第147話
「やぁ、ちょっと久しぶり。キリクと、それからシャムも」
本校舎の三階で、僕にそう話し掛けてきたのは友人の一人であるクレイだった。
どうやら彼も、おおよそ本校舎の三階に関しては、自由に歩けるようになったらしい。
クレイはシャムがケット・シーである事を知ってるから、両方に挨拶をしてくれる。
高等部にあがったばかりの生徒の多くは、前期は殆ど選択式の授業を受けられないと聞いたから、クレイのこれは間違いなく早い方なんだろう。
何しろ、僕はまだ他の同級生が三階を自由に動いてる姿を、まだ一度も見てないし。
「そうだね。でもこれからは、よく顔を合わせるんじゃないかな。何の授業を受けるかは、もう決めたの?」
クレイは、卒業した上級生であるアレイシアと仲が良かったし、探知の魔法を教わったり、ある程度の情報を与えられてはいた筈だ。
しかしそれでも、これだけ早くに三階を動けるようになったのは、やはり彼が人一倍に努力家だからだと思う。
「魔法史同好会には、もう参加を申し込んで来たよ。後は遺跡を調べる為にも魔法陣の勉強はしたいけれど、他は少し手が回りそうにないな。キリクは、色々受けてるって噂で聞いたよ」
だがそんなクレイでも、選択式の授業はあまり多くは受けない様子。
魔法史同好会は授業ではないけれど、古代魔法の研究には歴史の知識は重要だ。
また遺跡は魔法陣で守られてる事も多いから、探索、調査の為にその知識を得たいというのも頷ける。
クレイは恐らく、研究室に籠るよりも、フィールドワークがしたいんだろうなというのは、その選択からも感じられた。
ただそれでも一年生の、特に前期の間は、とにかく自分の科で専攻科目に集中して成果を出し、研究室を得る事を目標とするのだろう。
在学中に魔法の研究を進めるなら、研究室がなければ話にならない。
研究室がなければ、資金を稼ぐ為の仕事も碌な物が斡旋されないし、学校側からの支援も行われないからだ。
そして研究室を無事に得ても、今度はそれをどう活用して自分の研究を進めるかの基礎を作らなきゃいけないし、クレイがもっと多くの選択式の授業を受け、幅広い知識を欲したとしても、それが可能になるのは二年生になってからか。
やっぱり、僕が初等部の間に成果を出せて、高等部に進むと同時に研究室が与えられたのは、実に幸運だったと思う。
もちろんそれは、目標をそこに設定するべきだと教えてくれた、シールロット先輩に会えた事も含めての幸運である。
お陰で今の僕は、最初から選択式の授業を受けるゆとり、つまり目の前だけでなく広く周囲を見て、自分にとってより良い選択を選べるだけの余裕があった。
「そうだね。魔法陣の授業は僕も受けてるから、これまでの纏めを今度渡そうか」
だからこそ、こんな余裕のお裾分けを言い出す事もできる。
単に纏めを渡すだけだとわからない部分もあるだろうし、幾らかは僕が解説するのも良い。
復習をすれば、自分の理解度も高まるし、たまには初等部の頃のように、机を並べて勉強に励むのも、きっと楽しいだろう。
魔法史同好会に関しては、僕はまだ立ち寄っていなかった。
いや、恐らく関わる事はない。
マダム・グローゼルから大破壊の真実とウィルペーニストに関する話を聞いてから、僕の魔法史に対する見る目は少し変わってしまってる。
本来、卒業時に一部の生徒のみが知らされるというその話を、既に知ってしまった僕が魔法史同好会に関わるのは、あまり良くない事のようにどうしても思えてしまうから。
「ありがとう、魔法陣は難しいから、それは本当に助かるよ。そういえば、噂と言えば、留学生の話は聞いているか?」
クレイは僕の提案に頷いてから、……ふと思い付いたように、今、魔法学校内で一番多く話題にあがっているであろう噂を、彼もまた口にする。
東方のホコチタルの国から来たサムライ、正確にはサムライの見習いだという少年、イチヨウ・サキグチ。
彼は僕と同じ14歳らしいが、基本的な所属は初等部の一年生だった。
これは仕方のない話なのだけれど、ウィルダージェスト魔法学校の本校舎は、魔法に関する知識のない余所者が簡単にうろつける場所じゃない。
故に、基礎的な魔法の知識を与える為に初等部の一年生に加わる事となったイチヨウだけれど、彼はその待遇を大いに不満に思ったのだろう。
自分の力を証明しようと、周囲に対して手あたり次第に勝負を挑み出したのだ。
実に短絡的な行動だけれど、正直に言えば、イチヨウの気持ちも多少はわかる。
見習いとはいえ、彼はホコチタルの国の代表として選ばれたサムライだ。
幼い頃から訓練を積み、或いは既に実戦だって経験してるだろう。
そんな彼が、魔法を習い始めたばかりの初等部の一年生と机を並べる事になったなら、不満に思わぬ筈がなかった。
しかし魔法学校側の処置も、これもまた当然なのだ。
幾ら戦いの技術があろうとも、魔法を知らぬ者に本校舎は歩けない。
確かにウィルダージェスト魔法学校は生徒に戦う術を教える事に一定の力を割いている。
だが魔法使いは、強さが全てという存在では決してなかった。
幅広い知識を持ち、一般の人とは違う視点から物事を判断したり、魔法の研究をして新たな何かを見出したり、魔法薬や魔法の道具を作り出して人々に利を齎す。
魔法使いとは、そうした賢き人である。
つまりサムライの見習いであるイチヨウと魔法使いは大きく価値観が異なるのだから、この衝突は必然だった。
恐らくマダム・グローゼルも、この衝突を予想して、行き違いは大目に見ても、遠慮せずにぶつかるようにと、あの集会で示唆したのだろう。
サムライの見習いと、魔法使いの見習いがぶつかり合って、一体何が得られるのかは、僕にはさっぱりわからないけれども、魔法学校として何らかの思惑があるのは間違いない。
何故なら、この学校で勝負、模擬戦を成立させるには、本人同士の了承だけでは足りないからだ。
模擬戦であっても、魔法を用いた戦いには怪我が付き物で、治療の心得がある立会人なしでは行えなかった。
殆どの場合、それは教師の誰かになるから、イチヨウが幾度も勝負を挑めるのは、それを魔法学校が容認しているからに他ならない。
「初等部の生徒じゃ手も足も出ないらしいね。下級生に泣きつかれた高等部の生徒も数人戦ったそうだけれど、サムライって相当強いんだね」
今のところ、イチヨウは挑んだ勝負の全てに、殆ど怪我人も出さずに勝利してるという。
怪我人が出ていないというのは、要するにそれだけの実力差があって、イチヨウには加減をしてるって意味だった。
初等部の二年生の当たり枠、アルティムも勝負を挑まれて、粘る事すらできずに負けたらしい。
先月までは、今年騒ぎを起こすのは、初等部の一年生の、一番新しい当たり枠であるフィルフィだと思っていたけれど、とんだ問題児が現れたものだ。
高等部で負けた生徒が誰なのかまでは聞いてないけれど、やがては僕の友人もイチヨウと戦ったりするのかもしれない。
そして、もしもその知り合いが敗北したなら、……僕は一体どうするだろうか。
イチヨウの気持ちも、魔法学校側の理屈も、どちらも理解はできるのだけれど、ただ一つだけ思うのは、シールロット先輩の代わりに来た彼が暴れている今の状況は、何とも酷く不愉快である。
まるで僕の気持ちを察したかのように、肩でシャムがひと声鳴いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます