第76話


 空が白み始める前に、僕らは準備を整え動き始める。

 陽が沈み切る、夜の七時前には守りの札を使って野営を始めて、結局は三枚とも使い切ってしまったから、今は朝の四時頃だろうか。

 九時間という休憩時間は、最初に受け取った時は過剰なくらいに思えたけれど、危険な夜を避けるという意味では、それでも足りないくらいだった。


 ただ、それでも休息はしっかりと取れたから、慣れぬ環境での一夜だったが故に万全ではないものの、酷く不調な様子の仲間はいない。

 これが三夜、四夜と積み重なると、また話は違うのだろうけれど、今回は魔法学校側も、僕らをそこまで追い込む気はないのだろう。

 ……今回より酷い次回があるのかは、さっぱりわからないけれど。

 あるとしたら、高等部に上がってからだろうか?


 さて、今日の目的は、夕方までこのジェスタ大森林で生き残りつつ、黒影兎を確保する事だ。

 昨日と違って、夜をどうするかはもう考えなくていい。

 不測の事態が起きて、夕方になっても迎えが来なかったりしたら、その時は夜の過ごし方も考えなきゃいけないけれど、最初からそれを想定して動くのは、今回の趣旨から外れてしまう。

 最悪を想定するならば、そもそもジェスタ大森林に踏み込む事自体が間違いなのだから。


「それにしても、一体どうやって黒影兎を見付ける? 闇雲に探しても、簡単に見付かるとは思えないんだけど……」

 広場に作った拠点を崩した後、クレイが僕にそう問う。

 確かに、この広いジェスタ大森林の中、特定の魔法生物を見付け出すのは非常に難しい。


 でも、僕はそこまで心配はしていなかった。

 何故なら、ジェスタ大森林のどこに黒影兎がいるのかはわからないけれど、この辺りにいるのは確実だからだ。

 魔法学校側だって馬鹿じゃないから、どんなに頑張っても達成不可能な課題なんて出したりしない。

 生徒の力で十分に対応できるとして出された課題である以上、確保すべき黒影兎は、僕らの行ける範囲に存在してる。


「黒影兎は、影に潜って隠れられる事以外は、少し大きな兎に過ぎないっていうしね。僕は、実は兎を捕まえるのって、結構得意なんだ」

 そして僕は、ケット・シーの村で暮らしてた頃に、幾度となく兎を捕まえていた。

 ほら、ケット・シーの村は、ジェスタ大森林の中にあるから、食材を市場で買うなんて事はできない。

 肉も野菜も果実も、パンを焼く為の麦だって、全て村の周囲の森から得る。

 流石に、猪や熊は自分じゃ狩れなかったけれど、兎や鳥、鹿くらいなら、幾度となく仕留めて、その肉を食べていたし。


 昨日、野営に適した場所を探す時にも、色んな場所を注意深く調べて、獣の痕跡は幾つも見付けてる。

 その中にはころころとした球状の、しかし普通の兎が出す物よりも大きめな糞が混じってた。

 魔法生物の痕跡は、普通の獣と違って独特だったり、わかり難かったりはするけれど……、黒影兎の痕跡は、恐らく普通の兎と遠くかけ離れてる訳じゃない。

 つまり、おおよそだが、黒影兎の活動してる範囲は、既に見当がついているのだ。


「だから見付け出すのは、少し時間は掛かるかもしれないけれど、どうにかするよ」

 確実に見付けられるかと言われれば、そりゃあどうしたって運は絡むけれど、それなりに自信はあった。

 ただその後、黒影兎を確保できるかは、皆の力次第だけれども。



 広場から当たりを付けていた黒影兎の活動範囲へと移動すれば、札の力で遠ざけられていた魔法生物が戻って来たのだろうか、昨日と同じく幾度かの襲撃を受ける。

 けれども今日の仲間達は、昨日よりも危なげなく、襲ってきた魔法生物と戦えていた。

 コンディションと言う意味では、そりゃあ初日である昨日の方が良かった筈なのに、今日の方が動きは良い。

 特にパトラとシーラ、元々あまり得意としていなかった二人の成長は、目覚ましいものがある。

 これまで積み重ねた戦いの訓練の成果が、ジェスタ大森林という危険な環境の中で花開いたとでも言うかのように。


