第155話
伸びてきた蔓を手袋を着けた手で捕まえて、ナイフでスパリと切り落とす。
切った蔓はそれでもうようよと手の中で蠢くが、杖を振って灯した炎で軽く焙ると、ギュッと縮んで動かなくなった。
それを鞄に仕舞い込めば、……これで目的としてた素材は、およそ六割くらいが採れただろうか。
六割といえばまだまだ足りないと思われるかもしれないが、一日の採取量としてはまぁまぁだ。
そもそも、一日で欲する全ての素材が揃う事なんて、まずない。
この万蛇葛のように植物系の素材は、生えている、群生してる場所を知ってさえいれば、何らかの事情で枯れたり、食い尽くされたりしてなければ、おおよその場合は手に入る。
しかし吸血猿の舌のように、動物系の魔法生物から得られる素材に関しては、森の中を動き回っているので、出会えるかどうかは運次第だ。
尤も吸血猿の舌は、今回は別に目的とはしてなかったんだけれども。
まぁ、あって困る物じゃないし、別に構いやしないのだが。
今日はこのくらいにしておこうか。
目的とする素材の中にも優先度はあり、絶対に手に入れておきたい、直近の作業に必要な物は、幸いにもすべて手に入れている。
夏の、ジャックスの初陣への準備を考えると、もう幾つかは手に入れておきたい素材があったけれど、それはまた今度で良いか。
ツキヨを、なるべく近いうちにもう一度呼び寄せしなきゃって考えてたし、その時も採取になるだろうから、今回で欲張り過ぎる必要はない。
そんな風に考えてた時、不意に何かの気配が凄い勢いで近付いてくるのを感じた。
シャムもツキヨもそれを察したようで、目線を送れば頷きを一つ返してくれる。
それはそうか。
何しろこの気配は、隠そう、抑えようとする様子もなく剥き出しだ。
人間である僕でさえわかるのだから、妖精であるシャムやツキヨが、先に察しない筈がない。
だがそれでも、シャムとツキヨがその気配に対して警戒を露わにする様子はなかった。
気配の数は一つきり。
けれどもそれは、とても強い気配だった。
外敵なんて恐れる必要がないと言わんばかりに、威風堂々と曝け出され、周囲を強く圧してる。
……こんな強い魔法生物がこの森にいたなんて。
あぁ、いや、違う。
いるって話は聞いていたのだ。
恐らくこれは、魔法学校が防衛の為に契約して森に配置してる魔法生物だろう。
いいやそれよりも、この気配から感じる独特の雰囲気は、……妖精だった。
ケット・シーの村で、妖精の領域で生まれ育った僕が間違える筈もない。
この剥き出しの気配の主は、間違いなく妖精である。
そう、だからこそ、僕よりも敏感にその気配を察していただろうシャムやツキヨが、それに対して警戒した様子がなかったのだ。
そして姿を現したのは、暗緑色の毛並みの、とても大きな犬。
森の防衛の為に魔法学校が契約をしてる妖精といえば……、そう、犬の妖精、クー・シーだった。
僕はそのクー・シーに対して、どういった態度を取るべきか、少しだけ迷う。
唐突に現れた相手は、警戒するのが当然だ。
けれども相手は妖精である。
もちろん妖精といっても、気が合う奴もいれば、そうじゃないのもいる。
その妖精にとってのタブーを犯せば、容赦のない攻撃を受ける事もあるだろう。
ただ、僕にとっての妖精は、付き合い方を間違えなければ敵対に至る恐れがまずない存在だ。
またこれまで、その付き合い方を間違えた事は、僕は一度もない。
相手が人間だったなら、場合によっては敵対してくるって、僕はもう身を以て経験している。
このウィルダージェスト魔法学校の中で、しかも生徒だと思わしき相手に、突然の攻撃を受けて怪我を負った。
なので……、正直にいえば、人間よりも妖精の方が、僕にはずっと安心できる相手だって認識なのだ。
だから迷いはしたけれど、結局、僕は構えを取る事なく、やって来たクー・シーを出迎える。
