第145話
高等部で水銀科に進んだ僕にとって、最も大事な授業は、当然ながら錬金術だ。
しかし初等部の頃は錬金術に関わる内容は全て錬金術という一つの授業で学んだが、高等部では、というよりも、水銀科では少しばかり事情が異なる。
そう、錬金術と一口に言っても、含まれる範囲が広過ぎて、専門的に学ぶのならば、どうしても細分化する必要があった。
例えば、錬金術を得手とし、水銀科に進んだ生徒にだって、魔法薬を作るのが得意な者もいれば、魔法の道具を作る事に興味がある者もいるだろう。
もちろん魔法の道具を作る場合でも、魔法の力を宿した素材を作るのに、魔法薬を使って力を移したりするから、その両者が完全にバラバラって訳じゃないし、広い範囲を習得するのが理想だ。
だが自分の得意な、興味のある分野を突き詰めようと思うなら、やはりそこに集中して力を注ぐ必要はある。
故に、水銀科での錬金術の授業は、錬金術1は魔法薬に関わる内容、錬金術2は魔法の力を宿す素材に関わる内容、錬金術3は魔法の道具の製作に関わる内容といった風に細分化されていた。
このうち、魔法の道具の製作に関しては、水銀科に入った事で漸く習えるようになった、高度な錬金術だ。
そして水銀科に入った事で解禁された錬金術はもう一つあって、錬金術4はその他という名前になっているが、主な内容は毒の扱いである。
毒の中には効果を薄める事で薬となる物もあるし、何よりも解毒の魔法薬を作ったりもするから、既にある程度は毒に関しても習っているけれど、真に危険な毒の扱いに関しては、水銀科でしか教えて貰えない。
高等部では自主性を重んじているのか、どの授業を受けるかは自身の選択に任される。
授業は学年の区別なく行われる為、一年目は錬金術1を、二年目は錬金術の2と3を学ぶなんて真似も可能だ。
水銀科の生徒は、錬金術1、2、3の中から、どれか一つを選び、その試験を受ける必要があるけれど、仮に自分の研究で成果を出していたならば、その試験中に居眠りをして0点を取っても、何も咎められる事はない。
当然ながら、態度は悪いなって思われはするだろうけれども。
自分の研究が順調ならば、そもそも試験を受けないって選択肢も取れるので、多くの上級生はそうするという。
なので学年が進めば進む程、自分の研究が最優先となる為、三年生が授業や試験を受ける事は殆どないそうだ。
他にも、水銀科で教えてくれる授業には採取と商業があった。
採取も、初等部の頃は錬金術の授業に含まれていたけれど、高等部ではより高度な、或いはより特殊な素材の採取法を、希望者に教えてくれる。
そして商業は、自分達が錬金術で作るアイテムがどの程度の価値を持つのか、どのようにしてそれを売れば良いか、素材を買い取る時の方法や価格、職人に部品を依頼する方法等を、教えてくれる授業だ。
恐らく、卒業した後は最も役立つ知識を教えてくれる授業なんだろうけれど、水銀科の生徒から最も人気のない授業も、残念ながら商業だった。
ちなみに試験がある錬金術の1、2、3を教えてくれるのは水銀科の第一教師であるクルーペ先生だけれど、錬金術の4、及び採取と商業を教えてくれるのは、若いクルーペ先生にさっさと第一教師の座を譲った変わり者と言われる初老の教師、第二教師のジォード先生であった。
「毒の中には熱を加えると無害になる物もあるが、この氷呪蛇の牙から分泌される毒液、及び血は、逆に熱が加わる事で毒性が発揮される面白い毒だ」
錬金術を行う為の設備が整った教室、実験室に、ジォード先生の声が響く。
今、僕が受けている授業は、錬金術4、つまり毒の扱いだ。
これもあまり人気のない授業で、僕以外にこの教室にいるのは、同級生のセビジャと、他に二年生が一人だけだ。
いや、セビジャがわざわざ毒の扱いを覚えようとしてる事はかなり意外だったんだけれど、要領の良い彼は、毒を扱えるようになれば身を守る上で有利になると考えたらしい。
以前に魔法生物学の授業で習ったが、氷呪蛇とは、この辺りではノスフィリア王国にある万年雪が積もっている山にのみ生息するという、出会うと積極的に人間を襲ってくる類の、大蛇の魔法生物である。
尤も、氷呪蛇は極寒の環境でしか生きられない魔法生物であり、己の住処である山から出てくる事はあまりない。
人間の方でも、わざわざ雪山に足を踏み入れる無謀な物好きはごく僅かなので、氷呪蛇による被害は、少なくともウィルダージェスト同盟に加わってる国々では、殆どなかった。
ただ、更に北方、厳しい寒さの地域では、氷呪蛇が自由に動き回り、人里を襲う事もあるそうだ。
氷呪蛇の名前の由来は、その牙を受けた者は、たとえその傷で死ななかったとしても、氷呪蛇と同じく、極寒の環境でしか生きられない身体になってしまうから。
火にあたったり、湯で身体を温めようとしただけでも、苦しみ抜いて死ぬようになるそうだ。
「この氷呪蛇の毒液や血が毒性を発揮するのは、人の体温くらいから。だけど熱を加えれば加える程、その毒性は強くなって分離されるよ」
ジォード先生はどこか楽しそうに、瓶に入った液体、氷呪蛇の毒液だか血だかを火にかける。
すると間もなく、瓶に入った液体からは紫色の煙が立ち上って、彼は風の魔法を使い、それを別の瓶の中へと運ぶ。
まさか、あの煙がその分離された毒性とやらだろうか?