 それこそが、魔法学校の狙いだろう。

 確かに林間学校は、生徒に戦う力を身に付けさせる上で非常に効果的だった。

 授業での遠征もそうだったけれど、魔法生物との戦闘経験を積む度に、皆の戦う力は目に見えて成長してる。


 もちろん、誰もが心の底から望んで戦ってる訳じゃない。

 特に僕の良く知るパトラは優しい女の子だから、敵対的な魔法生物でも、傷付け命を奪う事には抵抗を感じている筈だ。

 でも彼女が戦わなきゃ、僕やクレイ、ミラクやシーラが怪我を負う、或いはもっと酷い事になる可能性がある。

 だから今のパトラの動きには、もう一切の躊躇いがなかった。

 それが本当にいい事なのか、僕には何とも言えないけれど、元々は戦いを好まない彼女だからこそ、今見せる躊躇いのなさは、間違いなく強さなのだろう。


 一つの戦いが終わった後、僕の肩で、シャムが小さく鳴く。

 それは敵の接近を告げる警告ではなく、僕に目標が近い事を報せる為の物。

 足を止め、意識を集中して探ってみれば、確かに近くの木の影に、魔法の気配を感じる事ができた。


 ケット・シーであるシャムは、魔法を直接見られる目を持っている。

 その精度は、僕ら魔法使いが備えた、魔法に対する感覚よりもずっと鋭く正確だ。

 故に黒影兎が潜んだ影も、即座に見分ける事が可能だった。

 但し、シャムは黒影兎が潜んだ場所は見付けられても、そこから先の手段は持たない。

 尤もこれは僕らの課題だから、たとえシャムがその為の手段を持ってたとしても、これ以上の手伝いはしないだろうけれど、要するに、シャムにはシャムの優れたところがあり、僕ら魔法使いにはまた別の優れたところがあるって話だ。


 僕が木の影を指差せば、パトラとシーラが、それを挟むような位置に移動した。

 そして僕とミラクは、あぶり出した黒影兎を仕留められる位置に。

 敵意を感知する古代魔法を持つクレイは周辺の警戒だ。

 今回の林間学校で、クレイが敵意を感知する場面は何度も見たから、そろそろ僕もそれを覚える事はできそうだけれど、試すのは帰ってからにした方が無難である。

 幾ら友人だからって、目の前でアレイシアから教わった魔法を真似されたら、クレイもあまりいい気分にはならないだろうし。


「光よ、灯れ」

 タイミングを合わせる為の詠唱と共に、パトラとシーラの翳した杖から、眩い光が当たりを照らす。

 その光は真っ直ぐに伸びていた木の影も消し去って、潜む場所を失った黒影兎は、ポンッと弾き出されるようにその場に飛び出した。

 すかさず、ミラクの杖から魔法の矢が飛び、黒影兎を狙う。

 しかし黒影兎は、身を捻ってその魔法の矢を何とか躱し……、それ以上の動きが取れなくなったところを、僕の放った魔法の矢に貫かれ、息絶える。


 実に呆気なく、懸念されてた黒影兎の確保も終わって、僕は安堵の息を一つ吐く。

 後は襲ってくる魔法生物を撃退しながら、夕方を待つだけだ。

 同じ場所に留まり続けると、襲われる可能性が高まるから、随時移動しながらになるけれど、今の仲間達となら、特に問題もなく、時を待つ事ができる。

 今回の林間学校の終わりもほぼ見えた。

 黒影兎の毛皮を剥ぐのは、パトラやシーラには厳しいだろうから、それは僕がやればいいし。


 その時、僕は一瞬だが、気を緩めてしまったのだろう。

 仕留めた黒影兎に手を伸ばしながら、達成感に浸ってしまった。

 掴んだ黒影兎を大容量の鞄に押し込み、後は錬金術に役立つ素材や、シールロット先輩へのお土産を、もう少しばかり探すのもいいかもしれないと、チラリと考えてしまう程に。


 だから次の瞬間、ジェスタ大森林のどこかから物凄く大きな、爆発音のような物が聞こえた時には、思わずきょとんとしてしまう。

 一体、何が起きたのかと。

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