第148話


 その手紙が僕に届いたのは、東方のホコチタルのサムライ見習い、イチヨウ・サキグチがウィルダージェスト魔法学校にやって来て丁度一ヵ月が経った頃。

 といっても水銀科の寮監から渡されたその手紙は、イチヨウから届いた果たし状、等ではなく、一年生の当たり枠、フィルフィからの物だった。


 話したい事があるから、本校舎の中庭に来て欲しい。

 渡された手紙にもう少し装飾があって、差出人がフィルフィでなく別の女の子だったら、もしかしたらラブレターかも?なんて期待をしてしまいそうなその呼び出し。

 ただ、そう、差出人がフィルフィである以上、そんな甘さのある話じゃないだろう。


 フィルフィ・シィエンテ。

 ジャックスに聞いた話だと、彼女はポータス王国の貴族である、シィエンテ子爵家の令嬢らしい。

 子爵というのは、ポータス王国では幾つかある貴族の身分の中でも、一番理解が難しい爵位だった。

 基本的に貴族は、爵位が高い方が偉くて、広い領地を持っている。


 だが子爵の殆どは、自分の領地を持たない貴族だ。

 いや、中には例外もいるらしいけれど、流石に僕はそこまで貴族の事に関して詳しくはないから、その辺りはさて置こう。

 すると子爵は領地を治めずに何をしていて、どうやって貴族としての生活を成り立たせる収入を得ているのかって話になるのだけれど、それは領地の代官や、国家を運営するにあたって必要な役職を務める事だった。


 例えば、直轄地と呼ばれる領地は、王家の大切な収入源の一つではあるけれど、だからといって王族が直接統治しているという訳じゃない。

 場合によっては王家の子息が領地経営を実体験で学ぶ為に統治を行う事はあるだろうが、多くは子爵の誰かが、代官として王家に代わって統治している。


 或いは法務、内務、外務等を行う文官も、子爵の仕事となっていた。

 魔法学校で学んでいると忘れそうになるが、高度な教育は本来とても高価なものだ。

 国を支える文官の育成ともなると、尚更だろう。

 そこで子爵家は、代々特定の分野に関して研究し、子息に教育を施しそれを受け継がせ、高い能力を持った文官を育てる役割を担っていた。

 法を研究してる家、治水を研究してる家、天候を研究してる家、数管理を研究してる家と、色々な家があるけれど、そうした子爵家こそが国を支える柱だとの見方もあるらしい。


 さてそうなると、同じ子爵家であっても、就いている役職で得られる収入も、周囲に与える影響力も大きく異なってくる。

 フィルフィの父親、現シィエンテ子爵は、法務長官という、かなり高い役職を得ているそうだ。

 法務は国の法を定めて施行されるように管理するだけでなく、侯爵、伯爵、男爵といった領地を治める貴族、要するに領主が領内で行った裁判に関しても、それが国の法から大きく逸れたものでないかを、監視、指導する事があるという。

 故に法務長官は、各地の領主、特に侯爵や伯爵といった強い力を持った貴族とは、関わる事も少なくなかった。

 そう、ジャックスのフィルトリアータ伯爵家とも、シィエンテ子爵には、実はある程度の縁がある。


「フィルフィ・シィエンテは私の婚約者の候補の一人だったよ。まぁ、私に魔法使いの才能があると判明した時点でその話は白紙になったけれども。王都の社交界に幼い頃から触れて育っているから、気位の高い女性だ。……まさか、彼女も魔法使いになるとはな」

 婚約者候補の一人というのが、どういう存在なのかは、貴族に関して詳しくない僕にはわからない。

 一人というからには他にも候補がいたんだろうけれど、あまり根掘り葉掘り聞くのも彼に悪いし。

 ただジャックスは、自分からフィルフィに関わる気はなさそうだった。

 つまりは、そういう事なのだろう。



 約束の時間に中庭に来ると、既にフィルフィはベンチに腰掛けて僕の事を待っていた。

 彼女は先に地面を歩いて行ったシャムを見て、一瞬表情を柔らかくした後、すぐに視線を上げて僕を見付ける。


「ごきげんよう、キリク先輩。以前にお会いして以来でしてね」

 そしてフィルフィは、僕の事を先輩と呼んだ。

 要するに、彼女も当たり枠が何なのか、誰かに話を聞いたのだろう。

 自分がそうであり、初等部の二年生ならアルティム、高等部の一年なら僕、高等部の二年生ならキーネッツがそうであるとも。


「お久しぶり、君がこの魔法学校に初めてやって来た日以来だね。もう、ここでの暮らしには慣れた?」

 僕は地面のシャムを抱きかかえながら、フィルフィに向かってそう返す。

 すると彼女は、自嘲気味な笑みを浮かべた。


「順調でしてよ。……と、言いたいところですけれど、一つだけ、どうしても我慢ならない事がありますわ」

 だとすると、その我慢ならない事が、フィルフィが僕を手紙で呼び出した用件なのだろう。

 どうやらこれは、イチヨウから果たし状が届いたのと、あまり結果は変わらなさそうだ。


「そろそろ、暴れてるあの方を、どうにかしていただけませんこと?」

 彼女の口から出たのは、イチヨウをどうにかしてくれという、頼み事。

 その内容に、僕は思わず苦笑いを浮かべる。

 今の初等部で、僕に縁があるのはアルティムくらいで、彼は僕に泣きつきはしないだろうから、下級生に頼まれて動くなんて事はないと思ってたけれども……。

 まさかフィルフィがそうして来るとは。


 だが、彼女の状況を考えれば、イチヨウは大いに目障りなのは確かだろう。

 本来ならば初等部の一年生を牽引していくのは、身分にも才能にも恵まれたフィルフィだろうに、突然やって来た、年齢も上で戦う実力も上の、例外中の例外が、それを全て台無しにしてる。

 ジャックスが気位が高いと評した彼女が、その状況を不満に思わない筈がない。


 ただ一つだけ、それでもフィルフィは、イチヨウの事を暴れてるあの方と称し、野蛮人だのなんだのと、侮蔑するような言葉は使わなかった。

 ポータス王国の貴族で、しかも幼い頃から社交界に触れて育ったという彼女と、遥か遠い異国のサムライ見習いであるイチヨウの価値観は、これっぽっちも交わらない筈なのに。

 これはフィルフィが、内心はともかく悪い言葉を使わない性格だったり、そうあるべしと教育を受けて来たからなのか、それともイチヨウの振る舞いが、価値観は違えど洗練された物に映るからなのか。

 少しばかり興味が湧く。


「何故、僕にそれを頼むの?」

 僕の腕の中を抜け出したシャムが、肩に上がって来る。

 甘い奴と言わんばかりに。

 恐らくシャムは、僕がもう、その頼み事を引き受ける気でいるのがわかっているのだろう。

 だってしょうがないじゃないか。

 一応問うてはいるけれど、フィルフィがわざわざ手紙で呼び出してまで、僕にこんな頼み事をする理由なんて一つしかないのだから。


「だって、この魔法学校で一番優秀なんでしょう? エリンジ先生にそう伺いましたわ。それから、何かあれば頼るようにって仰っていましたもの」

 ほら、やっぱり。

 僕がこの魔法学校で一番優秀かどうかはさておいて、彼女との縁はエリンジ先生を介したものだ。

 同じくエリンジ先生に幾らかでも学んだ身だから、僕はフィルフィの先輩で、彼女は僕の後輩だった。


 シールロット先輩が僕を色々と助けてくれたのは、切っ掛けはやっぱりエリンジ先生を介した縁があったからだと思う。

 だから僕も、その縁を介した後輩の頼み事は、引き受けてやりたいと思っているから。


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