第123話


 前にジェスタ大森林を訪れたのは、二年生の前期の後半だったか。

 つまりあれから半年程が経っていて、僕はあの頃に比べるとできる事が色々と増えていた。

 その代表が旅の扉の魔法な訳だけれど、それ以外にも幾つも魔法を覚えたし、錬金術の腕も随分と上がってる。

 しかし錬金術に関してあの頃と最も違うのは、その強みを理解して、戦いを含む色んな状況に、あらかじめ備えるようになった事だろう。


 そう、シールロット先輩に教わった、錬金術を用いた戦い方ってやつだ。

 彼女はもう東方に向かって旅立ってしまったけれど、その教えはちゃんと僕の中に根付いて育っていた。


 ……到着は、もうしたんだろうか?

 東方は物凄く遠いから、普通に移動すると何ヵ月もかかる筈だけれど、シールロット先輩はもちろん、彼女を東方へ案内する魔法学校の職員も、魔法使いだ。

 長距離転移の魔法で移動できるところはそうするだろうし、それ以外にも移動に役立つ魔法は色々とある。

 ボンヴィッジ連邦みたいな魔法使いに対して敵意のある国を迂回して遠回りをするとしても……、一週間やそこらの時間でもあちらに辿り着く事は十分に可能かもしれない。

 もちろん僕は魔法を使った長距離の旅なんてした事がないから、単なる想像に過ぎないんだけれども。


 いずれにしても、素早く無事に到着してたら、できたら、良いなって思う。

 振られてはしまったけれど、それでもシールロット先輩は、僕にとても良くしてくれた、……大切な先輩だから。

 遠くからでも安全を祈るくらいはしたい。


 だが今は僕がいる場所も危険なので、それは一先ずさておく。

 実は僕らは、妖精の抜け道を通って真っ直ぐに目的地へと向かってる訳じゃなかった。

 いや、最初はその予定だったんだけれど、ジェスタ大森林に入って暫くすると、ふとあの林間学校の時に目覚めたという年を経たワイアームが、今はどうなってるのかって事が気になってしまったのだ。

