第103話
魔法薬は、基本的には即効性の物が多い。
何故なら材料の薬効成分が、とか色々と言ってはいるが、結局のところは錬金術も魔法だからだ。
材料の薬効成分を高めた薬というよりも、その成分による効果を、魔法で強烈に高めて再現した物って認識が近いだろうか。
例えば、薬草って名前の植物はないと思うんだけれど、仮にあったとして、それが塗り薬にしても飲み薬にしても人の身体に有効で傷を癒す物だったとしよう。
この薬草を煮たりなんだりして薬効を抽出して錬金術で魔法薬を作った場合、塗り薬にしても飲み薬にしても人の身体に有効で傷を即座に癒す魔法薬が出来上がる。
しかしその効果は、厳密には薬草の効果じゃなくて、魔法の効果でそうなっているのだ。
では一体、何の為に薬草があって、わざわざ薬効を抽出したり、熱を加えたりしてるのかと言えば、魔法の効果の限定と増幅の為だった。
効果の限定に関しては、制御と言い換えてもいいかもしれない。
以前、治癒の魔術の説明をした時、正しく身体を知らなければ、魔法であってもキチンと癒す事は難しく、場合によっては怪我をしていた時よりも酷い状態になる場合があるって話はしたと思う。
だが傷を癒す魔法薬の場合、人の身体の仕組みに拘わらず、傷はちゃんと癒える。
これは材料に使われた植物が、自然な形で人の身体を癒す効果を持つ為、それを大袈裟に再現したとしても問題が起きない魔法が発動するのだ。
なんとも、実に都合の良い話だけれど、普通の薬と魔法薬は、それを作り出す過程は一部似たところがあったとしても、全くの別物だって話だった。
普通の魔法を使う時も、詠唱を唱えた方が言霊の力で安定し易く、事故も起きにくくなるけれど、それに近いところがある。
ちょっと不思議というか、納得しがたい部分は当然ながら幾らかはあるのだけれども、これを言うと身も蓋もないが、……魔法ってそういう物だから。
折角、魔法使いの才能を持って生まれた以上、疑ってその効果を減じ、揺らがせるよりは、信じて最大限の恩恵に与った方が、賢い生き方なんだと思う。
さて、何でこんな話をしたかといえば、シールロット先輩との研究が、一定の成果、具体的には新しい魔法薬が幾つか形になりつつあったからだ。
薬の完成には、本当にその効果を確かめる為に幾度となく治験が必要だけれど、魔法薬の場合はその回数は極端に少なくて済む。
敢えてじわじわと、呪いのように長期間に亘ってゆっくりと効果を現す様な魔法薬を意図的に作らない限りは、一度効果を試せば、自分の思い描いたものが完成したかどうかは、すぐにわかった。
それが魔法薬という魔法である。
でも回数は少なくとも試す事はやっぱりどうしたって必要で、……つまりは、そう、今から効果が正しく現れるかどうかの、確認をしようとしているところだった。
「本日のラインナップは、思考速度を加速させる魔法薬と、遠くまでよく見えるようになる点眼の魔法薬と、倍の高さに飛び跳ねられる魔法のパンだよ。さぁ、どれから試そうか?」
にこにことしながら、妙なテンションで問うシールロット先輩。
尤もこんな風には言ってるけれど、僕も彼女も、この魔法薬が99.9パーセント、自分達の思い描いた通りの代物に仕上がってるって自信はある。
人で試した訳じゃなくとも、色んな方法で魔法薬の効果は試してるし。
そう、だから自信はあるんだけれど、……それはそれとして試すのはやっぱり少しばかり怖い。
今回、この魔法薬を試すのは僕だ。
これはシールロット先輩が僕に押し付けてるとかじゃなくて、万に一つでも想定外の事があった時、より正しく対処をできるのが彼女だからって理由である。
もちろんお金で初等部の生徒を雇って、その誰かに試して貰うって手もあるし、普通はそうするんだけれども。
今回は僕とシールロット先輩の共同研究だから、そこに誰かを加える必要はないし、何より応募を待つ時間も惜しい。
「取り敢えず、……思考速度からいきましょうか」
僕はちょっと悩んでから、思考速度を加速させる魔法薬に手を伸ばす。
どうしてこれを選んだのかといえば、恐らくこれが一番危険な魔法薬だからだ。
この魔法薬の主な素材は、時忘れのベリー。
ちなみに命名は、持ち帰った素材の話を聞いたシールロット先輩である。
時忘れのベリーは、妖精の領域に一年中実ってる小さな果実で、あそこでは特に珍しい物じゃない。
特徴としては、摘んでも一日経てばまた同じように、そこに果実が実る事。
またその果実を口にすると、集中力が増してほんの少しだが時間がゆっくりと流れるような感覚に陥るので、ケット・シーの村に住んでた頃は、狩りで獲物を仕留める前には、偶に口にする事があった。
但し、その感覚に慣れてないと逆に身体を動かし難くなってしまうから、必ずしも、誰にでも有用な代物ではないと思う。
……あれを主にした魔法薬か。
想定外の作用がなかったとしても、普通に危ない気がする。
意を決し、僕はグイッと魔法薬を飲み干す。
味は薄いベリーの味で、少し甘酸っぱくて飲み易い。
