十一章 甘く、苦く、狂おしく
第110話
後期も終わりが近付いて来た頃、僕はマダム・グローゼルに呼び出しを受ける。
但しそれは僕一人じゃなくて、あぁ、もちろんシャムは何時も一緒なんだけど、そういう意味でもなくて、……今回はシールロット先輩も同時に呼び出されていた。
本校舎の前で待ち合わせた僕達は、中に入って二階に上がり、マダム・グローゼルが待つ校長室へと向かう。
お互いに、普段よりも口数は少ない。
あぁ、恐らく僕がそうであるように、シールロット先輩も緊張しているのだ。
呼び出された用件は、既にちゃんとわかってる。
夏期休暇の頃から進めていた僕とシールロット先輩の共同研究の成果を少し前に提出したから、その評価が決まったのだろう。
自信はあるというか、客観的に考えても、学生が複数の新しい魔法薬やそれに類する物を完成させて、高く評価されない筈がない。
そう頭では理解してるんだけれども、気持ちがその理屈に追い付いていなかった。
「ね、何だか緊張するね~」
校長室の扉の前で、こちらを見たシールロット先輩が、そんな言葉を口にする。
恐らくそれは、自分の内心を吐露したというよりも、僕の緊張を少しでも紛らわそうと、そう言ってくれたのだろう。
実際に、彼女自身も、目に見えて緊張しているにも拘らず、わざわざ間延びした口調を作ってまで。
僕にはそれが、何だかとてもおかしくて、少しだけ笑ってしまう。
いや、笑うのは、ちょっと失礼だったかもしれないけれど、お陰で僕の緊張は随分と紛れた。
そして僕の笑いにシールロット先輩もまた笑みを浮かべて、
「よし、じゃあ行こっか」
校長室の扉をコンコンと、二度叩く。
ガチャリと自動で開く扉を潜ると、中では三人の大人が僕らを待っていた。
一人は、当然ながらこの部屋の主である、現校長のマダム・グローゼル。
もう一人は錬金術の教師である、クルーペ先生。
最後の一人は、僕やシールロット先輩、当たり枠と呼ばれる生徒をこの学校にスカウトして来る役割を担う、エリンジ先生だ。
ちょっと意外な人の登場に、僕もシールロット先輩も、少し戸惑う。
クルーペ先生は、まぁ、わかる。
校長であるマダム・グローゼルは、このウィルダージェスト魔法学校で最も強力な魔法使いではあるかもしれないが、それでも錬金術の専門家じゃない。
古代魔法に関する知識や実力は圧倒的でも、錬金術って分野に関しては、クルーペ先生が上を行く。
僕とシールロット先輩が提出したのは、錬金術の研究成果だから、そこにクルーペ先生の意見が強く入るのは当然で、この場に居合わせるのも頷ける。
尤も、来客をもてなす場でもある校長室に、いかにも研究者って風体の彼女がいるのは、理由はともかくとして、酷く似合ってなくて、違和感はどうしても感じてしまうけれども。
よくよく観察してみれば、クルーペ先生本人も、少し居心地が悪そうだった。
しかしそれよりも疑問に思うのは、どうしてここにエリンジ先生がいるのかって事だ。
影靴って部隊に所属するという彼は、常に忙しく学校の外を飛び回ってるイメージがある。
校長であるマダム・グローゼルの片腕とも評されてると聞くけれど、だからこそ普段は遠くに伸びた手として動いているのだろう。
なのに、何故?
