第127話


 足を踏み入れた洞窟は、恐らく自然にできた訳じゃなくて、誰かに掘られたものらしい。

 入口は小さかったが、中は少し進むとグッと大きく広がって、そう、住居のようになっていた。

 洞窟の床には幾つものキノコが生えていて、それらが薄っすらと燐光を放つ。

 人間である僕の目には、全く光の量は足りないけれど、この洞窟の主にはそれで十分なのだろう。


 そしてその洞窟の主は、光るキノコに囲まれて、ちょこんとそこに座ってる。

 どうやら、無駄足にはならずに済んだらしい。

 ただ、その洞窟の主、特別なシュリーカーとやらの姿は、思い描いた怪物とは随分とかけ離れたものだった。


 今、目の前にいるシュリーカーの姿は、まるで人間の少女のようだ。

 大きなキノコの傘を、まるで帽子のように頭に被っているけれど、それ以外には本当に人間と見た目は変わらない。

 尤も漂わせる雰囲気は、明らかに人間のそれとは違うから、誤認する事はないけれども。

 ……聞いていた話と違い過ぎて、幻覚のような能力を疑いもしたが、僕の感覚はそれが本物であると告げている。


 光を持って近付けば、当然ながら向こうもこちらに気付く。

 だがシュリーカーは、明らかにこちらを認識しながらも、にこにことした笑みを浮かべて黙ったままだ。

 なんというか、尋ねてきた孫を見守る祖母のようでもあり、帰って来た主に対して尻尾を振りながらも、お利口に座って待つ犬のようにも見えた。


 ちらりと傍らのシャムを見れば、早くいけと言わんばかりに頷くので、意を決して一歩、前に出る。

「あー、君がシュリーカー? 今日はちょっと話があって来たんだけれど、でもその前にお礼を言わせてほしい。森に捨てられてた僕を見付けてくれたのは君だって聞いたよ。ありがとう」

 かける言葉には迷ったけれど、まずはシュリーカーに礼を言う。

 拾われた当時の事は何一つとして覚えてないけれど、それでも彼女が僕を見付けて拾ってくれなければ、今の僕はいないだろうから。

 目の前にいるのは、紛れもない恩人だ。

 いや、妖精を人扱いするのは、ちょっと違うかもしれないけれど。


「愛し子、大きくなった。私、嬉しい」

 するとシュリーカーは嬉しそうに頷きながら、そう言葉を発した。

 ただその言葉は、声も発音も綺麗ではあるんだけれど、非常に硬くて不器用で、あまり話に慣れてないんだろうなって印象だ。

 正直、僕の言葉の返事になってるかどうかも、ちょっと微妙なところだし。


 けれども、その言葉に僕に対する愛情のようなものが込められてるって事は、これでもかってくらいに伝わってくる

 あまりに真っ直ぐに好意を向けられるから、僕も何だか、どう言葉を返して良いのか困ってしまう。


「ケット・シーの村でとても良くして貰ったから。あ、でも今は魔法学校に通ってるんだ。うん、この森の外の、人間の国にある学校」

 だけど黙ってる訳にも行かないから、取り敢えず無難な言葉を選びながら、僕はどうやって契約の話を切り出そうか考える。

 いや、でも本当にこのシュリーカーと契約していいんだろうか?

 実際に会ってはみたけれど、僕はまだ、彼女の事を何も知らないままだ。


 会ってみてわかったのは一つだけ。

 このシュリーカーは、僕に対して非常に好意的で、恐らく庇護対象として見てるのだろうって事だった。

 短いやり取りでも、そう確信できるくらいに、彼女から向けられる感情は真っ直ぐだ。

 それは、このシュリーカーと出会ったのが赤ん坊の僕だったからなんだろうか?

 全く覚えていないし、今の僕は赤ん坊じゃないから、戸惑うばかりなんだけれど、それでも彼女を疑おうって気持ちは少しも湧かない。


「それで、今は僕と契約して力を貸してくれる相手を探してて……、シャムから、あ、この僕とずっと一緒にいるケット・シーから貴女の話を聞いて、もしかしたらと思って訪ねて来たんだ。だから、あの、もしよかったら、少し貴女の事を教えて貰えないかな」

 言葉を重ねて、本題に辿り着く。

 僕がここに来た用件は契約だ。

 けれどもまずは相手の事を知りたい。


「私?」

 するとシュリーカーは、不思議そうに問い返した。

 なるべくわかり易く言った心算だったんだけれど、伝わらなかったんだろうか?

 僕が彼女の事を知りたいって言葉は理解してる風だから、こちらの意図を測りかねてるのかもしれない。


「私、シュリーカー。物言わず、叫び、ただ殺す者。でも愛し子に会った。守って欲しいって、守る力貰った。私の声、愛し子と話す為、私の手、愛し子を抱き上げる為、授かった」

 何故だか、シュリーカーの言葉は発せられる度に徐々に滑らかになっていく。

 学習をしてるにしても、あまりに早過ぎる、異常な変化。

 そして彼女が話す言葉の内容もまた、異常だった。


 赤ん坊だった僕と出会って、守る力を貰った?

