第146話


 高等部の一年生の前期が始まってから二ヶ月が過ぎ、初等部の頃とは大きく変化した生活にも慣れてきたある日、ウィルダージェスト魔法学校で学ぶ全ての生徒が、マダム・グローゼルによって講堂に呼び出されるという全校集会が行われた。


 校長が生徒を集めて話をする。

 星の知識、前世の記憶にある学校では割と普通にあり得た事だけれども、このウィルダージェスト魔法学校では本当に異例の出来事だ。

 僕がこの魔法学校に通い出してから、もう三年目になるけれど、少なくともその間では、これが初めての全校集会だった。


 そうなると気になるのは、一体マダム・グローゼルは僕らに何を話す心算なのかって事。

 待てば話して貰えるのはわかっていても、講堂に集まった生徒達は、ざわざわとそれを噂してる。


「キリクさんは、一体なんだと思います?」

 僕も同じ水銀科の仲間のミラネスにそう問われるが、心当たりは何もなくて首を傾げてしまう。

 まず学校内の話か、それとも外部の話か、それすらもわからない。


 周囲の噂話に耳を傾ければ、ボンヴィッジ連邦がルーゲント公国に大規模な侵攻を行ったんじゃないか、なんて言ってる生徒もいた。

 確かにそんな事態になったなら、こうやって生徒を集めて、戦場に赴く志願者を募る事もあるかもしれない。

 でもそれなら、全ての生徒を一同に集める前に、ルーゲント公国から来ている生徒達には、あらかじめ事情は教えている筈だ、

 そうしなければ、家族のいる祖国を攻められた彼らが混乱してしまい、落ち着くまではまともに話を聞かせられないだろうから。


 しかしルーゲント公国からやって来てる生徒、例えば黒鉄科に進んだシズゥを見ても、何かを知ってる様子がない。

 だから確実ではないにしても、ルーゲント公国に酷い出来事が起きているって話ではなさそうだ。

 更に周囲を見回しても、訳を知ってそうな生徒はいなかった。


 だとすると、学校の中で何かが起きるって報せだろうか?

 例えば、校長の交代とか。

 マダム・グローゼルの年齢を考えたら、ありえない話じゃないけれど……、前期が始まって二ヵ月の、この中途半端な時期にそれが起きるとは考えにくい。


 色々と考えてはみても、やっぱり正解は導き出せそうになかった。 

 だがそうして無駄に時間を潰してる間に、壇上にマダム・グローゼルが姿を現し、彼女がぐるりと講堂内を一瞥すると、噂話をしていた生徒達も皆がぴたりと口を閉じる。

 結局のところ、何の用件で集められたのかは、直接聞くのが一番早い。


「ごきげんよう、皆さん。突然こうして集まっていただいた事で、少し不安にさせてしまったようで、申し訳なく思います」

 マダム・グローゼルはそう言って、皆に向かって軽く頭を下げる。

 けれどもそうやって頭を下げても、柔らかい言葉を使っても、彼女が纏う雰囲気は変わらず、誰も無駄口を発する事はなかった。 


「本日は二つ、皆さんにお伝えする事があります。一つは前期の後半に、ウィルダージェスト魔法学校を囲う結界を整備しますので、その間は森の奥には行かないようにして下さい」

 そしてマダム・グローゼルの口から出た報せは、少しばかり予想外なで、拍子抜けしてしまうもの。

 ……いや、もしかすると、これはこれで大事なんだろうか?

 ウィルダージェスト魔法学校を囲う結界と言えば、大きく古く、強力で安定した物の筈。

 なのにそれを、生徒が森に入る事を禁じなければならないくらいの、大掛かりな整備を行うなんて、一体何があったのか。


 或いは、何かがあったんじゃなくて、これから何かがあるのかもしれない。

 例えば、安定した結界を敢えて長く揺らがせて見せる事で、敵対勢力を誘っているなんていうのは、……流石に少し考え過ぎだろうか?