関わりがありそうな事と言えば、それこそ僕とシールロット先輩と縁があるから、ってくらいしか思いつかない。
でもそんな理由で、この場にいるとは流石に思えないし……。
考えても答えは少しも出てこないけれど、この場で問う訳にもいかないから、僕は疑問を心の奥に仕舞い込む。
「ようこそ、シールロットさん、キリクさん。この度は素晴らしい魔法薬を幾つも提出して下さって、本当に嬉しく思います。クルーペ先生も素晴らしい成果だと、とても褒めていましたよ」
マダム・グローゼルは何時もの調子で、にこやかにシールロット先輩と僕を褒め称える。
相変わらずその穏やかさの裏が読めない彼女だけれど、生徒想いである事に疑いの余地はないから、僕らの成果を嬉しく思ってるって言葉は、きっと本当なのだろう。
その隣でクルーペ先生も頷いてて、それを見たシールロット先輩が、凄く小さくだけれど、ホッと安堵の息を吐く。
あぁ、シールロット先輩は、クルーペ先生には沢山世話になったし、憧れてるとも言ってたから、或いはマダム・グローゼルの言葉よりもずっと、クルーペ先生の頷き一つが嬉しかったのかもしれない。
「それからシャムさんも、貴方のお陰で妖精の領域から素材が持ち帰られ、新しい研究が生まれました。生徒達の命を助けて貰った事もそうでしたが、改めてお礼を申し上げます」
そして次に、マダム・グローゼルが言葉を向けたのは、僕の肩の上のシャムだった。
僕は、シャムの正体を知らない筈のクルーペ先生の前で、それを明かされた事に驚くが、
「構わないよ。助けたのはキリクの為だし。持ち帰った物も、キリクが採って来たしね。ただ、キリク以外の人間が継続的に妖精の領域に入って採取したいって言っても、ボクは協力なんてしないよ」
けれども当のシャムは落ち着いた様子で、マダム・グローゼルにそう言い返す。
以前からずっとそうだけれど、シャムは魔法学校に対して、僕がいるから結果的に協力する事があるだけって態度を崩さない。
林間学校での避難は僕の為で、あの時の採取もまた同じくだけれど、継続的に魔法学校に素材を提供するのは、結果的に協力するの範疇外だと、シャムはハッキリ言っていた。
とはいえ、もし仮にあの場に僕がいなくても、パトラ辺りが相手なら、シャムは見捨てずに助けたと思う。
シャムが僕を最優先としてくれてるのに疑う余地はないんだけれど、それはそれとして、決して薄情ではないから。
ただ僕が知る限り最も優れた魔法使いであるマダム・グローゼルに対しても、シャムは全く物怖じしない言葉を吐くから、こっちがひやひやしてしまう。
マダム・グローゼルはそんなシャムの物言いに、僅かに苦笑いを浮かべてる。
もしかすると、この研究の価値をより高める為にも、継続的に素材の入手が必要だとか、そんな話がしたかったのかもしれない。
「あぁ、それなんだが、私が採取に向かうのはどうだろうか。この研究の価値を高める為には、妖精の領域の素材をもっと持ち帰れた方がいいのだが、流石に学生のキリク君に何度も採取に行って貰う訳にはいかないからね。やり方さえ教えて貰えれば、私が出向こうと思うよ」
でもそこで口を挟んだのが、エリンジ先生だった。
あぁ、なるほど。
それがエリンジ先生がこの場に居た理由なのか。
確かに、以前に自力で妖精の領域に入り、ケット・シーの村に辿り着いてるエリンジ先生なら、僕やシャム程じゃないにしても、あの辺りを自由に動けるだろう。
ただ色々と忙しくしてるエリンジ先生を動かしてでも、妖精の領域で採取できる素材が欲しいというのは、驚きだった。
つまりはそれだけ、僕とシールロット先輩の研究結果は、高く評価されたんだろうか。
「うん、大丈夫だと思うよ。ボクの村のケット・シーも、エリンジ先生が相手なら、……多少は手伝うかもしれないし」
シャムも、ケット・シーの村で一ヵ月くらいは生活した事があるエリンジ先生に対しては、少し態度が丸くて、採取に関しても反対しない。
これで素材があまりに手に入らないからって、僕とシールロット先輩の研究が低く見られる事はなくなったと思う。
なら後は、その評価の詳細を聞くだけだ。
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