第95話
思ったよりもずっと順調にハーダス先生の遺した品が手に入って、正直、もう満足って気分になってるけれども、今日の探索がこれで終わりって訳じゃない。
扉を潜る前に振り返ると、全ての駒がなくなってしまったチェス盤は、ガランとした印象を受ける。
ナイトの駒の動きを模してマスを移動しなければ、入り口に戻されてしまう仕掛けはまだ残っているけれど、もう奥には謎を解いた後の御褒美も残ってはいなかった。
僕にはそれが、何となくだが寂しく思えてしまう。
この部屋を通れずの間と呼ばれる空間にしたのは、間違いなくハーダス先生だ。
しかしこの部屋を作った人物が、ハーダス先生であるのかどうかは定かじゃない。
教室と教室の間に小さいながらもスペースがあるのは、元より何らかの目的で作られた部屋がここにあったと考えた方が自然である。
或いはその部屋の目的は、やっぱり今回みたいに生徒に謎解きをさせたり、試練を与える為の物だったんじゃないだろうか。
ハーダス先生はそれを攻略して何かを手に入れ、更に魔法使いとして成長した後に、過去に自分が攻略した部屋を改造して、通れずの間にしたんじゃないかと、僕にはそんな風に思えた。
もし仮にそうだとすれば、いや、僕にはそう考えてるから、この部屋をそのままにしたくはない。
あぁ、別に手に入れたチェスの駒を戻して、通れずの間を元通りにしたいって意味じゃないけれど。
そう、もしも僕が、どのくらい先かはわからないけれど、ハーダス先生のような偉大な魔法使いになったなら、別の仕掛けを考えて、別の御褒美も用意して、魔法学校の生徒の為の試練を作ろう。
別に、僕より後に生まれる星の知識の持ち主に向けた試練じゃなくていい。
挑戦した誰かが、それをクリアできてもできなくても、何かを学べるような、そんな試練の部屋があれば素敵だと思うのだ。
高等部の生徒達が探索しているという四階や、迷宮である五階、いや、一階にある出題の部屋や、眠気を誘うベッドだって、先人達の遺した魔法の産物だった。
今は探索側である生徒や、もちろん僕だって、いずれはその先人に加わる。
ちゃんと生きて成長を続ければの話だが、遺す側になる筈だ。
その時はこの部屋だったり、指輪を手に入れたあの場所に、僕は新たな試練を遺したい。
……なんて、今から考えるのはあまりに気の早過ぎる話ではあろうけれども。
「北西の塔はここからすぐだから、さっさと行っちゃおうか。三階から上に上がる階段は五つあるんだけれど、四つは塔を登る階段で、四階や五階には出れないの」
再び先導して歩き出したシールロット先輩が、振り返らずにそんな事を教えてくれる。
そういえば、通れずの間に向かう最中も、塔には三階から直接登れるって言ってたっけ。
どうやら彼女の言い方では、三階から塔へ直通する階段があるのだろう。
外から見る限りでは、四階、五階と塔が分離してるって事はなかったが、中は区切られて出入りができなくなってるらしい。
「四階へ上がる階段は魔法で隠されてるけれど、見付け方は今は内緒ね。今のキリク君が入っちゃうと、もしかしたら危ないかもしれないし」
何故そんな風になってるかといえば、そりゃあもちろん、四階、五階が危険だからか。
シールロット先輩はもしかしたらって言ってるけれど、恐らくそれは多分に気遣った言い方で、普通に危ない場所なんだろう。
今の僕には三階でも厄介そうだったのに、それ以上となると手に負えないのは明白だ。
まずは二階から三階に上がる階段を自分で見つけて、次に三階を歩き回れるように慣れて、四階への階段を自力で発見したならば、その時は上の階の探索もしてみたい。
それができるようになるのはまだまだ先の話だろうけれど、差し当たっての目標は、二階から三階への階段を、二年生の後期の間に見つける事か。
高等部にあがれば、階段の位置は自然と知れる気はするんだけれど、それをのんびりと待ってるようでは、先に進む足が遅れてしまう。
ロ型の本校舎の左上の角に、北西の塔を登る階段はあった。
段を上がる度にグルグルと回転しながら上にあがっていく形式になってる。
確か、螺旋階段であってたっけ?