「防衛の為に契約をしてる魔法生物も、結界の整備中は神経質になりますので、下手に刺激すると生徒であっても襲われるかもしれません。どうしても森の奥に用事がある場合は、学校に申請し、手の空いた教員に付き添って貰ってくださいね」

 あぁ、そういえば、そんなのもいるって言ってた。

 僕が知ってるのは、妖精の一種であるクー・シー達が、……恐らくマダム・グローゼルと契約して森の奥に棲んでるって話だ。

 ここで言う防衛とは、外から結界を越えてきた侵入者への警戒もそうだろうけれど、森に棲む魔法生物が、結界を越えて外に行ってしまわないようにもしているって意味だと思う。


 魔法学校を囲む森に棲む魔法生物の中には、僕ら魔法使いならともかく、魔法の使えない一般の人間にとっては深刻な脅威となるものも混じってる。

 そうした魔法生物が結界を出て森を抜け、万に一つでも王都に行ってしまったら、それは大きな騒ぎになりかねない。

 普段の結界なら、余程の事がなければ超えるのは難しいと思うけれど、整備中はどうなるかわからなかった。

 故に防衛の為に契約をしてる魔法生物が、神経を尖らせて結界付近を守るのだろう。


「次にもう一つの報せですが、一部の生徒はご存じかも知れませんが、今年は我が校に在籍する生徒が一名、遥か東方のホコチタルの国に留学をしています」

 けれどもそれよりも、次にマダム・グローゼルが口にしたもう一つの報せ。

 そちらの方が、僕の興味をより強く惹き付けた。

 何しろ彼女が口にしたのは、間違いなく東方に留学したシールロット先輩の事だったから。


 もちろん、僕はシールロット先輩には振られてしまって、今となってはそれも十分に納得してるのだけれども、だからと言ってその情報が気にならない筈がない。

 ホコチタルの国。

 東方に行ったとは聞いたけれど、そんな名前の国に行ったのか。


「その代わりに、このウィルダージェスト魔法学校でも彼の国の若者を一人預かる事となりました。もう一週間もすれば、彼はこの学校にやってくるでしょう」

 ただ、マダム・グローゼルはそれ以上はシールロット先輩の事は口にせず、この魔法学校に東方からの留学生が来る事を告げた。

 僕としては残念だったけれど、周囲の生徒はそれに大いに興味をそそられたらしい。

 遥か東方の人間は、僕だけじゃなく、多くの生徒にとっても全く未知の存在だ。

 貿易国であるサウスバッチ共和国の港には、船で海を渡ってきた異邦人が訪れる事もあるそうだけれど、僕らがそれを目にできる訳でもないし。


 シールロット先輩が留学を希望して、すんなりとそれが通る辺り、ウィルダージェスト魔法学校と、ホコチタルの国の間には、以前から友好関係、それなりの縁が結ばれていたのだと思う。

 こちらから一人行くのだから、向こうからも一人預かる。

 口にするとその一言だが、実際には知識、技術の交換や、互いの友好関係の確認なんて意味も、この留学生の交換にはあるんじゃないだろうか。


「彼には特別な魔法の道具を貸し与えるので言葉には不自由はしないでしょうが、こちらの習慣、風習、作法には疎いのですれ違いが生じるとは思いますが、些細な行き違いにはあまり目くじらを立てぬよう、けれども過剰に遠慮をして阿る事もないよう、対等の人として接するようにお願いしますね」

 マダム・グローゼルは、最後にそんな言葉を口にして、話を終えた。

 ……なんだろうか、少しばかり意味深だ。


 すれ違いが生じるだろうが、習慣、風習、作法に疎いだけだからある程度は大目に見てやれ。

 これはわかる。

 例えば食べる物や、食べ方の違い。

 とある地域では最上級のもてなしである御馳走が、他の地域の者にとっては食べるなんてとても信じられないようなゲテモノだったなんて事は、あって当然だ。

 食事を綺麗に食べ切る事が作法の国もあれば、逆に残すのが作法の国もある。

 或いは飲酒をできる年齢が全く異なるなんて場合もあった。

 これらは、違って当たり前だという意識がなければ、簡単に揉め事の火種となってしまう。


 しかしその後に続いた過剰に遠慮をして阿る事もせず、人として対等に接するようにというのは、まるでぶつかり合っても構わないと、許可を出した風でもある。

 遥か東からやって来る留学生、謂わば客に対して、遠慮をするなって言葉が出てくるなんて、……つまりは舐められるなって事なんだろうか?


 実際の意図がどうなのかはともかく、そう受け取る生徒は幾人もいるだろう。

 そしてマダム・グローゼルだって、そう受け取られてしまう事くらいは、わかっていて口にした筈。

 ……彼女にそんな風に言わせるなんて、一体どんな留学生がやって来るというのか。

 シールロット先輩の代わりにこの魔法学校にやって来るって考えると少しばかり不快だけれど、だけど僕もその留学生には、幾らかの興味を抱かずにはいられなかった。


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