八章 ケット・シーの村と、前期の試験
第78話
あっ、知ってる空気だ。
周囲に満ちた光が収まった後、僕が真っ先に感じたのは、それだった。
先程までの圧迫感に満ちた攻撃的な雰囲気は消え、穏やかな森が広がってる。
僕らが立っていたのは、先程までと同じように大きなキノコに囲まれた小さな広場で、
「旅の扉の魔法みたいだ」
ぽつりと、クレイがそう呟く。
確かに、シャムが妖精の抜け道と称したそれは、特定の場所に転移する旅の扉の魔法によく似てた。
いや、出口だけじゃなくて入り口も固定な分、妖精の抜け道の方が使い勝手は悪いかもしれない。
「うーん、もしかしたら妖精の抜け道を見た人間の魔法使いが、真似して作ったのかもしれないね。でもあの抜け道は、妖精なら誰でも開いて通れるから、君達の魔法よりも便利だよ」
だがクレイの呟きを聞き付けたシャムは、そんな風に言葉を返す。
それ、僕は初耳なんだけど。
シャムとは、ケット・シーの村で長く一緒の時間を過ごしたのに、そんな事ができるなんて一度も聞いた覚えはない。
……まぁ、問うた覚えもなかったが。
ただ、ケット・シーという妖精が、多くの不思議な力を操れる事は知っていた。
なのでシャムが僕の知らない能力を持っているのは、そりゃあ当然なんだけれども、流石にこれだけ便利な力に関しては、教えておいて欲しかったと思う。
だってこんな抜け道があるなら、これまでの長期休みだって帰郷は可能だったのかもしれないし。
もしかして、シャムは魔法学校でのんびりと食堂のご飯を食べながら過ごしたかったから、敢えて妖精の抜け道に関しては言わなかったんじゃないだろうか。
僕はシャムを誰よりも信頼してるし、きっとそれは逆も然りの筈だけれど……、それはそれとして、シャムはそういう事をする奴だ。
「まぁ、いずれにしても、妖精の領域へようこそ。心の底から来たくて来た訳じゃないだろうから、君達には不本意かもしれないけれど、歓迎するよ。ボクは、ケット・シーのシャム。……あー、パトラには、黙っててごめんね」
シャムは、地に着いていた前脚を持ち上げ、二足で人のように立って見せて、僕らに、というか僕を除いた仲間達に、そう名乗る。
パトラに対してだけは、少しばかり申し訳なさそうに、一言を付け足して。
「そんな、むしろ助けてくれてありがとう。その為に、正体を明かしてくれたんだよね? あっ、シャムちゃん、今まで猫扱いしてきたけれど、凄く失礼な事だよね。今まで、嫌じゃなかった?」
するとパトラは、慌てたように首を横に振って、礼の言葉と、シャムへの気遣いを口にした。
やっぱり彼女は、良い子だなって思う。
黙っていた事を責める訳でなく、助ける為に正体を明かしたのだと察して礼の言葉を述べるのは、少なくとも今のように急展開した状況だと、決して簡単じゃない。
ただ一つだけ、シャムを猫扱いしてたって部分に関しては、全くいらぬ心配だ。
「猫として振る舞ってたんだから、そう扱われて不満はないよ。人の世界に紛れたケット・シーが、猫として扱われるのは光栄な事だしね。ちゃんと紛れるように振る舞えてるって意味だから」
むしろシャムは、どこか誇らしげな様子さえ見せて、いや、恐らく場を和ませる為にわざとそうしてる面もあるんだろうけれど、えへんと胸を張る。
この辺りは、人間とケット・シーの価値観の相違だろう。
いや、或いは魔法生物との価値観の相違と言ってもいいかもしれない。
人間は、相手を人間と同じように扱う事こそが、敬意の示し方だとか、無難だと考えがちだけれど、必ずしもそうとは限らないのだ。
今回のように、猫扱いをしても怒らない場合もあれば、まるで神にでも接するかのように恭しく接しなければ機嫌を損ねる魔法生物もいるという。
魔法生物学のタウセント先生から、そんな感じの話をされた事はあるけれど、実際に魔法生物との価値観を体感できるこの経験は、パトラにとって非常に大きな物となる筈だった。
「ところでシャム、これからどうするの?」
しかしこのままだと、話が前に進まないから、僕は今後の予定をシャムに問う。
