受け止める。


 ジャックスの部隊はおよそ半数が歩兵だが、全てが歩兵の敵側に比べると、半分以下の、或いは三分の一以下の数しかいない。

 これでは幾ら練度や装備の質で上回っていても、……負ける事はないにしても、少なからぬ犠牲が出てしまう。


 けれども、こちらと相手の最大の違いが現れるのはここからだ。

 相手が歩兵ばかりである以上、正面からぶつかり合えばこの形になるのは元より承知というよりも、当然である。

 だからこそ、この場面になってからジャックスは、魔法使いは動く。


「火よ、灯れ」

 ジャックスが使うのは極々単純な火の魔法。

「火よ、広がり、炎となれ」

 まずは火を灯し、それを広げて炎とし、次に攻撃へと繋げていく、魔法学校では珍しくもない、ごく当たり前のそれ。

 しかもわざわざ詠唱まで付けているから、僕じゃなくても魔法学校の高等部なら、誰もが鼻で笑ってそれを防いでしまうだろう。


「炎よ、放たれろ」

 だがこの戦いの場では、その効果は絶大だ。

 ジャックスが部隊の頭の上を越えるように放った炎に、

「魔法使いだ!!!!!」

 気付いた敵兵が絶叫をあげる。

 そしてその絶叫は、大混乱の引き金だった。


「炎よ弾け、降り注げ!」

 我先にと逃げ出そうとした敵兵の上に、弾けた炎の飛礫が雨となって降り注ぐ。


 僕にとって、それは見た目が派手なだけの、防ぎやすい魔法。

 四つも繋がりを持たせてる割に、分散してしまって威力も低い。

 盾の魔法はもちろん、少しばかりの火傷を顧みないなら、鎧の魔法を纏って突っ切る事も可能なくらいに。

 敵兵だって、鎧兜を身に纏っているのだから、余程に運の悪い当たり方をしなければ死なないだろうに、彼らはパニックになって逃げ惑う。


 ……あぁ、これが、魔法使いでない者にとっての魔法なのか。

 理解できず、恐ろしいもの。

 或いは、魔法使いでない者にとっては、魔法使い自体がそうした、ただひたすらに怖いものなのかもしれない。

 故に彼らは、魔法使いを憎むのか。

 理解できず、恐ろしいものは、憎んで排斥するより他にないから。


 ただ一発の、僕からすると見慣れた魔法で、ボンヴィッジの部隊は壊走していく。

 それは僕にとって、何だか凄く、衝撃的だった。


「騎馬を出せ! 全員、追撃だ!」

 しかしジャックスはすぐに次の指示を下し、逃げる敵兵を仕留めようとする。

 ボンヴィッジに逃がせばまた敵として攻めてくるし、逆方向に逃がしても、武器を持ったまま食い詰めて、盗賊だのに転じられるだけだから。


 軍と軍のぶつかり合いで最も多くの血が流れるのは、勝敗が決し、どちらかが逃げてる最中だという。

 それは僕も知識としては知っていたが、逃げる敵兵が次々とジャックスの部隊の兵に討ち取られて行く様は、僕に何とも言えない感情を齎した。

 あぁ、人間とは、なんて弱くて脆くて儚いのかと。


 肩のシャムが、ひと声鳴いて僕の頬を押す。

 それで僕は自分の役割を思い出し、回復の魔法薬が入った鞄を引き寄せる。

 この戦いに、僕がでしゃばる必要はない。

 余地がないとは言わないけれど、ジャックスの手柄を奪うだけだから。

 だから僕は、怪我で追撃に参加しなかった歩兵達の、傷の手当てをしに向かう。



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