第91話


 夏期休暇の間に魔法学校から姿を消す生徒の中には、僕の友人の一人であるパトラも含まれているけれど、彼女の実家はポータス王国の首都なので、割と気楽に会いに行く事ができる。

 実際、長期休みの度に一度は行ってるんじゃないだろうか。


 パトラの家族の顔も知っていた。

 彼女の母親は優しそうな人で、ついでに好奇心が旺盛で茶目っ気がある。

 父親の方は、筋肉が隆々でとても見た目が厳ついから、夫婦が並ぶと美女と野獣……、とまでは言わないけれど、結構真逆の印象だ。

 あー、パトラは母親似で良かったと思うなんて言ったら、流石に失礼だろうか。


 ただ、父親の方も、別に怖い人じゃない。

 見た目は確かに厳ついけれど、優しくて気遣いもできる、良い大人だった。

 優れた職人でもあって、沢山の家を建てたり、精緻な細工を施した家具を作ったりもする、凄い人だ。


 パトラの兄に関しては、顔は知ってるけれど、実はそこまで詳しくない。

 ちょっと見掛けて挨拶をしたくらいで、話をした訳じゃないし。

 家業の大工を継ぐ為に、修行中だと聞いている。


「キリク君、シャムちゃん、いらっしゃい。来てくれて嬉しいわ」

 つまり、パトラは概ね理想的な家庭で育ってた。

 いや、理想的だなんて言葉は安易に使うべきじゃないのかもしれないけれど、客観的には、少なくとも僕にはそう見える。


 あぁ、別にパトラを羨んでるって訳じゃない。

 理想的な家庭で育つのと、ケット・シーに囲まれて育つのだったら、僕は迷わず後者を選ぶ。

 だから、僕は自分が育った環境には一つも不満はないし、むしろ恵まれ過ぎてるくらいだと思ってた。

 顔も名前も知らない生みの親が、どういった理由で僕をジェスタ大森林に放り込んだのかは知らないが、そのお陰で今もシャムが傍らにいてくれるのだから。


 なので僕はパトラを羨んでる訳じゃないんだけれど、一つだけ思うのは、彼女のように育った子が、時に命の危険に晒されながら魔法使いの道を歩いてるのは、因果だなぁって事である。

 魔法を扱う才能さえなければ、パトラは全く違う人生を歩んだ筈だ。

 もちろんそれは、パトラだけに限らなくて、魔法学校に通う生徒の全員がそうだが。


 仮にパトラに魔法の才能がなければ、彼女の人生はどうなっていたのだろう。

 家業は兄が継ぐ事になってるから、パトラが大工になるって道はなさそうだった。

 まぁ、あんまり向いてる風には思わないし。

 恐らくは、大工の仕事に関係する家や、同程度に裕福な家に嫁いでたんじゃないだろうか。

 もしかするとパトラの親なら、彼女に自由恋愛の末の結婚を許すのかもしれないけれど、それはかなり稀な事だ。


 いずれにしても、穏やかな人生を歩んだに違いない。

 だってパトラ自身もそうだけれど、彼女の周囲はとても穏やかだから。


 しかし、その穏やかさは変わりつつある。

 パトラは、自分と仲間の身を守る為に、戦い方を覚えた。

 それを成長だとか、逞しくなったのだと言う事はできるけれど……。

 穏やかさを、殺伐とした何かが侵食してるのも間違いないだろう。


 別にそれを否定する訳じゃない。

 何故なら僕はクラスメイトで、パトラを変えつつある環境、或いは彼女が適応しようとしてる環境に、生きてる側だ。

 パトラの変化を歓迎こそすれ、否定する筈がなかった。


 いや、うん、結局のところ何が言いたいのかっていうと、パトラの両親は、娘の変化をどんな風に感じているんだろうかって、僕はそれが気になっている。

 パトラは、彼女の性格からして、魔法学校での出来事を全て両親に話してたりはしないだろう。

 特に林間学校の事なんて、心配されるとわかってるんだから、彼女が話す筈がない。


 だがそれでも、長期の休みで帰って来た娘が、以前とどこか違う事に、パトラの両親なら気付くと思う。

 ……いや、もしかすると、パトラの父や母には、娘の変化に気付く両親でいて欲しいんだろうか。

 勝手に、彼女の家庭は理想的だと思ってるから。

 まぁ、僕の勝手な気持ちはさておき、娘の変化に気付いたなら、パトラの両親は何があったんだろうって疑問を抱く筈だし、心配だってするに違いない。


 客間でお喋りに興じていると、焼き菓子とお茶を持って来てくれたパトラの母親は、以前と変わりがないように見えた。

 僕は家にお邪魔してる事にお礼を言って、何時ものように、手土産に持ってきた回復の魔法薬を渡す。

 するとパトラの母親は、それをとても喜んで、

「これからも娘をお願いします」

 って、そう言った。

 以前に、丁度一年くらい前に、初めてこの家を訪れた時よりも、ほんの僅かに切実さの混じった声で。

 或いはそれは勝手な思い過ごし、色々と考え過ぎて過敏になって、そう感じただけなのかもしれないけれど、僕にはそう聞こえたのだ。


 僕が頷くと、パトラの母親は、以前のように娘の学校での様子を聞き出そうとはせずに、すぐに客間から立ち去った。

 パトラは、そのやり取りには特に何も思わなかったのか、自分の膝の上にシャムを置き、背中を撫でてその手触りを楽しんでいる。


 僕はそんな彼女に、

「こっちはパトラへのお土産ね」

 紙袋を一つ手渡す。

 中身は、先日作ったミサンガだ。

 いや、こちらの世界にはミサンガって物が知れ渡ってる訳じゃないから、組み紐とか言った方が正しいだろうか。


 紙袋の中を見たパトラは、まずシャムを見て、それから僕を見て、嬉しそうに、可笑しそうに笑う。

 一目で、それがシャムの毛で作った物だとわかったらしい。

 どうやらそれが魔法の発動体としても使える事には、まだ気付いてない様子だった。


 杖とは別、常に身に付けていられる装飾品の魔法の発動体は、もしかするとパトラを窮地から救うような場合もあるかもしれない。

 もちろんそんな機会は、ない方がいいんだろうけれども。

 まぁ、何らかの役には立つだろう。


 シャムは自分の毛で作られたミサンガを喜ぶパトラを見上げ、複雑そうに一声鳴いた。


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