第79話
随分と久しぶりだけれど、歩き慣れた森を歩く。
道中、手を伸ばして樹の葉を千切り、口の中に放り込むと、
「キリク、いきなり何を食べてるんだ?」
それを見咎めたらしいクレイに問われてしまう。
あぁ、うん、半ば無意識というか、癖で口に運んだが、この葉は口に入れると、ちょっと青臭いけれど割と甘くて、噛むと疲れが取れるのだ。
尤も飲み込むと青臭さが急に増すから、噛んだら地面に穴を開けて、ペッと捨てて埋めるんだけれど。
他にも、そこらに生えてる小さな赤い実とか、花の蜜とか、昔から森歩きをしてる時は、色々と口に入れる事が多かった。
もちろん、中には毒が含まれるものもあるから、そういった物はちゃんと教えられて避けてるけれども。
「そう……、逞しいな」
だけど、クレイにはそんな風に言われてしまう。
ちょっと田舎者っぽく思われたみたいで心外だ。
いや、実際に田舎者ではあるんだけれど、クレイだって別に大差ないじゃないか。
人間の村の周囲にだって、色々と食べられる物は生えてたと思うし、それを口にするのと、妖精の領域の森に生えた植物を口にするのとでは、……うん、まぁ、少し差はあるな。
改めて思うと、さっきの葉なんて、甘い葉とか珍しいし、何だか疲労が取れる薬効もあるし、魔法薬の材料になるんじゃないだろうか。
あれが、既に人間達には知られてるけれど、僕がまだ知らないだけなのか、それとも人間にとっては全く未知の素材なのかはわからないけれど、シールロット先輩へのお土産になるかもしれない。
少し摘んで、鞄に詰めておこうか。
ちなみに、妖精の領域には、人間の世界の常識からは大きく外れた植物が他にも色々と存在してる。
例えばパンを焼く麦だって、妖精の領域で得られる麦は、粉にして水で練って生地にすると、一粒で一個のパンが焼けるのだ。
どう考えてもあり得ない増え方をするんだけれど、味はまぁ普通で、食べても特別な効果はない筈。
ケット・シーの村ではそのパンが主食で、僕はずっと食べてたから、少なくとも健康が害される事はない。
料理の味は、色んな香辛料とか技法を使ってる分、魔法学校の食堂の方が美味しかった。
でも食材の不思議さに関しては、ケット・シーの村の方が上だと思う。
ちらりと振り返ると、シーラと目が合って、彼女は少し安心したように、僕の後ろを付いて来る。
その隣にはミラクが並んでて、こちらはちょっと楽しそうにあたりをキョロキョロと見回してた。
シーラはやっぱり今の状況がストレスになってる様子で心配だけれど、実はミラクからも目が離せない。
怯えを感じる分には、妖精の姿を見てもふらっと付いて行ってしまう恐れはないだろうけれど、好奇心に満ちた人間は容易く妖精の誘いに乗ってしまう。
また妖精の方だって、興味津々に辺りを見回してる相手には、ついついちょっかいを掛けたくなる。
だから僕は、この妖精の領域に入ってからは、ミラクにも気を払ってた。
一方、パトラに関しては、先頭を歩くシャムのすぐ後ろから、あれやこれやと楽しそうに話しかけてて、もうシャムがケット・シーであった事にも順応してる。
なんというか、パトラってやっぱり根っこの部分が強いなぁって思う。
或いはケット・シーという喋る猫の存在を目の当たりにして、気持ちが舞い上がってるだけなのかもしれないけれど。
僕にも、その気持ちはよくわかる。
クレイは、仲間達の中では一番冷静に周りを見ていて、うん、二人の友人に関しては、あまり心配は要らなさそうだ。
葉や実を摘みながら歩いていると、辺りの景色もよく見知ったものになって来る。
村はもう間もなくだ。
この辺りは既にケットシーの縄張りだから、他の妖精にちょっかいを出される事もない。
後はこの大きな木の周りを一周してから先に進むと、木々がまるで道のように両脇に並ぶ。
そしてその道を通り抜ければ、不意に視界が広がって、ケットシー達が暮らす村の入り口に辿り着く。
「おっ? なんだい、どうしたい。シャムとキリクじゃないか。お前ら、なんとかって先生に連れられて、魔法学校とやらに行ったんじゃなかったか?」
