第126話
妖精の領域にある麦畑は、畑って呼ばれてはいるけれど、別に誰かが耕して種を蒔いて育ててる訳じゃない。
一年を通して何時でも重い穂をつけた麦が自生してる。
それが妖精の領域で麦畑って呼ばれる場所だった。
とはいえその麦畑にも、管理者は存在してる。
もちろんそれは妖精で、その名はポルドニッツァとポレヴィーク。
麦が欲しい時は、この二体の妖精にそれぞれ鳥の卵を二つ渡す事で、籠に一杯の麦を採取できるのだ。
前にも話したと思うけれど、妖精の領域の麦は、一粒で一つのパンが焼ける代物だから、籠いっぱいに採取すれば、それはもうかなりの量のパンになる。
なので交換比率としては、破格にも程があると僕は思う。
こんな感じの場所は、麦畑以外にも領域内にちらほらあった。
例えば、ヴィヴィアンが管理する湖とか。
ヴィヴィアンというのは、水中に棲む妖精で、見た目は人の、乙女に近い。
尤もその身体は肉じゃなくて水で出来てるから、薄っすら向こう側が透けて見えるし、そもそも水に潜られると見分けが付かなくなるけれど。
ちなみにヴィヴィアンの管理する湖にパンを一つ投げ入れると、魚を一匹投げ返してくれるのだ。
折角の湖なのだし、そこは落としたのは金のパンか銀のパンかって問い掛けて欲しいところだが、妖精の領域では金や銀が手に入っても特に役に立たないだろう。
いや、キラキラした物を欲しがったり、金を細工物に変えられるような妖精はいそうな気もするけれど、それでもやはり人の世界程には金銀も価値を見出されない。
なので結局は、素直に魚を貰った方が、ちゃんと食べられてありがたかった。
あぁ、話が逸れたけれど、そんな訳で僕は割と麦畑には、シャムの母親に頼まれてお使いに行った事が、何度もある。
何度もっていうか、月に一度か二度は、くらいの頻度で。
だけどその向こう側までは、……そういえば行った事がなかった。
麦畑までの道中は、色々と道草を食ったりとかもしてたけれど、お使いで出向いた時に、わざわざその目的地の向こう側には、やっぱりなかなか興味が向かないから。
歩き慣れた道を通って麦畑に向かい、けれどもそこをぐるりと迂回して、その向こう側を目指す。
何だか、少し不思議な気分だ。
後ろを振り返れば見慣れた場所で、なのにそこから遠ざかっていく事に対して奇妙な不安感がある。
「そういえばさ、探してるシュリーカーはなんだか特別らしいけれど、逆に特別じゃないシュリーカーって、どんな妖精なの?」
だからって訳じゃないんだけれど、僕は傍らを四つ足で歩くシャムにそう問うた。
探してるシュリーカーが特別だって聞かされても、元々を知らなければ特にありがたみを感じないし。
魔法生物に関しては、タウセント先生が色々と教えてくれるけれど、それでも全ての魔法生物を習えるって訳ではなかった。
特に妖精は色々といるし、安易に人前には姿を見せないのも多い。
例えばポルドニッツァとポレヴィーク、ヴィヴィアンなんかもそうだろう。
そうした妖精に関しては、場合によってはタウセント先生よりも僕の方が詳しい可能性だってある。
つまり人間にとって、妖精は謎多き存在だ。
そして僕は、妖精にはまぁまぁ詳しいと自負するんだけれど、残念ながらシュリーカーという妖精に関しては、姿を見た事はもちろん、今回の件で知るまでは名前すら耳にした覚えがない。
流石に自分を拾った相手くらいはもっと早くに知っておきたかったけれど、ケット・シーにその辺りを配慮してくれと言っても無意味だった。
聞けばあっさりと教えてくれたから、村のケット・シー達も別に隠して訳じゃなくて、単に言う必要もないと思ったか、すっかり忘れてたんだろう。
彼らは妖精の中では人と親しく、知識もあって理解をするが、だからって必要以上に合わせてくれる訳じゃないのだ。
シャムは、幼い頃から僕にとても合わせてくれているけれど、これは本当に特別な事なんだと思ってる。
