第88話


 何回か言ってる事だけれど、魔法学校の敷地内は環境が安定してるから、夏もそこまで暑くない。

 そもそもポータス王国自体が、僕の前世の記憶にある国と比べて、夏は過ごし易いように感じてる。

 逆に冬は、道が雪で閉ざされて町から町の行き来が不可能になる等、こちらの世界の方が厳しいようにも思えるけれども。

 あぁ、でも前世の記憶にある国も、雪の深い場所では同じように道が閉ざされたりしていたか。

 単にあちらでは、機械技術が発達してたから、交通や除雪ができていただけかもしれない。

 ちなみに僕が育った妖精の領域、ケット・シーの村も、魔法学校と同じく環境は安定してたから、基本的には過ごし易かった。


 シャムも、夏は冬に比べれば割と元気に動いてる。

 日差しがちょっと熱い時は、日陰でゴロゴロしてたり、冷風の魔法を掛けろって僕に要求してくるけれど、精々それくらいだ。

 でもくっ付いてると暑いからか、離れた場所に居る事が多いかもしれない。


 今日は、シールロット先輩との研究は休みの日だ。

 彼女との研究も毎日って訳じゃなくて、週に二日か三日は休みがある。

 ……僕としては、別に毎日でも構わないんだけれど、シールロット先輩が育った孤児院に帰る日が、やっぱり週に何日かはあった。

 他にも、妖精の領域から持ち帰った素材とは別に、組み合わせる為の素材を取り寄せたりだとか、採取しに行く必要だってあるし。


 また錬金術の研究は、ずっとそれに集中してると発想の幅が気付かぬうちに狭くなるから、時には思考をリセットする為に、他の何かをする必要があるとシールロット先輩は言う。

