第89話


 その日、シールロット先輩と共に訪れたのは、彼女の研究室ではなく、不足した素材を採取できる森でもなく、本校舎の地下。

 普段のここは、生徒が好きに魔法を使って訓練ができる、練習場になっている。

 しかし今日は……、周辺を無人の観客席に囲まれた円形闘技場になっていた。

 本校舎の地下がこの姿になっているのを見たのは、一年の後期に、上級生との模擬戦があった日以来だ。

 但し今日の観客は、僕の肩を降りて観客席に座ったシャムのみ。


「今日は先生にお願いしてこっちにして貰ったから、お互いに全力が出せるね」

 僕をここに案内したシールロット先輩が、笑顔でそんな言葉を口にする。

 その笑顔に、僕は思わず一瞬怯む。

 彼女の笑顔はこれまで何度も見て来たが、それを怖いと思ったのは初めてかもしれない。


 シールロット先輩に、妖精の領域から持ち帰った素材を土産として渡した日、彼女は僕に、錬金術師の戦い方を教えてくれると、そう言った。

 度々トラブルに巻き込まれる僕を心配して、錬金術は、古代魔法や魔法陣に比べれば戦闘向きではないと忠告してくれたけれど、それでも僕が道を変えないと言ったから。

 ならば錬金術師としての戦い方が必要になるだろうと、シールロット先輩が指導してくれる事になったのだ。

 今日、ここに来たのは、恐らくその為なのだろう。


「ルールは、初等部の一年生と二年生がやる模擬戦と同じでいいかな。魔法薬は沢山あるから、死ななかったら治せるよ」

 立会人の教師は居ないけれど、何も問題ないとばかりに彼女は言う。

 まるでそれは、僕なんて軽くあしらえると言われてるみたいで、……ちょっと癪に障る。

 二つも学年の違う僕とシールロット先輩では、そりゃあ実力に差はあった。


 だが僕もここまで経験を積み重ねて来て、戦いには少しばかり自信はある。

 彼女は時折、自分は戦いが得意な方じゃないと口にしてたのに、それでも僕をあしらえる心算なのかと。

 少し腹が立ったのだ。

 多分そこには、シールロット先輩に対しては見栄を張りたいって、僕の願望も少しあったのだろうけれども。


 だから僕は、彼女の言葉に何も返さず、ただ黙って構えを取った。


「準備は良いかな?」

 やっぱり笑顔で、シールロット先輩はそう問う。

 見ればわかるだろうにと思いながらも、僕は黙ったままに頷く。

 相手がどんな行動を取っても、すぐに反応できるようにと、油断なく相手の動きを観察しながら。

 そう、心構えは、既にちゃんと作れている。


「ふぅん、本当に?」

 しかしシールロット先輩は、笑みを絶やさずにそう言って、脇にぶら下げた鞄の蓋を開け、中に手を入れ、それを引っ張り出す。

 それは武骨な剣だった。

 彼女の小さな手には全く似合わぬ、とても使えるようには思えない、金属製の剣。

 シールロット先輩はそれをぽいっと宙に投げて、再び鞄に手を入れた。


 投げられた剣は宙に留まり、こちらに刃を向けている。

 生きてる剣。

 錬金術で作られる魔法の道具で、自動で敵と戦ってくれるアイテムだ。

 なるほど、こうしたアイテムのサポートを受けながら戦うのが、錬金術師の戦い方って事か。


 僕がそう納得しかけてる間にも、シールロット先輩は鞄から次々と生きてる剣を取り出して、五本の剣が宙に浮かぶ。

 だが、彼女は僕に対して首を横に振り、鞄をポイと投げ捨てたかと思うと、杖を振って、新たな鞄をどこからともなく取り出して、更にその中から生きてる剣を取り出していく。

 暫く、その動きは止まらずに、……やがて僕の目の前には、無数のって程ではないけれど、恐らく百近い数の生きてる剣が、こちらに刃を向けて並んだ。


「もう一回聞くけれど、準備は良い?」

 そして、やっぱり笑顔で、シールロット先輩は僕にそう問うた。

 ここまでされれば、流石にわかる。