「んー……、見た目は、犬っぽい化け物かな。クー・シーみたいな本格的に犬って感じじゃないんだけれど、何かに例えるなら……、犬かなぁ?」
そんなシャムは、ちょっと首を傾げながら、自信なさそうにそう言った。
どうやら見た目は、本当に例えるのが難しい化け物染みた姿をしてるらしい。
困ったな。
ちょっと会うのが怖くなりそうだ。
「能力は叫び声。シュリーカーって、敵対すると凄い声で叫ぶんだけれど、弱い生き物はそれを聞いただけで死ぬし、そこそこ強い生き物でも頭痛がしたり吐き気がして弱るね」
次いで教えて貰ったのは、シュリーカーの能力だけれど、これも何というか、とてもえぐい。
声を聞いただけで相手を死に至らしめるって、魔法生物の能力でも相当に強力な部類である。
むしろ強力過ぎるからこそ、迂闊には使えない能力になる。
「普通のシュリーカーなら、パトラはギリギリ生き残れるかなぁ? ジャックス辺りは死なないけどまともには動けなくなるだろうね。キリクは間違いなく大丈夫だけど、ちょっとは気持ち悪くなるかな。エリンジ先生やマダム・グローゼルなら、多分何の影響もないよ」
シャムの言う強さは、戦い方が上手いとかじゃなくて、恐らく魔法に関わる魂の力の強弱だとは思うんだけれど、……エリンジ先生やマダム・グローゼルは別格なのか。
単純な魂の力の強さ、魔法を扱う才能って点では、星の知識を持って生まれた僕は、あの二人にも決してひけを取らないとは思うのだが、それ以外にも何らかの要素はあるのだろう。
……でも格下に強くて、格上には効果がない能力かぁ。
魔法生物の能力って、そういう物が多いんだろうけれど、ちょっと使い勝手は良くない。
だって明確な格下なら、僕はわざわざシュリーカーの能力に頼らずとも勝てるだろうし。
大勢を虐殺したいってなら、その能力はとても便利なんだろうけれど、生憎と僕にそんな趣味はなかった。
「まぁ、普通のシュリーカーならそうだよね。そもそも普通のシュリーカーって人間とは喋れないから、あんまり好きな言い方じゃないけれど、人間の魔法使いが言うところの契約できない魔法生物って分類になるし。でも、今から会うシュリーカーは特別なんだよ」
何故だかシャムは、自分も会った事はないし、良く知らない筈なのに、胸を張ってそのシュリーカーは特別なんだと豪語する。
うぅん、まぁ、確かに契約相手として候補にあがるくらいだから、普通のシュリーカーと違って意思の疎通が可能で、契約ができる事は間違いないんだろうけれど。
結局のところ、やっぱり会ってみなきゃわからないか。
でも恐ろしい姿をしてるかもしれないって事が先にわかって、覚悟を決められてよかった。
出会った途端に姿の恐ろしさに怯んでしまったら、その後の契約交渉にも差支えがあるし、何よりも相手に失礼だろう。
魔法生物によっては、自分の姿を相手がどう思おうと気にもしないかもしれないが、その場合でも僕は気にしてしまうから。
事前に相手の姿が異形であると知れたのは、意外と大きな収穫だ。
それからは黙って、暫く歩き続けると、木々が途絶えて少し開けた場所に出た。
地はなだらかに上にあがって、こんもりと小さな丘を成している。
これが、シャムの父親が言ってた麦畑の向こうの丘ってやつだろう。
洞窟を探して丘の周りをぐるりと歩けば、あぁ、ぽっかりと奥へと続く道が口を開いてた。
さて、鬼が出るか蛇が出るか。
何が出たとしても悲鳴を上げないだけの覚悟は、できている。
尤も、件のシュリーカーが既にこの洞窟を去っていて、何もいないって可能性もあるんだけれども。
うん、折角ジェスタ大森林にまで来たのだから、何もいない事に比べれば、どんな怖い鬼でも蛇でも、出てくれた方がありがたい。
「光よ、灯れ」
僕は魔法を唱えて杖の先に光を灯し、シャムと一緒に洞窟へと足を踏み入れた。
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