 声も手も授かった?

 ……一体、誰に?


 その言葉の中には、僕とシュリーカー以外は登場してない。

 でもまさか、赤ん坊だった僕が、シュリーカーを変化させたとでも言うのか。

 今の僕でもありえないのに、魔法も使えなかった赤ん坊が、だ。

 なら、今のシュリーカーの言葉が滑らかになっていってるのも、僕と出会って、僕がそう望んでるからだとでも言うのだろうか?


「今の私、愛し子の為に在る。私は、強い。契約しよう?」

 しかしその答えはわからぬままに、シュリーカーは笑みを浮かべて僕に向かって手を伸ばす。


 僕はその手を取るのを、躊躇う。

 だってそれは、僕にとって都合が良過ぎないだろうか。

 まだどういった契約を行うかも決めてないのに、シュリーカーは僕に全てを委ねようとしてる。

 その態度は安易に手を取るには重すぎるが、かといってすげなく断ってしまうにも、やっぱり重い。


「駄目だよ、シュリーカー。君が善意でそうしようとしてるのはわかるけれど、今のキリクはそれを受け止めきれないからね」

 僕が迷ってる間に、隣で声を発したのは、それまでジッと黙っていたシャムだった。  

 その言葉に、ずっと僕ばかりを見ていたシュリーカーが、首を傾げてシャムに視線を移す。


「妖精の全てを受け止めようとすれば、キリクじゃ妖精に引っ張られる。今のキリクは人間として生きていて、人間の友人も沢山いるんだ。力を貸して欲しいのも、人間の世界で起きるトラブルに対処する為だからね」

 一歩、前に出たシャムはシュリーカーの視線を受け止めて、首を横に振る。

 その言葉の意味は、あんまりよくわからないけれど、どうやらシャムは僕の為に、シュリーカーの提案を止めたらしい。

 ……でも、妖精に引っ張られるってどういう意味だろう?

 人間の世界で生きるか、この妖精の領域で、妖精達と共に生きるかって、単純な話とは少し違う気がした。


 もしかすると、ここに来る前に経験したように、妖精の魔法を使うようになって、人間を辞めて本当に妖精になってしまうんだろうか。

 シュリーカーの言葉通りに、僕が彼女を変化させて、元の姿から人間に近いものに変えたのだとすれば、その逆が起きる事も、……ありえる?

 仮にそんな事が起きるとすれば、それは当然ながら魔法によるものだろう。

 だが僕が学んでいる魔法は、そこまで強烈な、存在を根底から変えてしまうような代物ではないのだけれども。

 あぁ、やはり僕は、知らない事が多過ぎる。


「口を挟みたくはなかったけれど、キリクが自分の意思で選んだ訳じゃないのに、妖精に引っ張られてしまうのは、放っておけないんだ。交わすなら、互いに条件を決めた契約にして貰えないかな」

 シャムはシュリーカーに対して、無条件ではなくて、条件を付けた契約を交わすように提案をした。

 同じ村で同じように育った筈なのに、シャムと僕には、どうしてこんなにも知識に差があるんだろう。

 村での生活を思い出してみても、シャムだけが特に何かを教えられてたって事は、特になかったよう筈なんだけれど。

 ただシャムは、村の誰かに学んだ様子もなく、何時の間にかケット・シーとしての力や、妖精の魔法を使いこなしてた。

 それと同じように、知識もまた、ケット・シーとして、妖精として、自然に得た物なんだろうか?

 先程から、脳裏に浮かぶのは疑問ばかりだ。


「だからケット・シーのシャム。貴方は愛し子と契約してないの?」

 シュリーカーが、シャムに問う。

 確かに、僕はシャムと契約してない。

 一度、そういった話をしたような覚えはあるけれど、あの時はシャムに必要ないって言われたんだっけ。

 なるほど、実はそういう意味も、あったのか。

 ならばどうして、あの時にそう言って教えてくれなかったのだろう?


「……そうだね。それもあるよ。だからボクは契約しないで、単に自分の意思でキリクと一緒にいて、力を貸してる」

 シャムは少しだけバツが悪そうに、ちらりと僕を見てから、シュリーカーに向かってそう言った。

 あぁ、やっぱりシャムは、あの時は意図的に誤魔化したんだ。

 本当にシャムは、隠し事が多い。

 それが僕の為であるのは理解してるし、疑いもしないけれど、だけどもう少しでいいから、ちゃんと話して欲しいなぁって思う。


「そう、それが貴方の意思。なら私は、シャムを尊重する。条件付きの契約。愛し子、それでいい?」

 でも問い質すのは後回しにして、僕はシュリーカーの言葉に頷く。

 色々と気になる事はあるけれど、取り敢えず今回の目的である契約は、無事に結べそうだった。



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