 彼女の言う準備は、僕が思ってたような戦う為の心構えとか、そんな話じゃない事に。


「……いえ、良くないです。参りました」

 故に僕は、戦わずして、負けを認める。

 シールロット先輩が、百の生きてる剣を揃えるって準備をしてるのに、僕は何の準備もできていなかったから。

 唐突にここに連れて来られたからとか、そんなのは言い訳にもならなくて、本来ならば僕は、自分ができる範囲の準備を、常にしておくべきだったのだ。


 それから、勘違いにも気付いた。

 シールロット先輩の言う錬金術師の戦い方は、別にアイテムのサポートを受けながら戦うって意味じゃない。

 戦いに対して、その戦いが起きる前に、絶対に勝利をできる準備をあらかじめ整えておくのが、錬金術を使った戦い方だと彼女は言っている。


「良くできました。そこで卑怯だとか聞いてないとか言わないで、素直に準備不足に気付いて認められるなら、錬金術に向いてるね。やっぱりキリク君は優秀だよ」

 負けを認めた僕に対し、シールロット先輩は笑みを向ける。

 だけどその笑みは、さっきまでのどこか怖さを感じるものじゃなくて、優しく穏やかな笑みだった。

 彼女が、投げ捨てた鞄を拾ってポンポンと払うと、周囲の生きてる剣が、自ら中に入って行く。

 五本入ると、杖を振って鞄を消して、次の鞄を拾って、生きてる剣を仕舞う。


 鞄が、中の容量を増やした魔法の道具である事はわかるのだけれど、あの、鞄を出したり消したりする魔法は、一体どういう仕組みだろうか。

 恐らく移動の魔法の一種なんだろうけれど、実に便利そうだった。 


「キリク君は、ジェスト大森林で多くの魔法生物に襲われるかもしれない危機に陥ったけれど、もしも生きてる剣を千本用意してたら、それは本当に危機だったのかな?」

 シールロット先輩の言葉に、僕は首を横に振る。

 流石に千本の生きてる剣があれば、ワイアームは無理だったとしても、その威に脅えて暴走した魔法生物の群れからは、身を護る事ができた筈だ。

 ……もしかして彼女は、自分は千本の生きてる剣を用意してるって、そう言ってるんだろうか?


 多分、そういう事らしい。

 シールロット先輩が僕に嘘を吐く理由はない。

 ついでに言うなら、そう簡単に底を見せないだろうから、千本の生きてる剣以外にも、用意してる物はきっと色々とある。


「私は戦いは得意じゃないし、錬金術も戦いに向いた技術って訳じゃないけれど、私は戦うなら相手に絶対勝てるように準備をするし、錬金術はそれを可能にする技術だよ。私は強くはないけれど、勝利を目的とするなら、それを達成する事はできるからね」

 錬金術は、目的を確実に達成する為の準備ができる技術だと、彼女は言う。

 目的は勝利だったり、生き延びる事だったり、仲間を助けたり、壊れてしまった魔法人形を修復したりと、色々とあるんだろうけれど、大切なのは目的が何であれ、それに対する準備である。


「もうね、私とキリク君の大きな違いは、あらかじめ準備してるかしてないか。それくらいしかないんだよ」

 なるほど。

 初等部の僕と、高等部のシールロット先輩に大きな差がないというのは、流石に言い過ぎだと思うが、確かに錬金術を使った戦い方は、これ以上ない形でわかり易く教わった。

 この教えをどう活かすかは僕次第だ。

 準備と言っても、その方法は様々だろう。


 彼女と同じように大量の生きてる剣を用意する道もあるし、もちろんそれ以外にもある。

 いやまぁ、生きてる剣は今の僕にはまだ難易度が高いから、まずは他の手段を考えようか。

 いずれにしても、僕は今日、間違いなく一つ成長できた。

 少し、……いや、大分と悔しくはあったけれども。


 次に、もしも機会があったなら、その時はシールロット先輩も驚くような、入念な準備を見せたいと思う。

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