椅子の上から、その様子を見ていたシャムが顔を顰めてるから、恐らくかなり危ない毒らしい。
もちろんシャムの表情なんて、僕くらいにしかわからないだろうけれども。
「そうだね。この加熱の最中に出る煙がその毒性の塊。魔法使いなら少しは耐えられるけれど、普通の人間なら一息吸えば即死するくらいの魔法の毒だから、絶対に吸わないように」
危険な毒を扱いながらも平然としてるジォード先生だけれど、正直、僕らとしては気が気じゃない。
熟練の魔法使いがそんなミスをする筈がないとわかっていても、万に一つ、あの煙がこちらに流れてきたらと構えてしまう。
暫くの間、緊張感に満ちた時間が続き、……けれどもやがて、液体から立ち上る煙も止まった。
するとジォード先生は、毒の煙を詰めた瓶に、栓をキュッと詰めて、完全に封じ込める。
「さて、こうして煙が出なくなれば、毒性はもう完全に分離され、残った氷呪蛇の体液は、強壮、及び耐寒の魔法薬の素材になる」
そう言って、彼は僕ら、授業を受ける三人の顔を順番に見回す。
まるで理解度を測るかのように。
あぁ、うん、なるほど。
確かに少し面白い。
強壮、及び耐寒の魔法薬の材料にはなるけれど、解毒薬は作れないのか。
少しだけ、納得がいった。
生物由来の毒に抗う薬や、解毒薬を作る場合、その毒を持った生物の体液が素材の一つになる事は非常に多い。
何故なら、毒を扱う生物自身は、殆どの場合その毒への耐性を備えているからだ。
牙の毒で獲物を仕留めました。
しかしその獲物を食べたら、分泌した毒のせいで自分も死にました。
これが話にならないのは当たり前だろう。
でも無毒化した氷呪蛇の体液は、その毒に対する薬の素材にはならないという。
つまり氷呪蛇は、自身の毒に対する耐性を備えていない。
あぁ、だから氷呪蛇は、極寒の環境にしか生息せず、そこから出てくる事がないのか。
極寒の環境から出てしまえば、自身の血液に含まれる毒が分離され、氷呪蛇を殺してしまうから。
或いは極寒の環境に生息し、そこから出る事がないからこそ、自身が毒の耐性を備える必要がなかったのかもしれない。
ただ、どちらが先であっても、結果は同じだ。
「よろしい。こちらの毒の煙の方は、これだけでも十分に強力な毒だが、更に危険な毒性の強い猛毒の素材の一つになる。そちらに関しては他の素材となる毒を教えた後に扱うから、知りたければこれから数回は必ず授業に出なさい。さもなければ教室にも入れないので、注意するように」
ジォード先生は頷いてから、僕らに向かってそう告げる。
その言葉はサラリと発せられたけれど、十分な重みを伴っていた。
彼は確かに変わり者ではあるけれど、それでも長く経験を積んだ魔法使いで、ベテランの教師なのだ。
「では君達も、実際に毒の分離をしてみようか。毒の扱いには何時も通り、細心の注意を払うように。死にたい場合は別に構わないけれど、私の授業以外で頼むよ」
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