第77話
鳥の羽ばたく音が無数に聞こえ、空の一部が飛び立った鳥の姿に黒く染まった。
皆も、同じような気持ちだったのだろう。
戸惑ったような表情で、どうしたらいいのかと言わんばかりに僕を見る。
でも僕だって、この状況で何が最適解なのかなんてわからないんだけれど……、
「まずい。キリク、急いでこの場を離れるよ。ついて来て」
不意にシャムが、周囲に他の人目があるにも拘らず言葉を発して、僕の肩から飛び降りた。
当然、クレイもパトラも、ミトラもシーラも驚き、呆気に取られた顔でシャムを見てる。
だけど、いや、本当にシャムの行動は唐突だったけれど、そうしなきゃいけないくらいに、今の状況は逼迫してるのだろう。
魔法学校に入ってから、シャムは常に正体を隠して、僕を優先して行動してくれた。
そのシャムが唐突に自分の正体を明かさざる得なくなるくらいに、きっと今の状況は拙いのだ。
何があったのかは、本当にさっぱりわからないけれども。
「皆、説明は後。今はシャムの言う通りに移動するよ。多分、一刻を争う事態だから」
だから僕は、何一つわかってないけれど、迷いのない態度でそう言って、歩き出したシャムを追う。
今は迷わず、勢いで押し通した方が、皆を誤魔化せると考えて。
ただ、さっきの言葉は嘘にはならないと思ってる。
あの爆発音の後、辺りの雰囲気は明らかに変わって、まるで別の場所に来たようだった。
もちろん、その変化は悪い方にだ。
妖精の一種であるケット・シーのシャムは、僕らとはまた違った感覚を備えてる。
そんなシャムなら、僕ら以上に不吉な予感を、正確に察していても不思議はない。
シャムを追って歩くこと暫く、当然ながら、仲間達の説明を欲する雰囲気も強まっていく。
或いはそれを察したのだろうか、
「この辺りは、凄く年寄りのワイアームが棲んでる場所なんだけど、普段はずっと眠ってて、もう何百年にもなる。だけどそれを、どこかの誰かが強引に起こしたんだ」
歩みこそ止めなかったが、皆の耳に届くには十分な声で、ハッキリとそう告げた。
ワイアームとは、竜の一種とも言われる強大な魔法生物だ。
その姿は、頭部は竜に酷似していて、身体は長い蛇体であり、手足の類は生えていない。
但し他の竜と違って、意思の疎通が行えたという例はなかった。
そもそも言葉を交わせる程の知能を持っておらず、竜に姿は多少似てるが、全く別の魔法生物だとする説もある。
だがいずれにしても、身体のサイズも、保有する力も、とても強大な存在である事に違いはない。
「シャムちゃん……、やっぱり、喋ってる」
パトラの呟きに、振り向いたシャムは、一度頷く。
もう、隠す心算はないらしい。
僕を除けば、仲間達の中で、いいや、クラスメイトの中でも、一番シャムと仲が良かったのはパトラだろう。
何しろ、僕とパトラが親しくなった切っ掛けだって、彼女がシャムを構いたかったからだし。
「誰がワイアームを起こして、起こした誰かがどうなったのかはわからない。ワイアームがどんな風に暴れるかもわからない。だけど、ワイアームの目覚めを恐れた他の生き物が、向こうから一斉に押し寄せて来る。幾ら君達が魔法使いでも、対処し切れないくらいに大量に」
続くシャムの説明は、僕らの顔色を蒼褪めさせるのに十分な物だった。
シャムが言う他の生き物の中には、多くの魔法生物が含まれる。
その魔法生物達が、別に僕らを害する心算がなかったとしても、進路上にいる障害物を、ちゃんと避けてくれるとは限らない。
これは間違いなく、懸念していた不測の事態だ。
ワイアームを起こしたのが、星の灯であるのかどうかはわからないが、少なくとも想定された林間学校の範疇は大きく逸脱しているだろう。
昨晩、シャムと話したように、魔法学校の影靴は、他の誰かの介入に対して、最大限の警戒を敷いていた筈である。
にも拘わらずこんな想定外が起きてるって事は、……相手が余程に手強かったのか、それとも想像を絶する程にいかれてたのか。
「だったら、すぐに糸を切って、先生に助けを求めるべきじゃないか? 本当にそんな状況になってるなら、もう林間学校どころじゃないだろう」
そう意見を出したのは、比較的だが冷静さを保っているクレイだった。
けれども、シャムはその言葉に首を横に振る。
