第139話


「初めまして、マーシャです。お兄ちゃんが、シアンの言ってた魔法使いさんなの?」

 7歳くらい女の子が、僕に向かってペコリと頭を下げる。

 あぁ、うん、とても可愛らしい。

 こちらの世界に生まれてから、小さな子供と関わる機会なんて殆ど……、いや、全くなかったから、凄く新鮮だ。


 生まれ育ったのはジェスタ大森林にあるケット・シーの村だから、当然ながら人間と接する事なんてなかった。

 魔法学校に来てからは多くの人に会ったけれど、生徒や教師が主である。

 年下との関わりと言えば、一年後輩のアルティムと接したくらいじゃないだろうか。

 でも彼は確かに年下だけれど、小さな子供という訳では決してないから。


「そうだね。僕がその魔法使いのキリクだよ。こっちは友達のシャム。よろしくね」

 僕は目線を合わせて女の子、マーシャに名乗り、それからシャムを紹介する。

 今日、僕が彼女に会いに来たのは、王都の花屋に住み着いたケット・シー、シアンに頼まれたからだ。


 その頼み事とは、マーシャが母親の誕生日に贈るプレゼントを、一緒に見繕ってやる事。

 マーシャはこの日の為に、花屋の手伝いをしながら少しずつお駄賃を溜めたんだとか。

 しかし七歳の子供が、店の手伝いでもらえるお駄賃なんて、本当に些細な金額だ。

 一生懸命に溜めたとしても、店で何かを買うというのは難しい。


 いや、きっとマーシャの母親は、娘からのプレゼントなら何を貰っても喜ぶとは思う。

 僕の勝手な願望だけれど、母親とはそうであって欲しかった。

 恐らく、僕を産んだ母親はそうじゃなかったんだろうけれど、……だからこそ、他人にはそれを求めてしまうのかもしれない。

 ……いや、僕の勝手な想いはさておき、しかし頼み事をしてきたシアンが重視するのは母親じゃなく、マーシャ本人の納得度、満足度だろう。

 シアンがあの花屋に住み着いているのは、マーシャが気に入ったからだと言ってたから。


 あぁ、ちなみにそのシアンは、今は花屋で看板猫の仕事中だ。

 単に並べられた花の間で寝そべってるだけだが、実際にシアンがそうしてる日といない日では、売り上げが少し変わるらしい。

 なのでマーシャがシアンを連れて出かけると、特別な用事があると母親にバレてしまうので、シアンは店から動かず、マーシャは友達と遊んでくると言って家を出て、僕との待ち合わせ場所にやって来た。


 うん、これは下手をすると僕が誘拐犯にでも間違えられてしまいそうな流れだけれど、この町ではウィルダージェスト魔法学校の制服にはかなりの信用がある。

 これを着ている限り、問答無用で官憲に通報される事はないだろう。


 さて、話を戻すが、店でまともな品を買うには金が足りず、かといってお駄賃の範囲で買える物を選んだのでは、マーシャの満足度が低い。

 かといって僕が金を出すというのは解決にならないというか、論外で、それこそマーシャの母親に不審がられてしまう。

 では一体どうするか。

 それはもちろん、手作りをする以外に方法はない。

 いや、あるのかもしれないけれど、僕にはそれ以外に思い付かなかった。


 材料を買って、マーシャが自作する。

 それなら彼女のお駄賃の範囲でも買える物があるし、更にその材料の中に僕が用意した物が一つや二つ混じっても、そこまで大きな問題じゃない筈だ。


 マーシャと手を繋いで向かうのは、彼女が時折お使いに行くという雑貨屋。

 ここでマーシャが購入するのは小麦粉と卵だ。

 そう、今回は小麦粉を使った焼き菓子を、誕生日のプレゼントにする予定だった。


 子供が誰かに贈り物をする時、基準となる考えには自分なら何を貰えば嬉しいのか、というのがある。

 大人になれば欲求は複雑化し、欲しい物、必要なものはそれぞれに異なるから、贈り物は相手が何を欲するかを考えて行う必要があるけれど、子供の頃の欲求はまだ比較的だが単純だから。

 特別な時にしか口にできないお菓子。

 自分がとても嬉しいそれならば、母親もきっと喜んでくれるだろうと、マーシャは考え、プレゼントにそれを選んだ。


 実は小麦粉と卵だけでは美味しい焼き菓子はできないが、マーシャが貯めたお駄賃ではこれ以上はもう買えない。

 だから残りの材料は、僕が既に用意していた。

 ただそれらの材料もお金を出して用意したんじゃなくて、先日、魔法学校の周りの森で採取をした時、ついでに採っておいた物である。


 品は、森蜂の蜜と油脂の実。

 それぞれ、砂糖とバターの代用品だ。

 森蜂の蜜は、少しばかり質のいい蜂蜜で、油脂の実はねっとりとした、あまり味のしない果実だった。

 砂糖とバターは子供が買うには高いので……、採取のついでに確保しておいた、つまり無料で手に入れたこれらの代用品を用いる。

 尤も誰かに売りつけるとしたら、森蜂の蜜も油脂の実も、砂糖やバターよりもずっと高価になってしまうけれども。


 材料が全て揃えば、次に向かうのは僕の知り合いの家だ。

 焼き菓子を作るにはキッチンと調理用の石窯、オーブンを借りる必要がある。

 魔法学校の寮に部外者を勝手に招き入れる訳にはいかないから、王都の誰かに借りなきゃならない。


 この王都で、僕が知ってる家はたった二つ。

 一つはパトラの実家で、もう一つはジャックスの、フィルトリアータ伯爵家の屋敷。

 そして今回向かうのは、もちろんパトラの実家、……ではなく、フィルトリアータ伯爵家の屋敷だった。


 いや、普段ならパトラの実家を頼るのが正解なんだろうけれど、マーシャの花屋にはケット・シーのシアンがいる。

 何時か自力でケット・シーの村に行く事を目標に黄金科に進んだパトラ。

 彼女が今回の事情を聴くと、もしかするとシアンと契約したがるかもしれない。

 でもそれは、きっとお互いにとって幸せな出会いとはならないだろう。

 何故ならシアンには、既にマーシャという大切な存在がいるから。


 その点、フィルトリアータ伯爵家の屋敷なら、ジャックスに頼めば詳しい事情を聞こうとする事もなく、すぐさま僕の望み通りに手配してくれた。

 パトラにはとても申し訳ないけれど、ジャックスを頼ってフィルトリアータ伯爵家のキッチンとオーブンを借りる事にする。


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