村の入り口に置かれた椅子の上で丸まってた茶色の猫が、顔を上げて驚いた風にそう言う。
もちろん、彼もケット・シーだ。
名前はチャトル。
彼は村の門番って訳じゃないんだけれど、手が空いてるとよくここの椅子で寝てるから、村の出入りをする時はよく顔を合わしてた。
「おじさん、久しぶり。うん、事情があってね。キリクの仲間達を連れて、少し戻って来たんだよ。多分、少しの間は滞在すると思う」
シャムの言葉に、チャトルはほぅほぅと頷くと、自分が納得したからと再び丸くなる。
僕の仲間達を調べようとか、歓迎の言葉を投げ掛けようとか、村の皆に僕らの帰還を報せようとか、そういった事はしない。
自分の疑問が解消されれば、彼にとってはそれで十分なのだ。
だったら後はもう一度昼寝をしようと、そういう気持ちになったのだろう。
別にチャトルが特に物事を気にしない性格って訳じゃなくて、ケット・シーは割とそんな感じの人っていうか、猫が多い。
パトラはチャトルにも話し掛けたかった様子だけれど、彼が丸くなってしまったから、少し迷ってから諦めていた。
まぁ気持ちはとてもわかるんだけれど、どうせ村の中はケット・シーだらけなので、会う度に話し掛けていたらキリがなくなる。
説明を終えれば、シャムもチャトルの事はもう全く気にせずに、村の中へと歩いてく。
村に入ると、色んなケット・シーが驚いた風に声を掛けて来たけれど、やはり軽い説明で皆納得してくれた。
尤も、ケット・シー達のこの態度も、誰にでもって訳では当然ない。
クレイやパトラ、ミラクにシーラが気にされないのは、彼らがシャムと僕が招いた客人だからだ。
もしも全く無縁の、それも不当に村に侵入してきた余所者だったら、ケット・シー達は瞬く間にそれを排除するだろう。
「とりあえず、キリクの家でいいよね? 他の家は、人間には狭いしさ」
シャムの言葉に、僕は頷く。
それで構わないというよりも、他に選択肢がないから仕方ない。
この村にあるのは、僕の家を除けば、ケット・シー達の身体の大きさに合わせた建物ばかりである。
昔は、僕もシャムや、シャムの父や母と一緒に、彼らの家で暮らしてたんだけれど、成長と共にケット・シー達の家では手狭になって、大きな家を建てて貰った。
だからこの村にある唯一の人間に適した家が、僕の家なのだ。
ちなみにエリンジ先生がこの村に滞在してた時は、村の隅にテントを張って暮らしてた。
僕の家に泊まって下さいって勧めたんだけれど、エリンジ先生にはお気遣いなくって断られて、……ただ今になって思えば、きっとあのテントの方が、他人の家よりもずっと快適に暮らせる仕掛けがあったんだろうなぁってわかる。
鞄の中の容量や、部屋の広さを大きくできる魔法使いの持つテントが、見た目通りである筈がないし。
しかし僕らはそんな便利なテントを持ってる訳じゃないから、……取り敢えずは僕の家に泊めるより他に手はなかった。
問題は、クラスメイトに家の中を見られるのが何だか気恥ずかしいのと、そんなに広い訳でもない家に、五人もの男女が一緒に泊まる事である。
前者は僕の気持ちの問題だから、もう我慢するより他にないとしても、男女が一緒に泊まるというのに関しては、……ほんとに、どうしようか?
ベッドはまぁまぁ広いから二人は寝れるとして、ソファーもあるからそこでも寝て貰えば、女子の三人は何とかなる。
僕とクレイは、床かなぁ。
暖かい季節だし、シャムの家から綺麗な敷布でも借りれば、床でも眠れはするだろう。
少なくとも、野宿よりはずっといい。
男女が同じ空間で寝泊まりする事に関しては、もう許して貰うより他になかった。
だって、そもそも僕の家だし……。
皆を連れて家に入ると、何時も通り扉に鍵は掛かってなくて、部屋が埃臭いなんて事もなかった。
きっとシャムの母が、時々掃除をしてくれてたんだと思う。
後で、お礼を言いに行くとして、とりあえずは、
「ただいま」
僕はそう呟いて、懐かしさで胸を一杯にしながら、背負ってた荷物を床に下ろす。
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