第104話


 ある日の夜、自室でダラダラと焼き菓子を齧っていると、

「そういえばキリクってさ、シールロットと番になりたいの?」

 不意にシャムがそんな事を問うてきて、思わず咽た。

 幾ら魔法が使えるようになっても、あまりにびっくりすると食べてる物が誤って気管の方に入ってしまったり、そうなると痛いし咳が止まらなくなるのは、普通の人と何も変わらない。

 暫くゲホゲホと咽てから、苦しさに出てきた目尻の涙を拭ってから、シャムの方に向き直る。

 するとシャムは、真っ直ぐにこちらを見ていて、あぁ、どうやら真面目な話の心算だった様子。


「……んんっ、いや、もっと他にマシな言い方ないの? 例えば、ほら、好きなの? ……とかさ」

 だから僕は、喉元をさすりながらちょっと冗談めかして訂正の言葉を探すけれど、口に出してみるとこっちも十分に恥ずかしい。

 でも一体、急にどうしたんだろう?

 僕がシールロット先輩に対して好意を持ってるのは……、うん、否定しないけれど、流石に番って単語が飛び出してくるのは、突拍子がなさすぎないだろうか。

 それにシャムがその辺りを気にするというのも、ちょっと驚きだ。


 魔法学校にやって来てから、僕は友人、知人が沢山増えたけれど、シャムがその人間関係に口を挟んで来た事は殆どなかった。

 パトラのように、僕と仲が良くて、シャムも気に入って親しくしてる友人もいる。

 但しその逆に、シャムと相性の悪い誰かとだって、僕はきっと接してる筈。

 それでも何かを言ってくる事はなかったから、正直なところ、人と人との関係に、シャムは興味が薄いんだと思ってたんだけれど……。


「なんで? 結局はそこに行きつくんだし、それが大切な事なんじゃない?」

 シャムは首を傾げて、僕にそう言う。

 あぁ、こういうところが、ケット・シーと人間の感覚の違いなんだろうか。

 僕はケット・シーの村で生まれ育ったから、彼らの価値観に大きく影響を受けていた。

 もしも僕が、本当に真っ白な状態でこの世界に生まれていたら、きっと育まれる価値観はケット・シーの物と同一だっただろう。

 だが同時に星の記憶、前世も人として生きた記憶があったから、それでも基本的には人間としての感覚を持っている。


 幸い、ケット・シーは妖精の中でも特に人間の世界に混じり、潜む事を得意としてるから、逆に僕という人間が彼らの村に混じって暮らす事もできた。

 またシャムは、幼い頃から一緒に育ったから、僕の価値観にも影響を受けてる。

 もちろんそれは、シャムが僕に合わせてくれてるって意味でもあるんだけれど。


 ただ、これまでシャムと恋愛に関して話した事なんてなかったから……、その価値観の違いにちょっと驚く。

 なんというか、うん、シャムもケット・シーなんだなって、改めて感じたというか、何というか。

 でも考えてみれば、シャムとは幼い頃からずっと共に過ごした仲で、これからも恐らく、いや、間違いなくそうするだろう。

 だったら僕が将来的に誰を伴侶に選んでどんな風に暮らすかは、シャムだって興味を持って当然かもしれない。


「そう、……うん。そんな先の事は考えれないけれど、でも、まぁ、そうなったら素敵かなって思う、かな?」

 なので僕は、この話は実に照れ臭いんだけれど、シャムに対して、自分がシールロット先輩に対して好意を持っているという事を、素直に認める。

 先の事なんて全然わからないけれど、今、この瞬間の自分の気持ちくらいは、ちゃんとわかってるから。


 だけどシャムは、……僕の言葉にとても渋い表情をした。

 まるで、痛ましさを堪えるかのように。

 尻尾も、だらりと下がって地に着いてる。


「だと思った。でも……、ボクが見る限りシールロットは、難しいと思う。いや、もう、多分手遅れなんだよ」

 そしてシャムの口から出た言葉は、僕の気持ちを否定するもの。

 僕は驚きに、思わず言葉を失った。


 一体、どうしてそんな事を言うんだろう?

 真っ先に頭をよぎったのは、そんな疑問。

 もしも他の誰かにそんな風に言われたなら、悲しみとか、怒りが先に来たかもしれない。

 しかし相手はシャムだった。


 僕にとってのシャムは、僕以上に、僕の事を考えてくれる相手だ。

 誰よりも親しく、近く、最も信頼する相手である。

 もちろん、僕もシャムにとってそうであると思いたい。


 だから、どうしてシャムはそう言わなきゃならなかったのか。

 僕はその事で胸がいっぱいになって、あぁ、うん、でもやっぱり何だか凄く悲しくなってきた。


「……何? 一体、どういう事?」

 その言葉、胸に渦巻く疑問を、何とか口から絞り出す。

 シャムの言葉で最も不可解な点は、手遅れって部分だ。


 シールロット先輩の感情が僕に向いてないとか、足りないなら、まだ無理だってのが正しいだろう。

 或いはシャムが、彼女のどこかが気に食わないなら、やめておけとか、駄目だって言葉が出る筈だった。

 でも手遅れって、一体どういう意味なのか。


「シールロットは賢いから、キリクがそう遠からず自分を越えるって、もう理解してると思う。だけどそれを受け入れて隣に立とうって思う程、弱い魔法使いでもない」

 だがシャムの口から出た言葉は、僕には到底納得しがたいもの。

 シールロット先輩が賢いというのは、もちろんその通りだろう。

 けれども、僕が遠からずシールロット先輩を越える?

 彼女の背中を追ってる僕が、どうやって、何時、それを越えるというのか。

 

 それに何より、

「好きって気持ちと、魔法使いの実力って、何の関係があるって言うのさ」

 まるでシールロット先輩が魔法使いとしての実力で人を判断してるって言われたみたいで、そこが一番納得がいかない。

 そういう人がいるって言うのは、僕だって知ってるし、わかってる。

 ただあの人は、そういったステータスで人を見るとは思えないから。

 僕は少し、拗ねた気持ちになってしまう。


「あるよ。互いにお互いを守る関係、どちらかが一方的に守る関係、互いの成長を促す関係、相手への依存から成長を止めてしまう関係、番の形は沢山あるけれど、それを決定するのは強さ弱さも含めて、特技や、逆に不得意な事だ」

 なのにシャムの言葉は容赦がなくて、やっぱりとても納得はし難い。

 その言葉が、僕の為を思って吐かれているとは理解しても、やっぱり素直に受け入れられないのだ。

 だってそんな、まるでそれは、野生の理屈のように思えてしまうから。


 あぁ、その言葉に一理あるのも確かなんだろうけれども……、そう、それでも僕は、感情的にシャムの言葉を受け入れられなかった。

 自分を思っての言葉に、反発する程に子供じゃないが、だからこそ、こう、モヤモヤとする。


「別にキリクがシールロットを選ぶ事に反対してる訳じゃないよ。そうなったら、考え得るベストかなって、ボクも思うし。だけど、難しい相手を望むなら、覚悟はしておいて欲しかったんだ」

 更にそんな言葉が投げ掛けられるけれど、僕はもうそれ以上はシャムに対して何も返事ができなくて、机の上の、食べかけの焼き菓子を片付ける事もせずに、ドスンとベッドに寝転んだ。

 そんなの、シャムの考え過ぎの筈。

 僕は、うん、近いうちにそれはシャムの間違いだったって証明して、そしたらちゃんと謝って貰おう。

 だってシャムも別に反対してる訳じゃないって言ってるし。

 そう、ちゃんとこの気持ちが実ったなら、シャムだって祝福してくれるだろうから。


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