そしてすぐさま瓶を机に置こうとして、その動作の最中に、突如として手が動かなくなった。
あぁ、いや、違う。
僕の思考が加速され、時間の流れる感覚がゆっくりになって、動かなくなったと感じてるだけか。
じり、じりと手は、机に向かって亀の歩みのように、じれったくなるような速度で進む。
今のところ、想定外の作用は多分出てないんだけれど……、そうでなくてもこのポーションはやっぱり危険だ。
この手の動きの遅さだと、瓶を机の上に置くのに、何時速度を緩めれば良いのかわからないというか、この机の上に瓶を置こうとしてる動作が、実際には早いのか遅いのかも、今の僕には判断が付かない。
下手をしたら、いや、下手をしなくとも、僕は瓶を机の上に叩き付ける事になってしまう。
シールロット先輩に瓶を受け取って貰おうと口を開こうとしても、当然ながら口の動きもゆっくりで、これって声を出せるんだろうか。
後、呼吸も出来てるのかできてないのかわからなくて、正直怖い。
この魔法薬の効果時間は、確か一分に満たない程度だった筈だから、流石に窒息はしないと思うけれど、これはちょっと効果が強過ぎて、感覚に慣れる、慣れないの問題じゃなかった。
……この際、瓶を叩き付けてしまうのは仕方ないか。
そうなれば、シールロット先輩も僕の状態に気付くだろうし。
瓶の事は一旦さておいて、まずは呼吸だけは何とかできるように頑張ろう。
そうじゃないと、魔法薬の効果の後半は、ずっと息苦しさに苦しむ事になりかねない。
魔法薬を飲み干した後だから、まずは息を吐くのが正しい順番の筈だ。
手が瓶を机の上に叩き付けるまでの、倍の時間くらいは息を吐き、次に吸う事にしよう。
上手くいくかどうかはわからないけれど、異常に気付けばシールロット先輩が、効果を打ち消す魔法薬をぶっかけてくれると思うし。
焦る気持ちはあるけれど、焦れば自分が苦しむだけである。
うん、取り敢えず、落ち着いて、……今回用意した他の魔法薬の事でも考えようか。
えっと、まずは遠くまでよく見えるようになる魔法薬を、点眼にしようと提案したのは僕だ。
飲用する魔法薬だと、両方の目が遠くを見られるようになって、逆に近くが見え辛い。
ちょっと目が良くなるくらいなら良いんだけれど、この魔法薬の効果はちょっとした望遠鏡レベルだから。
点眼だと片目にのみ魔法薬の効果を与えられるから、遠くを見たければ逆の目を瞑り、近くを見るには点眼した目を瞑るという、切り替えが可能になる筈。
魔法薬の主な素材は鷹の木の樹皮だ。
鷹の木は、その枝を口に咥えると、鷹みたいに目が良く見えるって話を聞いて、やっぱりシールロット先輩が命名した。
次に倍の高さに飛び跳ねられる魔法パンだが、これは既に存在している倍の高さに飛び跳ねられる魔法薬の効果を、パンという形でも発揮できるようにしたものだ。
想定では、パンを一口分食べれば、魔法薬を一本飲んだのと同じ効果が出る筈なので、大量の魔法薬を必要とする場では、この魔法薬をパンにするって技は、或いは役に立つのかもしれない。
まぁ、倍の高さに飛び跳ねられる効果が大量に必要になる状況は思い付かないんだけれど……、例えば回復の魔法薬がパンになれば、大勢の命を助けられる事は、多分あるだろう。
主となる素材は、倍の高さに飛び跳ねられる魔法薬と妖精の麦。
もちろんこのパンも、これまでに挙げた魔法薬も、効果を高める為に細々とした他の素材は使ってるけれども。
……これらの成果は、一体どんな風に魔法学校に評価されるだろうか?
まだ他にも妖精の領域から持ち帰った素材はあって、別の魔法薬も作る予定だ。
沢山、新しい魔法薬を作って評価されたいって気持ちはもちろんあって、けれども同時に、その魔法薬が完成する度に、こうやって飲んで試すんだろうなって思うと、ほんの少しげんなりもした。
ただまぁ、それも含めて、錬金術の研究なのだろう。
僕の手が、やっぱり調整を誤って、瓶を机に叩き付けて割る。
瓶のガラスが手を傷付けて、ゆっくりと血が出て行くんだけれど、感覚はなくて痛みはあんまり感じない。
いやでも、痛みが遅れてやって来るのだとしたら、油断は禁物なんだが。
シールロット先輩が驚いた顔になっていってるから、恐らくこの状態はそう長く続かない。
魔法薬は、思った通りの効果が出たが、その思った通りの効果が失敗だった。
あぁ、いや、もしかすると拷問なんかには、使えるのかもしれない。
ただそれでも、効果はもう少し緩めた方がいいだろう。
場合によっては、この魔法薬は人の精神を狂わせてしまうかもしれないから。
そう考えると僕って、実は図太い精神をしてるのかなって思えて、笑いそうになる。
今の状態だと表情も変わらないし、笑い声だって出たりはしないんだけれど、それが余計におかしくて。
もしかすると魔法使いの才に関わるとされる魂の強さって、こういう事なのかもしれない。
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