第140話


「シャムがお話しできるのも、シアンと同じで内緒なの?」

 油脂の実がペースト状になるまで潰して練り、蜜と卵を加えて更に混ぜ、小麦粉を入れて生地にしていく。

 僕が一人でやれば簡単な作業も、小さなマーシャの手で行うと、それは途端に大仕事となる。

 その大仕事がひと段落し、僕が魔法で生地を冷やして寝かせていると、不意にマーシャがそう問うた。


 あー、うん。

 意識を研ぎ澄ませて周囲の気配を探っても、聞き耳を立てているような誰かはいない。

 屋敷の使用人達は、僕がジャックスに頼んだ通り、キッチンとオーブンを貸す以上の、必要以上の干渉はしないようにしてくれている。


「そうだね。お話しできちゃうと、他の猫の飼い主が、どうしてうちの子は話せないんだって騒いじゃうかもしれないからね。でも、良くシャムがお話しできるってわかったね?」

 周囲を確認してから、僕はピンと立てた人差し指を唇に当てて、しーっと秘密の話をするポーズを取り、マーシャに対してそう告げた。

 人間の世界でケット・シーが目立って、いい事なんて殆どない。

 無害そうに見えて実は人間よりもずっと強い生き物が身近にいる。

 その事は人間を恐れさせもするし、要らぬ欲を掻き立てもするだろう。


 またケット・シーは、その姿を見た人間が期待する程、都合のいい存在では決してない。

 確かに彼らは人間に対してそれなりに友好的で、その社会に紛れて暮らしてたりもする。

 しかしケット・シーは人間の隣で暮らしながらも、別に人間が定めたルールに従ってる訳ではなく、自分達の都合で好き勝手に生きていた。

 人間の世界に紛れていても、彼らはあくまで妖精で、つまりは魔法生物だ。

 魔法使いならともかく、普通の人間では並び立てない存在である。


 シャムは僕に、シアンはマーシャに寄り添って生きてくれているけれど、それは特別な幸運だろう。

 仮にシャムやシアンの正体を知った誰かが、ケット・シーを自らの物にせんと無礼な真似を働けば、迷う事なくその爪で引き裂く。


「うん、だってシアンと同じ感じがするもの。……そういえば、キリクお兄ちゃんもちょっと不思議な感じがする」

 僕の言葉に、マーシャはさも当然とばかりにそう返してきて、……僕は思わずシャムを見る。

 するとシャムは、僕に向かって頷いた。

 あぁ、出会った時から薄々気づいてはいたけれど、やっぱり、そうなのか。


 この子は魔法使いとしての才に恵まれた、強い魂の力を持つ、ウィルダージェスト魔法学校で言うところの、当たり枠だ。

 いや、マーシャと同年代に彼女以上の才能の持ち主が存在していたら、当たり枠には選ばれないかもしれないけれど……、うぅん、まぁそれはほとんど無視していいくらいの確率だった。

 これまでの会話から、星の知識、前世の記憶なんてものには縁がなさそうな事はわかるけれど、それでも才能はシールロット先輩に迫るような、天才の部類だと思う。

 特に魔法に対しての感覚が、とても鋭い様子だ。

 マーシャは7歳と言ってたから、五年後くらいには、エリンジ先生がこの子を迎えに来る事になるだろう。

 尤も、その頃はもう、僕は魔法学校に生徒として在籍していないだろうが。

 

「そうだねぇ。僕はシャムと仲良しで、マーシャはシアンと仲良しだから、そんな感じがするのかもね。よし、じゃあそろそろ金型を選んでおこうか。」

 僕は話題を変える為、マーシャの目の前にクッキー生地を型抜きする金型を並べていく。

 星の形、猫の形、花の形、etc。

 この金型を作ってくれたのは、先日関わった鍛冶職人だ。

 縁ができたので折角だからと訪ねて頼んでみたら、そんな簡単なもので良いのかと拍子抜けした風に言いながら、ひょいひょいひょいっと、見る見るうちに作ってくれた。


 マーシャは並べた金型に夢中になってくれたので、僕は安堵に胸を撫で下ろす。

 彼女に魔法の才能があったとしても、それを知るには流石にまだ早いだろう。

 あまりに早くそれを知って、マーシャが自分は特別な存在なのだと勘違いしてしまうと、彼女の人生が歪みかねないから。

 自分の才能に気付くのは、12歳になって迎えが来て、魔法学校に入ってからで十分だ。


 ただ、シアンとは少し話した方が良いかもしれない。

 魔法の才能が豊かな子供である事がバレると、それを狙う者もいる。

 例えば星の灯という組織は、魔法使いを否定しながらも、魔法の才能を持った子を狙っているという。

 そして僕は実際に、元々はウィルダージェスト魔法学校に所属しながら、星の灯の執行者になったベーゼルと戦って、腹に穴を開けられた。


 先日、新しい年に変わったタイミングで、ベーゼルの学籍は消え、彼が魔法学校に侵入する事は難しくなった筈だ。

 しかしあれだけの実力者なら、魔法学校は厳しくとも、或いは王都になら侵入できるかもしれない。

 ポータス王国の王都は、ウィルダージェスト魔法学校とも距離が近く、お膝元ともいえる場所で、更にケット・シーのシアンが付いてるのだから、守りは非常に硬いけれども……、万に一つの可能性はある。

 シアンには警戒するように忠告して、その上で彼女が許すなら、マダム・グローゼルにもマーシャの事は話しておこう。


 マーシャが手に取ったのは、猫の形の金型で、彼女はそれを気に入ったらしく、嬉しそうに眺めてる。

 生地もそろそろいい頃合いだろうか。

 金型で生地から型を抜いてオーブンで焼けば、美味しい焼き菓子、クッキーができるだろう。


 クッキーは大量に作る予定だ。

 マーシャの母親に誕生日プレゼントとして贈る分以外にも、僕とマーシャが齧ったり、オーブンの御礼に屋敷の使用人や、ジャックスに分ける分も。

 火加減は完璧になるように魔法で調節するから、焦がしたり、逆に生焼けだったりする事はない。 

 流石に火の扱いは、子供のマーシャに任せられる領分を超えてるから、自重せずに魔法を使う。


 楽しそうに生地から型を抜いて行くマーシャに、猫の形ばかり作られてもバランスが悪い為、僕も負けじと星の形の金型を手に取った。


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