緊急避難の為とは言え、ここに皆を連れて来てしまって、この後どうする心算なのか。
契約で口止めはしてるから、シャムの正体が魔法学校中に広まる……、なんて事にはならないにしても、そもそもまず、どうやって魔法学校に帰るのかを考えなければならない。
さっきの場所が危険で、他に選択肢はなかったんだけれど、妖精の領域へ移動してしまったから、先生が迎えに来るのも大幅に難しくなった。
そもそも僕らが妖精の領域へ入った事すら、魔法学校側には伝わらない可能性がある。
「んー、とりあえずボクらの村に帰ろうと思ってる。あそこなら、エリンジ先生は場所を知ってるし、そのうち迎えに来るでしょ。マダム・グローゼルとの契約があるから、無事な事はわかってる筈だし」
するとさも当たり前のように、シャムは言う。
あぁ、本当に、全く想定もしてなかったけれど、僕は帰郷をするらしい。
まさかこんな形で、ケット・シーの村に戻る事になるなんて、想定外にも程があった。
「だから全員、あ、キリク以外は、逸れないでよ。ボクとの契約があるから襲ってはこないけれど、フラフラと他の妖精に付いて行ったら、何が起きるかわからないからね」
脅すようなシャムの言葉だが、割と大切な警告だ。
それにしても、わざわざ僕以外はって、言う必要はあったんだろうか。
確かに、ここが妖精の領域だっていうなら、いや、間違いなくそうだって事は僕にもわかるけれど、だったらケット・シーの村に帰るくらいは、一人でもどうにかなる。
でもその言葉に疑問を抱いたらしいシーラは、
「その言い方だと、キリクさんだけは逸れても大丈夫って風に聞こえますけど……」
少し躊躇いがちではあったけれど、シャムに問う。
いや、これは、恐らくシャムはその質問を仲間の誰かにさせる為に、敢えて妙な言い回しをしたのだ。
でも付き合いの深いクレイやパトラは、僕ならそんな事もあるだろうとか、或いは薄々事情を察して、特に問いはしなかった。
ミラクはあまり細かい事を気にする性質じゃないから、シャムの言い回しには気付かなくて、今の状況に一番怯えているだろうシーラが、その疑問を口にしたって感じだろう。
これは、あんまりよくない兆候かもしれない。
別にシャムの言い回しが悪いって意味じゃなくて、最近は色々と意見を言ってくれるようにはなって来たが、元々主張の強い方ではないシーラが、それでも疑問を放置できなかった。
言い方を変えると、少しでも状況を把握して、不安を減らしたいって気持ちが強まってるって事だ。
つまり今の状況に、非常に強いストレスを感じてて、抑えが利かなくなりつつある。
シャムがチラリとこちらを見たのは、フォローは僕がしろって意味だった。
「赤ん坊の頃にジェスト大森林に捨てられてたキリクは、妖精が拾って、ケット・シーの村で引き取って育ったからね。この森の妖精は彼の事を傷付けないし、協力的だ。もしもボクが信じられないなら、キリクを頼ると良いよ。喋る猫よりは、クラスメイトの方が信じ易いだろう?」
その言葉に、シーラは僕とシャムを交互に見て、それから一つ頷く。
シーラも、今の状況ではシャムを頼らざる得ない事は理解してて、それでも感情が追い付かないから、まだしも納得し易い僕に頼る方を選んだ。
実際にはどっちを頼っても結果は変わらないとわかっていても、とにかく納得したかったから。
それはこんな状況に放り込まれれば、出て来て当然の感情である。
むしろ、抑え切れない感情のままにシャムに食って掛からないだけ、シーラは理性的だし、賢かった。
しかしそれだって、何時までもそう在れる訳じゃない。
なるべく早くケット・シーの村に、少しでも良い環境に連れて行って、休ませてやる事が必要だろう。
「僕の事は、後で聞いてくれたら答えるよ。だから今は、休める場所を目指そうか」
話を纏めるように僕がそう言えば、異論はもちろん誰からも出なくて、シャムに連れられ、歩き出す。
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