第107話
ケット・シーの後ろを付いて暫く歩くと、辿り着いたのは複雑に入り組んだ路地の奥。
表通りに比べて、全く人の気配がしない場所である。
そこでそのケット・シーはこちらを振り返り、
「一体何の用事なの? アタシ、これでも忙しいんだけれど」
綺麗な女性の声で、人の言葉でそう言った。
どうやら、やっぱり性別はメスであってたらしい。
彼女がケット・シーである事に関しては確信があったが、オスかメスかの判別は自信がないなんて、我ながらあべこべだなって思うけれども。
「それはごめんね。でも寝てなかった?」
なんだかちょっと楽しくなって、僕は彼女にそんな風に問う。
そう、花の間で丸まって眠る彼女は、どう見ても忙しそうには見えなかったし。
村のケット・シー達も昼寝は良くしていたけれど、結構のんびりしてたから、それで忙しいだなんて口にしたりはしなかった。
彼女は、人間の世界に混じって生きてるからだろうか、ケット・シーの村では見なかったタイプで、面白い。
「それが仕事なの。あそこで寝ていると、お客さんがアタシを見付けて、花を買いに来てくれるのよ。そしたらお礼にひと声だけ鳴いてあげたら、お客さんは喜ぶの。わかる?」
胸を張って、とても偉そうにそう語る彼女は、なんだかとても可愛らしい。
でも確かに、彼女がケット・シーであるとは知らずとも、これだけ美しい猫が昼寝をしてたら、思わず花屋に立ち寄りたくなる客だって、そりゃあ居てもおかしくはないか。
そして彼女が仕事の邪魔をされたと感じてるなら、非は僕らにあるだろう。
知らなかったとはいえ、彼女の時間を奪っているのは、間違いのない事実だから。
「なるほど、仕事の邪魔をする気はなかったんだ。あぁ、じゃあ後で花を買わせて貰うから、それで許してくれないかな?」
非がこちらにあるなら、素直に謝るのが道理だ。
それは人が相手でも、ケット・シーが相手でも変わりはしない。
一度謝ると、調子に乗ってどこまでも付け上がって要求して来るような魔法生物もいるらしいが、ケット・シーはそうじゃなかった。
なので、別に彼女が怒ってるって訳ではなかったとしても、僕は謝罪の言葉を口にして、許しを請う。
花は、部屋に飾るか、……シールロット先輩にプレゼントってのは流石に照れ臭いし、錬金術の素材にならない物を送っても喜んで貰えるビジョンが浮かばないから、パトラかシズゥにあげればいいか。
「あら、貴方は物わかりの良い人間なのね。嫌いじゃないわ。でも、そうね。少し物足りないから、……例えば手に持ってるそれを一つくれるなら。少しくらいは相手をしてあげてもいいわ。別にお腹が空いてるんじゃなくて、貴方が謝りたそうだから、ほら、貰ってあげても良いかなって思ったのよ」
すると彼女は、少し機嫌を良くしたようにそう言って、僕が持ってる魚の串焼きをねだる。
そのねだり方に、僕は思わず笑ってしまいそうになるけれど、笑えば機嫌を損ねる事は明白なので、グッと堪えて、持ってた魚の串焼きを一本、彼女の目の前に差し出した。
本物の猫が相手なら、地面に置くところだけれど、彼女はケット・シーだ。
差し出された串焼きを前に、すくっと後ろ足の二本で立って、前足を手のように使って、串を掴んで焼けた魚に齧り付く。
すると、ずっと話すタイミングを見計らっていたのか、
「ボクはシャムで、こっちはキリク。君の名前は? 王都で同胞に会うのは初めてだけれど、君の他にもケット・シーはいるの?」
或いは単にそろそろ待ち切れなくなったのか、シャムがそう彼女に尋ねた。
その質問は、僕も気になってるところである。
ポータス王国の王都は、さっきも述べたけれど、ウィルダージェスト同盟に属する地域の中でも有数に栄えた場所だ。
つまり人の数がとても多くて、人の世界に紛れて暮らすケット・シーにとっても、過ごし易い場所の筈。
なのにこれまで、僕もシャムも、王都でケット・シーの姿を見る事はなかった。
