第136話
今回、僕が森で採取しようとしてる素材は三つ。
首吊りの木の蔦と、鉄鋼蛾の幼虫が吐く糸、それと斑蜥蜴の舌の皮だ。
蔦に糸に皮。
これらの素材からわかる通り、今回僕が作ろうとしてるのは弓その物じゃない。
矢を番えるための弦だった。
弓の本体を弄ろうとすると、どうしても鍛冶職人の下に出掛けたり、或いは何度も品を送り合ったりする手間が掛かる。
だが弦のみなら、僕の方で作って、鍛冶職人に送り付ければ、後は向こうの調整で事が済む。
これなら僕のみならず、鍛冶職人の手間を最小限に抑えられて、より良い評価が得られるだろうと考えたのだ。
一つ目の首吊りの木は、遠目にはただの蔦がぶら下がった木だけれど、生き物がその蔦に触れると、あっという間に首に巻き付き、強い力で吊り上げてしまう。
そうやって獲物を窒息させて殺した後は、再び蔦はだらんと垂れ、やがて地の肥やしとなる。
仮にその骸を他の獣が食べに来たら、やはり蔦の餌食となるといった、かなり凶悪で強欲な仕組みだ。
ただここで重要なのは、そうした凶悪さ、強欲さではなくて、首吊りの木の蔦は、特定の条件で強い力で伸び縮みする特性があるって事だった。
二つ目の鉄鋼蛾は、成虫はまるで金属のように硬い外皮に包まれた巨大な蛾だ。
但し金属のようなのはその硬さだけで、重さは金属よりもずっと軽い。
まぁ、そうじゃなければ羽ばたきで飛んだりはできないだろうし。
この鉄鋼蛾は鱗粉も集めると、硬くて軽い素材が作れるのだけれど、今回欲しいのは幼虫が吐く糸である。
幼虫は成虫と違って硬い外皮は持たないけれど、代わりに頑丈な糸を吐く。
そしてその糸で繭を作って、幼虫から成虫への変態を行うそうだ。
恐らく繭の成分を身に纏う事で、成虫は硬い外皮を手に入れているのだろう。
幼虫が吐く頑丈な糸は、今回の弦のメインとなる素材にぴったりだった。
最後に斑蜥蜴は、体に斑模様がある蜥蜴、ではなくて、大きく保護色で周囲に溶け込む蜥蜴だ。
では何が斑なのかと言えば、舌が斑模様になっていて、その部分に触れるとビリっと痺れる。
僕はその、痺れる部分の皮が欲しかった。
今回、僕が作りたいのは強い矢を放つ為の弦。
これを幾つも作って件の鍛冶職人に託しておけば、その冒険者が弓を損耗して新たな物を求める時にも対応が可能だろう。
或いは別の冒険者だって、その弦を使った弓を欲するかも知れない。
ただ今回揃える素材が、その弦を作る為に最良の物という訳ではなかった。
実際のところ、この森で素材を求めるよりも、ジェスタ大森林の方がより多様な素材が手に入る。
しかしジェスタ大森林は多様な素材の在り方が、広くあちらこちらに散らばっている為、普通に集めようと思ったら冬の休暇も終わってしまう。
何より、素材の値段が上がる分、向こうに要求する金額も跳ね上がるのだ。
それで僕が損をする訳ではないけれど、あまり向こうに負担をかけると、得られる評価は渋くなる。
過ぎたるは猶及ばざるが如し。
こちらの世界にこの言葉があるのかどうかは知らないが、やり過ぎが必ずしも良い結果に繋がらないのは同じだった。
「ッァ!!!」
放つ方向を決めた、ツキヨのごく短い叫びに、逃げようとした斑蜥蜴が泡を吹いてひっくり返る。
周りの僕らを巻き込まぬよう、ついでに相手を過度に傷付けぬよう、細心の注意を払って放たれたシュリーカーの叫びは、綺麗に狙った獲物の意識だけを刈り取った。
でも耳の良いシャムにはそれでもちょっと五月蠅く感じるらしくて、僕の肩の上で耳をペタンを垂らして前足で押さえてる。
シャムの実力なら、シュリーカーの叫びにも問題なく耐えられるだろうけれど、それはそれとして音が五月蠅いのは辛いらしい。
感覚が鋭いのも善し悪しだなぁって、思う。
ただ斑蜥蜴を殺さずに捕獲するなら、ツキヨの力に頼るのが最も手っ取り早い。
別に殺してしまうと素材の質が下がるって訳じゃないけれど、ウィルダージェスト魔法学校の周囲の森に棲む魔法生物は、個体数が減ったためにここで保護されてる種も少なくなかった。
その為、殺さずに無力化できる魔法生物は、生かしたまま素材を採取する事が基本である。
ジェスタ大森林の程に広い場所に多くの魔法生物が棲んでいる訳でもないから、減った個体数もそんなに早くは増えないし。
もちろん増え過ぎると危険だったり、他の生態系を破壊しそうな魔法生物は、教師が間引いたりするという。
ここはやはり管理された森で、魔法学校の一部なのだ。
僕は爪先で突いて、斑蜥蜴が気を失ってる事を確認してから、手袋を付けた手で口をこじ開け、その斑模様の舌の表面を一部だけ、薄くナイフで削ぐ。
そしてそれが終わったら、斑蜥蜴の尻尾の先を少しだけナイフで切り落とした。
この尻尾の先も魔法薬の素材の一つだけれど、それ以上に、この尻尾の傷が回復する頃には、削いだ舌の皮も治る筈。
斑蜥蜴の素材が必要なのは、僕だけじゃない。
しかし一度や二度、薄く舌の皮を削いだくらいでは斑蜥蜴は死なないが、それでも頻繁に採取を繰り返すと、餌が食べられなくなって死んでしまう。
故に舌の傷が治るまでは、放置しておく必要があった。
要するに、尻尾の傷は斑蜥蜴の舌が治って、再び採取が可能になるまでの目印である。
「揃った?」
首を傾げて問うツキヨに、僕は頷く。
これで必要な素材は全て揃った。
弦のベースは頑丈な鉄鋼蛾の幼虫が吐く糸。
そこに首吊りの木の蔦を組み合わせ、特定の条件で強く張力を増すという特性を付与する。
特定の条件は、弦の一部に張り付けた斑蜥蜴の舌の皮に触れる事。
皮が発する痺れの力を、触れた本人ではなく弦への刺激として使えば、使い手の意思で張力の変化が行える。
これなら使い手から徴収される魂の力も、極々僅かで済むだろう。
それこそ、一般人でも扱えるくらいの魔法の道具の範囲だ。
普段は人の力で引ける弦が、引き切った状態で張力を強烈に増せばどうなるか。
上手く使えば、オーダーにあった通りの強力な矢が放てる筈。
まぁ、弓の方が耐えられなかったり、矢が放たれる衝撃に砕けたりするかもしれないけれど、そこは鍛冶職人の工夫で補って欲しい。
ポータス王国でも有数に腕のいい鍛冶職人って話だから、そこは任せていいと思う。
もちろん、それ以上に扱い辛さが問題になるかもしれないが、それは問題にしないって発注書に書いてあったし。
何なら弓じゃなくて、クロスボウの弦にでも使えば、少しは使い易くなる筈だ。
僕が出したこの答えは、依頼人である鍛冶職人や、使い手である冒険者のお気に召すだろうか。
いや、それ以上に、僕にこの仕事を斡旋したクルーペ先生の目に適うか。
少しばかり楽しみだ。
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