こう、真ん中が吹き抜けになってるのは螺旋階段って呼ぶのは知ってるんだけれど、塔の場合はその吹き抜け部分も壁になってるから、ちょっと自信がない。
シールロット先輩曰く、こうした形の階段は防衛に適した形になってるそうだ。
下から登って来る侵入者は、右手の武器が壁に邪魔されて使い難く、上で待ち受ける防御側はその制約を受けずに武器を使えるという。
でもこの魔法学校に侵入者が居たとして、その誰かが剣だの何だのって武器に頼るイメージは全く持てないけれども。
長い階段を登り切ると、広い部屋のような場所に出る。
かなり長い階段だったから、シールロット先輩の表情は疲れで蒼褪めているけれど、後輩に対する見栄があるのか、途中で休憩を取ったり、弱音を吐く事はなかった。
部屋の中央には、何やら謎の立方体が置かれてて、天井は大きく開いてて空が見え、窓からは遠く向こうの森までが一望できる。
さて、この部屋は一体どういう場所なんだろう?
僕は疑問を抱きながらも、まずはシールロット先輩の息が整うのを、辺りを見回すフリをしながらのんびりと待つ。
部屋の中央の立方体からは強い魔法の力を感じるけれど、ハーダス先生の仕掛けって感じはしなかった。
ただ、うん、いい景色だなぁって、窓から見える光景に見惚れてしまいそうにはなるけれど。
肩でずっと大人しかったシャムも、今は顔を上げて窓の外に視線を向けてる。
「……ん、ここはね、このウィルダージェスト魔法学校が在る異界を支えてる場所の一つだよ」
やがて、息を整えたシールロット先輩は、僕にそう教えてくれた。
あぁ、なるほど。
この魔法学校は結界に覆われ、外の世界とは半歩ズレた場所に存在してる。
星の世界のように壁を越えた先ではないけれど、いわゆる普通の世界とは、少しだけ理がズレた場所。
それを異界と呼ぶ。
「外と中を区切る結界を張ってるのとか、時々雨を降らせてるのとかも、ここと、他の三つの塔の働きなの。高い、星に近い場所は、魔法の力が強く発揮され易いからね」
要するに異界の中では世界の理が弱まってるから、強い魔法が使い易いって意味なんだけれど、どうやらその中でも、ここや他の塔は、特にズレが大きいのだろう。
しかし、そっか、雨を降らせてる場所って、ここなんだ。
この魔法学校に来てから、幾度となく雨が降るところは見て来たけれど、それを行ってたのがこの場所だって言われると、なんだか不思議な感慨がある。
「でもその様子だと、ここは前校長に関係する場所じゃなかったかな。ごめんね」
シールロット先輩は、そんな風に謝罪の言葉を口にするが、いやいや、とんでもない。
恐らく僕だって、他の誰かが不思議な魔法の掛かった場所を探してて、その案内をするとなったら、ここには連れて来るだろうって思う。
だって、もしも空振りだったとしても、ここからの光景は誰かに見せたくなるから。
僕は首を横に振って、
「そんな事ないです。ありがとうございました。一つは仕掛けを解けたし、面白い物も沢山見れたし、何より楽しかったです」
彼女に向かってそう言えば、肩のシャムも、そうだと言わんばかりに鳴く。
シールロット先輩は、シャムがケット・シーであると知ってるから、別に人の言葉を喋っても驚きはしない筈なんだけれど、何故か。
……ここが結界を張ってたり、雨を降らせてる場所だとしても、それが四つもあるのなら、全てを司る中枢はまた別にあるのかもしれない。
だとしたら、その場所では、この四つの塔の様子が観察できたとしても、不思議ではなかった。
故にシャムは、言葉を発する事を厭うたんだろうか?
魔法学校側は、というかマダム・グローゼルやエリンジ先生、それから恐らくは一部の先生も、シャムの正体は知っているのに。
いずれにしても、この日の探検はここで終わり。
ここで解散って訳じゃないけれど、また歩いて水銀科の別校舎に戻っていたら、夕暮れ時にはなるだろう。
つまりは夕食の時間が近い。
楽しかったし、収穫もあったのだから、僕は今日の成果に満足してた。
その言葉にシールロット先輩も笑ってくれて、この夏の一日は、とてもいい思い出として、僕の記憶に刻まれる。
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