 元より何らかの期限がある訳でもない研究なのだから、特に焦る必要もない。

 尤も、研究自体がとても楽しいから、休みの日はちょっと残念な気持ちになってしまうのだけれども。


「キリク、今日はどうするの?」

 朝、部屋で僕の肩に乗ったシャムがそう問う。

 まぁ、まずは食堂で朝食を取るのは確定なんだけれど、シャムが聞いてるのはその後の事だ。


 僕は少し考えた後、

「……んー、図書館に行こうかなって思ってるよ」

 問い掛けにそう返す。

 思ってるよって言うか、今思い付いたんだけれど、今日は何となくそんな気分である。


 魔法学校の図書館は、紛れもない知識の宝庫だ。

 何かを学ぶ時、先生やシールロット先輩から教わるのはとても手っ取り早いんだけれど、それだけではどうしても取りこぼしてしまうものがあった。

 既にその何かを知る者が教える時、要点を纏めて、わかり易く教えるだろう。

 もちろん、それはとてもありがたい事で、余分な手間が大幅に省ける。

 手っ取り早いというのはそういう意味だ。


 けれどもその余分な手間の中に含まれる何かは、他人に教えて貰った時には、往々にして取りこぼしてしまう。

 理解の為に思考し、要点を自分で纏める事こそが、深い知識の獲得に繋がる場合も、少なからずあった。

 何より、そうして自分で調べる癖がついていないと、教え導いてくれる者がいなければ、自力で前に進めなくなる。

 故に、シールロット先輩との研究ができない、彼女に教え導いて貰えない今日は、図書館に行って自分で学ぶ。

 王都にあるパトラの家に遊びに行くのも悪くはないが、それはまた今度でも構わないし。



 ゆっくりと朝食を取った後、卵寮を出て本校舎に向かい、二階へと上がる。

 本校舎の二階は、職員室や校長室、その他にも先生達の私室や研究室がある、教師の為の階って印象が強い。

 だが今日の目的は先生の誰かに会う事じゃなくて、この二階にある図書館の利用だ。

 二階は、どこからともなく綺麗なピアノの音色が聞こえて来るけれど、……音の出所を探すと、恐らく無人の音楽室に行きつくだろうから、気にしない事にしておこう。


 専用の建物じゃなくて、本校舎の一画にある部屋を使っているなら、図書室じゃないのかって思うけれど、しかしそこは部屋という規模じゃない。

 中はとても広い空間になっていて、天井の高さが他の部屋の倍くらいあって、立ち並ぶ本棚の背も凄く高かった。

 また奥行きも深く、奥が見通せないくらいに果てがない。

 更には、下へと降りる長い階段もある。

 階段は地下にまで続くが、そこは古代の遺物の保管室で、そこには本があるという訳じゃないらしいけれども、そこも図書館の管轄だ。

 つまりこの図書館は、本当に広い場所だった。


 図書館には一般的な知識が書かれた本から、魔法に関する知識の書かれた本、更には禁書と呼ばれる本まであるけれど、このうち禁書に関しては、今の僕にはまだ閲覧の許可が出ていなかった。

 高等部にあがって、自分の研究室が与えられるくらいになれば、禁書を閲覧する許可も下りるというが、まだまだ遠い目標に感じる。

 いやでも、初等部の終わりまでもう半年と少ししかなくて、僕の目標は高等部にあがってすぐに研究室を得る事だから……、遠いなんて言ってる場合じゃないか。

 ちなみに禁書にも種類があって、単に扱いの難しい知識の書かれた本、広く知らしめる事を禁じられてたり、実践を禁じられた知識の書かれた本、書物に魔法が掛かっていて、閲覧自体が危険な本等があるという。

 詳細は、実際に禁書を閲覧する許可が出た際に教えられるらしいけれど、許可が出たからと言って全ての禁書が読めるって訳じゃないらしい。


 司書のフィリータに本を選んで貰い、書見台のある机と向かう最中、僕は知った姿をそこに見付ける。

 今年の、新しい初等部の一年生の当たり枠である、アルティムだ。

 彼は読書に熱中しててこちらには気付いてない様子だったから、敢えて声はかけないが、ふと気になる事があって、少し様子を見守った。

 というのも、今、アルティムが読んでる本と、次に読む為に机の上に置いた本に、僕は見覚えがあったから。


 今、彼が読んでる本は、『悪霊とは』。

 次に読むのであろう本は、『星の世界』。


 そう、それは去年、僕も丁度このくらいの時期に読んだ、二冊の本。

 あの時は確か……、鶏を綺麗な声で鳴かせる魔法薬の使い道が、悪霊を追い払う為だって話を聞いて、悪霊とは何かって事が気になったんだっけ。

 アルティムが僕と同じ経緯で悪霊の事を調べてるのかどうかはわからないけれど、何となく親近感を感じる。

 だが彼の読書を見守ってるのは、その親近感が理由ではなくて、『悪霊とは』を読んだ後、『星の世界』に目を通したアルティムが、一体どんな反応をするのかが見たかった。


 近くの席に腰掛けて、自分の読書を進めながらも、時折チラチラとアルティムの様子を確認する。

 なんというか、我ながらやってる事が不審者だなぁって少し思うけれど、どうしても気になって仕方なかったのだ。

 もしかすると、当たり枠の生徒に『星の世界』を読ませるのは、魔法学校側がそう誘導してるんじゃないかとも思う。

 あの時も、本を選んでくれたのは司書のフィリータだったし。

 

 暫くそうして見守ってると、アルティムは二冊の本を読み終えて、ちょっと疲れたように息を吐く。

 特に衝撃を受けてる様子は、見受けられない。

 そして彼は、ふと僕に気付いて笑みを浮かべて声を上げようとし、ここが図書館である事を思い出して自分の口を抑えた。


 うん、なんというか、実に可愛い後輩だ。

 ただアルティムは、僕と同じ当たり枠ではあったけれど、僕の同類ではなかったらしい。

 そんなの当たり前なんだけれど、何だか少しだけ、こう、残念な気もする。

 ……もしかして、僕は同類を欲してるんだろうか?


 なんとなく肩へと手が伸びるけれど、それは無情にもべちりとシャムに叩き落とされた。


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