 ただ僕も、だからどうって訳じゃなくて、単なる雑談の一つとして、気軽にシャムに問うてみたら、

「あぁ、そうだね。じゃあ見に行ってみようか」

 そんな風に、思いもよらない事を言い出したから。

 僕らが妖精の抜け道を使って、キノコが等間隔に生えた広場に入って向かった先は、あの日、林間学校で訪れた場所だった。


 同じジェスタ大森林の中で、周囲に生えてる木々もよく似てるけれど、それでも空気で何となくわかる。

 ここは僕が、林間学校で班になったクラスメイトと課題に挑んだあの場所だって。


 けれども僕が感じてる空気は、あのワイアームが目覚めた後の騒然としたものじゃなく、課題をどうするかで四苦八苦してた頃の、落ち着いた状態。

 なんというか、森の空気で場所の違いや状況がわかるって、少し人間離れしてるかなって、そんな風にも思う。

 シャムがジェスタ大森林を平然と歩いて案内できる感覚が、どうしてだか僕にも少し備わってるように感じるのだ。

 毎日通ってるような場所ならそう感じてもおかしくはないかもしれないが、ここに来るのはまだ二度目。

 あぁ、でも、ジェスタ大森林って大きな括りで言えば、ここも妖精の領域もその一部だから、生まれ育った場所ではあるのか。


 だから薄暗い木々の間を歩いていても、不安を全く感じない。

 妖精の抜け道を出てから、どこをどんな風に進んだかハッキリと把握しているし、何時でもそこへ引き返せるだろう。

 何なら、既知の魔法の応用で、妖精の抜け道の入り口まで、転移する事すらできそうな気がしてるくらいだ。

 もちろん流石に、そんな感覚だけで、新しい魔法を試すようなリスクのある真似はしないけれど……。

 それ程に僕の感覚は、ジェスタ大森林の中で広がっている。

 何となくだが他の魔法生物がいそうな場所もわかるから、そこを避ければ襲われる事も殆どなかった。


「あっ、そういえばさ、前にこの辺りで有力なのは、ドラゴニュートとヴィーヴルって言ってたけれど、彼らは僕らがワイアームを見に行っても怒らないの?」

 ふと思い出して、僕はシャムに問う。

 確か以前、ドラゴニュートとヴィーヴルは歳を経たワイアームを敬っていて、その眠りを妨げかねない余所者を嫌うって言ってた筈だ。

 僕らはワイアームの眠りを妨げる気はないけれど、彼等にとっては間違いなく余所者だ。


 ドラゴニュート、ヴィーヴル、ワイアームは、全て竜に連なる者だそうだけれど、僕らは竜とは何の関係もない。

 シャムは妖精のケット・シーで、僕に至っては人間である。

 ワイアームはさておいて、ドラゴニュートかヴィーヴルのどちらかと契約をしてたら、彼らも認めてくれるかもしれないけれど……。

 もしかして、先にドラゴニュートかヴィーヴルと契約しに行ったりするんだろうか?


「うん、近付いたら怒って止めに来るよ。ボクがいるからいきなり襲ってはこないだろうけれど、キリクだけなら……、あぁ、でも魔法学校の職員と契約してるみたいだし、襲ってこないかもしれないね。どっちにしても近付かなきゃ大丈夫だし、見るくらいは平気」

 そう、自信ありげにシャムは言うけれど、僕はその言葉の意味が分からずに首を傾げた。

 近付くと、見るって別なの?

 シールロット先輩と一緒に開発した、遠くまで良く見えるようになる点眼の魔法薬は、魔法学校に提出しちゃったから手元にはない。


「見ればわかるよ。あ、あそこの木が良さそう。ほら、登って登って」

 僕はシャムに急かされて、周囲よりもひと際大きな巨木を登っていく。

 木登りは、僕は割と得意だ。

 妖精の領域で暮らしてた頃は、木の上に登って潜んで、下を通った鹿に飛び掛かって狩ったりしてたから。

 あの辺りに生息する鹿は身体がとても大きいから、飛び降りる勢いを使って首を折らなきゃ仕留めるのが難しい。

 まぁそんな鹿狩りのコツも、魔法を使えるようになった今となっては、もう役に立つ事はないんだろうけれど……、僕の身体はそれでも木登りの感覚は忘れてなかった。


 周囲よりも背の高い木の上からは、遠くが良く見渡せる。

 するとその遠くに、長い蛇体が周囲の木々に埋もれる事なく、ずーっと長く伸びているのが見えた。

 形としては、細長いんだろう。

 だけど僕には、それを細長いと評する事はできそうにない。

 だって、遠目に見るとそりゃあ細長いんだけれど、周囲の木々に埋もれてないって事は、太さも木々の長さ以上って意味だ。


 シャムが見ればわかるって言ってた理由が、確かにわかった。

 あんなに大きかったら、そりゃあ別に近付かなくても見れるというか、近付いた方が逆に見辛い。

 そしてドラゴニュートやヴィーヴルが、どこまでも長く伸びたワイアームの全てを、余所者が近付かないように見張ってるのだとしたら、そりゃあこうやって遠くから見てる誰かを気にしてる余裕なんてないだろう。


 ただ一つ不思議だったのは、あの日に目覚めたというワイアームが、周囲の木々を薙ぎ倒して暴れた痕跡が残ってない事。

 あの爆発に、ワイアームは確かに目を覚ましたが、しかし動かずに再び眠りに就いたのだろうか?

 それとも、目覚めたワイアームは周囲の木々を薙ぎ倒したが、あれからたった半年で、その痕跡もわからぬ程の周囲の環境が再生したのか。


 いずれであってもおかしくはないと思う。

 あんなにも雄大なワイアームなら、爆発に目を覚ましはしても、意に介さない可能性もゼロじゃない。

 或いはあんなにも雄大なワイアームなら、周囲の環境の回復を促進させる力を持ってても、おかしくはない。

 ただでさえ、ジェスタ大森林の自然の力は、他の森に比べてずっと強いのだ。


「ワイアームって、契約できない魔法生物だっけ。……残念だね」

 僕はふと、そんな言葉を呟いてしまう。

 それはとても大それた事なのかもしれないけれど、やっぱり僕は残念に思ってしまったから。

 ドラゴニュートやヴィーヴルに聞かれたら、それこそ怒らせてしまうかもしれないけれども。


 ただワイアームを遠くから見てるだけの僕らの言葉なんてドラゴニュートやヴィーヴルには聞こえなくて、唯一それを耳にしたシャムは、

「キリクは凄く野心家だね」

 とてもおかしそうに笑いながら、僕をそう評した。


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