「年を経たワイアームが目覚めたから、その力が強く辺りに満ちてるんだ。やってみる価値はあるから、試すだけ試して欲しいけれど、多分無駄かな。人間が連絡を取る魔法って、そういうのの影響を受け易いみたいだし」
シャムの言葉に、僕は即座に懐を探って、クレイやパトラ、ミラクにシーラの顔を見回す。
この糸を切るのは、林間学校からリタイアするって意味だ。
正直、もうそんな事を言ってる場合じゃない気もするけれど、それでも僕が一人で勝手に決められる話じゃない。
クレイが頷き、パトラが頷き、ミラクはまだ意味がいまいちわかってないようだったけれど、周りを見て頷き、シーラもまた頷く。
だから僕は、力を込めて糸を切る。
でも、それで何かが変わった気はしない。
すぐにゼフィーリア先生が現れてくれる様子も、残念ながらなかった。
「さっきので助けが来てくれるなら、それでいいんだけれど、もしそうじゃなかったら、君達はこのまま他の生き物に踏み潰されて死んでしまうかもしれない。だから……、ボクは君達に、妖精の抜け道を使う事を提案するよ」
今のやり取りで、無駄になった時間を取り戻す為か、シャムが歩く速度を少し上げながら、そんな言葉を口にする。
妖精の抜け道。
昨晩のシャムとの会話で出てきた、ケット・シーの村まで素早く帰れると言ってた、アレだろうか。
それはもしかしたら、人間のそれとは全く別の、妖精の魔法なのかもしれない。
……だけど、そう、昨晩の話では、それを通れるのは僕とシャムだけだった筈。
「但し、妖精の抜け道は、妖精が認めた相手しか、通れない。この中だとキリクだけだ。でもキリクは、君達を見捨てて一人で助かろうとなんてしないだろう」
あぁ、やっぱり、そうだった。
うん、当たり前だけれど、それは嫌だ。
本当にどうしようもないのなら、取捨選択はするだろう。
僕にとって最も大切なのは、シャムである。
それを失うくらいなら、何かを見捨てる事はあるかもしれない。
けれども、皆で助かる方法を探して、できれば最後まで足掻きたかった。
「だから、さ。君達は、ボクと契約して欲しい。ボクに関してと、この先で見た事を魔法学校で口外しないって契約を。その契約の対価に、ボクが君達を助けてあげる。契約を交わした相手なら、ボクが抜け道を通る時に、一緒に向こう側に行けるから」
もちろんシャムも、それはわかっているから、そんな言葉を言ってくれる。
ただ、それはシャムにとっても最大限の譲歩というか、皆を救える唯一の手段なのだろう。
後は、皆がシャムを、或いはシャムと常に共に在る僕を、信じてくれるかどうかにかかってた。
基礎古代魔法の授業で、僕らは契約に関しては学んでる。
決して安易に交わす物ではないという事も、カンター先生は繰り返し口にしてたから、迷う気持ちが生じるのは当然だ。
「うん、私は、シャムちゃんのいう契約を結ぶよ。だって、シャムちゃんは優しい子だもの。私達を助ける為にそう言ってくれてるってわかるから、お願い」
だけど、真っ先にパトラが、シャムとの契約に応じるとの言葉を口にする。
そしてそのパトラの言葉に対し、振り向いたシャムが頷いた瞬間、両者の身体が淡く光った。
……なるほど。
これが契約が結ばれた瞬間って奴か。
そんな場合じゃないってわかってるのに、やっぱり何だか、ちょっと悔しい。
「あぁ、うん。パトラに先を越されたけれど、俺も契約する。猫とは、初めて喋るから、正直よくわからないけれど、キリクの事は信じてるし、俺も契約したい」
次いでクレイがそう言えば、ミラクにシーラもそれに続く。
正直、この組の仲間達が、半分は友人で助かった。
もしも誰も友人がいなければ……、或いは僕は、ここで多くのクラスメイトを見捨てる事になってたかもしれない。
そこからは、遠くから迫りくる多くの気配に急かされるように木々の間を走り抜け、辿り着いたのは、腰を掛けられる程の大きなキノコが円形に、等間隔に並んだ、小さな広場。
大きさは、僕ら全員がギリギリ入れるくらいだろうか。
その広場を前にして、シャムが何やら僕も知らない言葉を唱える。
すると広場は光を発して、僕らはシャムに急かされて、その光の中へと飛び込んだ。
それは、あまりに物騒で強引な、思いもよらぬ帰郷への一歩であった。
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