第156話


 森の中を更に奥へ。

 クー・シーが気配を剥き出しにしてるから、他の魔法生物は近寄っても来なかった。

 実はシャムやツキヨにもこれと同じ事はできるんだけれど、そうすると当然ながら動物系の魔法生物の素材は得られないから、採取の時には使えない。

 ただ移動に専念できるから、歩くスピードは速くなる。


「あんまり奥に行くと、僕は叱られるんだけどね」

 クー・シーが付いて来て欲しいと言うからここまで来たが、あまり進むとマダム・グローゼルが行くなと言ってた森の奥にまで踏み込んでしまう。

 この学校での出来事は彼女の掌の上と言っても過言じゃないだろうから、好んで禁を破って睨まれたいとは思わない。


「大丈夫だ。結界の近くには寄らない。それよりも、対価は本当にそんな事でいいのか?」

 問うクー・シーに、僕は頷く。

 クー・シーからの頼みに、僕が代わりに提示した対価は、これまでにも結界の整備が行われた事があったのか、あるとしたらどのくらいの頻度で行われたかを教えて欲しいというもの。

 これは結界付近に防衛の為に棲んでるクー・シーならば、かなり正確に把握してる筈。


 別に定期的に結界が整備されてて、たまたま今がそうなのだと言うなら、それはそれで構わない。

 僕は安心してクー・シーの頼み事を引き受け、妖精の為に少しばかり働いたという自己満足を得るだけ。


 だが僕の勘は、結界の整備には何か別の、単なる補修とは違う目的があると告げている。

 何故、どうしてという理由までは、クー・シーは知らないだろうし、たとえ知っていても僕に教える事はできないだろう。

 しかしこれまでに結界の整備が行われたどうか、またその頻度を知れば、裏があるのか否かくらいは察しが付く。

 裏があると確信できれば、調べる方法はなくもなかった。


「私と群れの仲間がこの森に棲むようになったのは、四十二年前に先代の校長、ハーダスと契約をしたからだ。その契約は今の校長、グローゼルにも引き継がれている」

 歩く足を止める事なく、少し懐かし気にクー・シーが口にしたのは、先代の校長であるハーダス先生の名前。

 その口ぶりからすると、クー・シーはこの一体じゃなく、契約を機に群れでこの森に移り住んだらしい。

 でもまさか、クー・シーの口からハーダス先生の名前が出てくるなんて思ってなかったから、少し驚く。

 考えてみると十分にあり得る話ではあったけれど、こう、契約と言えばマダム・グローゼルの印象が強いから、何だか虚を突かれた感じだ。


「結界の整備が行われるのは、私がこの森に来てからはこれで三度目。一度目はこの森に棲む事になったその年に、ハーダスが結界の構造を詳しく知りたいからと言って、奴の私欲で行われた」

 僕は実際には、ハーダス先生に会った事がない。

 この学校に来て、ハーダス先生を知った時には、既に彼は故人だった。

 だからハーダス先生が遺した物を見て、生前の彼を知る誰かからの話を聞いて、その人柄を想像するだけ。


 そしてマダム・グローゼルの話を聞いて受けるハーダス先生の印象と、クー・シーから聞いて受ける印象は全く違う。

 マダム・グローゼルが語るハーダス先生は、恐らく語り手の尊敬の念が強いせいもあるだろうけれど、とにかく凄い人だ。

 しかしクー・シーが語るハーダス先生は、もしかすると校長になったばかりの頃だからかもしれないけれど、なんだかちょっと、愉快な人の匂いがする。

 実際、ハーダス先生が遺した仕掛けは、後にそれを解く事になるだろう星の知識の持ち主、具体的には僕を、遊びに誘うような代物ばかり。

 単に僕だけがその仕掛けで遊ぶ訳じゃなくて、それを作ってるハーダス先生も楽しかったんじゃないかなって思わせられる事が多かった。


「次はその四年後。ハーダスが思い付いた事があるから結界に手を加えると言って行われた。今回が三度目だが、今回の整備の理由は契約上、私から教える事はできない」

 ただ、意外と整備の度にちゃんと理由が教えられてるんだなぁと、少し驚く。

 考えてみれば、群れで移り住んだというクー・シーにとって、この森は仕事場であると同時に生活の場でもある。

 それを騒がし乱すとなれば、理由を伝えるくらいは当然というか、怠れば反感を買うだろう。

 或いはそういった事はちゃんと伝えるようにと、契約にだって含まれているのかもしれない。


「だが私からは言えないが、整備が終わった後ならば、君が問えば、グローゼルは答えると思う。気になるなら尋ねてみると良い。……さて、到着だ」

 そう言ってクー・シーが足を止めたのは、ある一本の大きな木の下。

 クー・シーはトンと地面を蹴って跳ねると、枝に飛び乗り、更にそれを足場に高い場所へと上がり、木のうろに頭を突っ込んでから、飛び降りて僕らのところへ帰ってくる。

 口に、ぴいぴいと鳴く、小さな生き物を咥えながら。


 僕は両手を差し出し、クー・シーからその小さな生き物を受け取った。

 クー・シーが咥えてる時は小さく見えたけれど、実際に受け取ると、僕の掌が埋まるくらいには大きい。

 手に伝わる重さと温かさが、それが確かに生きてる事を僕に伝えてくる。


「間違いなく、フクロフクロウの雛だね。この子を引き取ればいいんだっけ?」

 確認の為に問うと、クー・シーは頭を上下に振って頷く。

 フクロフクロウとは、腹に袋を持つ、フクロウの魔法生物だ。

 有袋類なのか、鳥類なのか、どっちだって感じだけれど、魔法生物にそれを問うのは無意味だろう。


 フクロフクロウの腹の袋は特別製で、見た目の容量を無視してずっと多くの物を入れられ、中に入れた物の重さが外に影響を与えないという効果があった。

 僕が作る魔法の鞄も見た目の容量は無視できるが、重さの影響は消せていないので、性能はフクロフクロウの腹の袋が勝る。


 魔法生物学の授業によると、フクロフクロウは巣を持たない鳥らしい。

 またフクロフクロウは収集癖の強い鳥で、腹の袋に色々な物を集めて溜め込む。

 一部の鳥が、自分の巣に様々な物を持ち帰るように。

 フクロフクロウにとっての巣は、この腹の袋なのだろう。


 故に、子育てもまた、この腹の袋を使って行われるそうだ。

 卵の間、雛の間、フクロフクロウの子供は腹の袋の中で温められ、育てられる。


 ではどうして、そうやって腹の袋の中で大切に匿われている筈のフクロフクロウの雛がここにいるのかと言えば……、

「整備によって不安定になった結界に興味を惹かれた親鳥が、隙を見付けて中に入り込み、侵入者として我らに狩られた」

 うっかりと結界の中に入り込んでクー・シー達に狩られたからだという。

 そして狩られた親鳥の袋の中から、この雛が見付かった。


「厳密に言えば、この雛も侵入者になるのだろう。群れの仲間は、契約に従い、侵入者として雛を始末しろという者も多い。しかし私には、この雛を侵入者と見做す事ができなくてな」

 このクー・シーは雛を殺さずに木のうろに匿い、しかしやがては庇い切れなくなるだろう事に、頭を悩ませていたそうだ。

 ちなみにフクロフクロウの腹の袋を素材に使えば、より性能の高い、重さの影響を消した魔法の鞄を作る事もできるらしい。

 なのでフクロフクロウの腹の袋は、物凄く貴重な素材となる。

 クー・シーが雛を魔法学校に引き渡さなかったのは、それを知っているからだろう。


 でも、そこに僕が現れた。  

 妖精に縁があり、魔法学校の生徒でもある人間の僕が。


「生徒が発見したとするならば、教師達もまさか奪いはしないだろう。君が飼ってくれるのでもいい。君が信頼する者に任せるのでもいい。成長させて結界の外に放つのでもいい。妖精の友よ。この雛に、生きる道を与えてやって欲しい」

 そう、それがクー・シーの頼み事だった。

 何というか本当に、随分と甘くて、優しい頼み事だ。


 シャムから聞いてたクー・シーとは、全然違う。

 恐らく雛を侵入者として始末しろと言っていた仲間のクー・シーは、シャムが言ってた通りの性格なんだろうけれど、……僕には、今、目の前にいるクー・シーの方が、好感が持てた。


 正直、今は色々と抱えてるから、雛の世話はかなりの負担だ。

 フクロフクロウの雛を育てるなら、親の袋に近い環境の魔法の鞄を作って、常に連れ歩かなくちゃならなくなる。

 そうなると、魔法生物に詳しく、生き物に優しい友人、パトラに助けて貰う必要があるだろう。

 友人を頼る前提というのも情けない話だが、僕は夏にジャックスの初陣に付き合って戦場に行くから、流石に雛は連れていけない。

 しかしそれでもこの雛を生かしてやりたいってクー・シーの気持ちには共感したから。


「わかった。その頼み事、引き受けるよ。但し、この先は僕を妖精の友じゃなく、キリクって名前で呼んで欲しい。それから、君の名前も教えて欲しいな」

 だから僕はクー・シーの頼みを引き受けた。


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