第154話
森の中を歩いていると、確かに何時もと雰囲気が少し異なる。
採取にくるのは少し久しぶりだが、それでも普段の森の雰囲気を忘れる程じゃない。
これが結界を整備してる影響だとしたら、奥に進めば進む程、変化は如実になるのだろうか。
あぁ、いや、既に大きな変化を、僕は体験してる事に気付く。
ウィルダージェスト魔法学校では、二週間に一度くらいの頻度で雨が降る。
これは結界の外の天気とは無関係で、結界内の環境の維持する為に魔法を用いて降る雨だ。
だがここ暫く、確実に二週間以上は、僕は雨を見ていない。
去年、シールロット先輩に案内されて、本校舎に四つある塔の一つを登った時、僕はそこで強く魔法の力を感じさせる立方体を見た。
それはこのウィルダージェスト魔法学校、及び森の半分程を覆う結界を司る魔法の道具なんだそうだ。
立方体は全ての塔に置かれてて、連動して働く事で、内と外を遮る結界を維持したり、結界内に雨を降らせているという。
高い塔の上は空に近い場所で、世界の理の力が弱い。
故に強い魔法を用いるのに向いた場所だった。
つまりマダム・グローゼルが言う結界の整備は、恐らくあの場所で行われていて、その影響の一つとして、今は結界内に雨が降っていないんだろう。
言うまでもないけれど、生き物にとって水はとても大切な物だ。
魔法生物の中には一部例外もいるけれど、それでも多くの場合は、長く水を得られなければ命にも関わる。
もちろん普段より雨が降らないからといって、この森の水が枯れてしまうなんて事はないだろうが、植物、動物、魔法生物、その全てに何らかの影響は出てしまう。
具体的に言うと、僕が今から採取しようとする素材に、影響が出てる可能性があった。
シャムが僕の懐に潜り込み、僕が自分の耳を塞ぐと同時に、ツキヨがギャッと短く叫び声を上げる。
するとボトボトと、先程から僕を付け狙って追ってきていた吸血猿が三匹、気を失って樹上から落ちてきた。
吸血猿は長い円筒形の舌を持ち、それを獲物の体表に張り付かせ、舌の内側も生えている歯で肌を傷付け、体液を啜る魔法生物だ。
当然ながらそんな気持ちの悪い事をされると、狙われた獲物だって必死に抵抗をするだろう。
舌という柔らかな部位を外に晒すのだから、獲物に抵抗されれば吸血猿の側だって危険だ。
しかし吸血猿は獲物を襲う前には一定のリズムで手を叩き、それを聞いた相手を眠らせてしまうという能力があった。
そうして獲物を無力化してから、吸血猿は安全に血を啜る。
まぁ、そんな音で相手を眠らせる吸血猿が、同じく音を使う魔法生物であるツキヨの叫びで失神したのは、実に皮肉な話だけれども。
……でも、吸血猿が僕を狙ってくるなんて、実に珍しい。
吸血猿は、言葉を話す魔法生物程ではないけれど、それなりに知能が高くて、尚且つ慎重な性格をしている。
自分より強い相手を付け狙うなんて、あまり考えられない事だ。
まさかこの吸血猿達が、彼我の差を見誤ったとは思えないし……。
僕は懐からシャムと採取用のナイフを取り出すと、でろんと伸びた吸血猿の舌を、一部だけ切り取った。
吸血猿の舌からは、眠らせた獲物から血を啜っても起こさないよう、痛みを止め、傷の治りを早くする液体が分泌されてる。
故にこの部位は、ある種の魔法薬の素材になるのだ。
実は、わざわざ傷を治す効果のある液体を分泌している事からもわかる通り、吸血猿は獲物を襲っても死に至る程に吸い尽くす真似は滅多にしない。
血を失った獲物も、殺さずに傷を治して生かしておけば、再び自分達の餌となる血が体内で作られるのを、吸血猿は理解しているから。
尤も眠らされて、血を失って弱ったその獲物が、他の何かに狩られてしまう事も少なくはないのだが。
……それはそれで、獲物の肉を喰った何かが代わりに血を作るって事か。
だからこそ、そんな知能のある吸血猿が、僕を狙ってきたのは驚きだった。
何しろこの場には、僕だけじゃなくて妖精であるシャムやツキヨも一緒にいるのだ。
やはりそれだけ、森の生き物達は乾いて、普段よりも好戦的になってるんだろう。
「結界の整備かぁ……」
そんな影響を出してでもやる必要があるのだとは思うが、それが何なのかは、僕には想像も付かない。
マダム・グローゼルに問えば、教えてくれるだろうか?
笑って誤魔化されそうな気もするし、案外さらっと教えてくれそうな気もする。
ただ向こうから呼び出されでもしなければ、それを問う機会がまずないんだけれども。
吸血猿の舌の傷は、すぐに回復する筈だ。
さっきも述べた通り、そういう効果のある液体が分泌されてる。
しかし今のこの森で、失神した吸血猿が目覚めるまで、果たして無事でいられるかは、僕にもちょっとわからなかった。
まぁ、それならそれで仕方ないか。
吸血猿が眠らせた獲物を放置するように、僕も失神した吸血猿が目覚めるのをわざわざ待ちはしない。
「ツキヨ、ありがとう。今日は森の生き物が好戦的みたいだから、次もお願いね」
僕はツキヨに礼を言い、更にもう少し、森の奥へと足を進める。
引き返すって選択肢もあったけれど、傍にいるシャムとツキヨは、この森に生息する魔法生物なら、群れで襲い掛かって来てもどうとでもなると知ってるから。
近付くなといわれてる結界の辺りまではいかないけれど、もう後少しくらいなら問題がないと、欲してる素材を今日中に集めきってしまいたいと、そんな風に考えて。
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