いや、王都と言っても広いから、休日にのみ、それもたまにしか遊びに来ない僕らが出くわさなかったとしても、決して不思議ではないんだけれども。
ただ居るなら、会っておきたいなぁとは思うから。
「急に聞いてくるのね。えっと、アタシの名前はシアンよ。王都に同胞は、アタシも会った事がないからいないんじゃないかしら。もともとこの王都は、同胞達は避けてるって聞いてるわ」
シャムの質問の仕方は些か不躾ではあったけれど、彼女、シアンは寛容なのか、それとも食べてる串焼きの魚に機嫌が良いのか、気にした風もなく名乗って、質問にも答えてくれた。
でもその回答に、僕は思わず首を傾げる。
一体、どうしてケット・シーが、この王都を避けるのか。
恐らく過ごし易い場所の筈なのに、敢えてそこを避ける理由が、僕には思い付かない。
「この王都は、魔法使いが良く来るでしょ。魔法使いは普通の人間よりも鋭いから、正体を見破られたら嫌だし、その魔法使いが契約しろって言ってくるのも鬱陶しいし」
だが僕の仕草を見たシアンは、言葉を続けてその答えを教えてくれる。
あぁ、どうやら彼女は、結構なお人好しらしい。
もしかすると、ずっと周囲に喋れる相手がいなくて、会話に飢えてたのかもしれないけれども。
しかし、……なるほど。
魔法使いが原因か。
確かにこの王都は、訪れる魔法使いの数は他に比べて圧倒的に多かった。
何故なら、ウィルダージェスト魔法学校が近くに存在してるからだ。
人の世界に紛れるケット・シーは、自分から正体を明かすならともかく、誰かにその擬態が見破られる事を歓迎しない。
今は、僕がシャムを連れていて、シアンの正体を見破ったのは同胞であるから問題にはなってないけれど、もし仮に僕が単独で行動していて、彼女の正体を見破り話し掛けたならば、そのプライドを傷付けてしまっていた可能性がある。
その上で契約を望まれるなんて、そりゃあケット・シーからしてみると、いい迷惑って感じなのかもしれなかった。
「ふぅん、ならどうしてシアンは王都で暮らしてるの?」
僕の肩の上で、シャムが再び問う。
なんだろうか。
相手が同じケット・シーだからだろうか、普段よりも、シャムが相手に興味を持ってる事が、態度からとても良く分かる。
「そんなの決まってるじゃない。気に入った相手がここにいるからよ。貴方だって同じだから、そこでそうしてるんでしょう?」
シャムの問いに、やっぱり胸を張ってシアンは答えた。
僕とシャムが一緒にいるように、シアンもまた、一緒にいたい相手がいるからこそ、他のケット・シーが避ける王都で暮らしているらしい。
恐らくその相手とは、あの花屋に関わりがある誰かなのだろう。
だからこそ、シアンは客寄せのような事をして、花屋の売り上げを増やそうとしているのだ。
いや、これは、本当に面白いなって思う。
シアンの行動は、僕らが育った村のケット・シー達とは少し違って、シャムに近いものである。
それ故に、僕はシアンの事が気になるし、彼女が気に入ってる誰かも、どんな人物なんだろうって気になった。
尤も、シャムが僕に付いて来てくれてるのは、一緒じゃなきゃ嫌だって、僕が盛大に駄々を捏ねた結果なんだけれど、まぁ、そこは取り敢えず置いておこう。
「その子も確かに悪くないわね。貴方が気に入るのもわかるわ。でもアタシのマーシャはまだ小さいけれど、とっても可愛い女の子なの。今度、特別に会わせてあげてもいいわよ」
どうやらシアンも、僕やシャムに興味を持ってくれたらしい。
こうして、僕らは王都に住むケット・シーという珍しい知己を得た。
今日は流石に、そのマーシャって女の子に会わせて貰うには性急すぎるって思ったから、約束通りに花だけ買って魔法学校に帰ったけれど、いずれは会わせてくれるというのなら、それもとても楽しみだ。
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