僕と並んだ、シャムとツキヨがそうしてるように。
「……珍しい同胞の声を聞き付けて様子を見に来てみれば、なるほど、君が噂に聞いた、妖精を友とする者か」
クー・シーは、僕らを見て少し驚いたように目を見張ってから、そんな言葉を口にした。
幼い頃からケット・シーと暮らしていた為、猫が喋る事には慣れてるけれど、クー・シー、犬の姿をした妖精が喋ってるのは、些か以上に違和感を覚える。
でも流石にこれは失礼過ぎて態度には出せないから、僕はその違和感を押し殺す。
どうやらこのクー・シーは、ツキヨの叫びを聞いて様子を見に来たらしい。
しかし幾らツキヨの叫びが大きいからって、森の奥、結界が張られてる付近にまで届くとは到底思えないんだけれど……、クー・シーの聴力は僕の想像を遥かに超えているのだろうか。
「ごきげんよう、森の番犬。でもここは君が守ってる場所じゃないでしょ。お勤めを放り出して、何しに来たの?」
僕がどう答えるか迷っていると、先に口を開いたのは、一歩前に進み出たシャムだ。
その言葉には敵意、ではないんだけれど、幾つも皮肉が混じってる。
あぁ、そういえば、シャムってクー・シーに関して、あまり良い風には思ってなかったっけ。
嫌ってるとまではいかずとも、融通が利かないとか、頭が固いって言ってたような覚えがあった。
……でも、この状況でそんな風に皮肉交じりの言葉をぶつけるのは、流石に拙いんじゃないだろうか。
シャム自身が口にした通り、相手は魔法学校が防衛の為に契約してる魔法生物、森の番人である。
いや、人じゃないから、番犬か。
少なくとも森の中では、失礼をして良い相手じゃないと思うのだけれども。
「まさか。森に入った強者の確認も、私の役割の一つだよ。そんな事は滅多にしないんだが、同胞を二体も連れた者がいるとなれば、確認くらいはすべきだろう」
だがクー・シーは、シャムの物言いにも特に怒った風もなく、そう言葉を返す。
うぅん?
少しばかり、シャムから聞いてた話と、このクー・シーの印象が異なる。
シャムはクー・シーの事を、融通が利かないとか、頭が固いなんて風に言ってたけれど、持ち場を離れて僕らを見に来て、しかしそれも仕事の範疇だと言い張るのは、中々に融通を利かせてる風にも思う。
そして僕には、クー・シーの年齢や感情は、外見からはさっぱり見分けが付かないけれど、声の調子から察するに、このやり取りを楽しんでいるようにも感じられた。
ちなみに、ケット・シーが相手なら、幼い頃から見慣れてるから、何となく随分と年嵩だなとかわかるし、喜怒哀楽も大体は見分けられる。
もしかすると、このクー・シーは、かなり年を経た妖精なのかもしれない。
どことなくだけれども、ケット・シーの村でも一番年嵩の爺様に、似たような雰囲気を纏ってた。
まぁ、その爺様は、何時も昼寝をしていて、自分の役割がどうとか、真面目な事は言わなかったけれども。
「ふぅん、それでボクらを見に来て、何かわかった?」
僕と同じ印象を抱いたのか、シャムの態度が少しばかり柔らかくなる。
元々、シャムはクー・シーを敵視してる訳じゃない。
それはツキヨも同じで、近付いてくるクー・シーを、同じ妖精だからと警戒する様子すらなかった事からもわかってた。
単にシャムは、融通の利かない相手に、自分がというより、僕が絡まれるのを嫌がっていたのだろう。
でも思った以上に相手のクー・シーが物分かりが良さそうだったので、態度を改めたという訳である。
「あぁ、会いに来たのは正解で、私にとっての幸運だった。同胞を連れし妖精の友よ。君に何の義理もないのは承知の上だが、どうか私の頼みを一つ聞いて欲しい」
クー・シーは、視線をシャムから僕に移して、円らで、とても理知的な目でこちらを見て、頼み事があると言い出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます