五章 平穏ではない冬休み

第45話


 冬の朝はベッドから出るのが困難だ。

 世界が違っても、寒ければ朝が辛いのは変わらない。


 特に僕の場合は、ベッドの中に温かい塊、毛皮のあるシャムが潜り込んでるから余計である。

 ただ、それに関しては非常にありがたいんだけれど、ベッドの真ん中、最も良い場所を堂々と占領するのはどうかと思う。

 お陰で最近は寝る姿勢が変になって、少しばかり背中が痛かった。

 もちろん回復の魔法薬を飲めばすぐに治りはするけれど、それも少し、いや、実際にはかなりの贅沢だ。


 しかし冬の朝が幾ら辛くとも、ずっとベッドの中って訳にもいかない。

 本当に豪雪に家が埋もれてしまって、冬の間は家屋から出ないのが基本って地域ならともかく、結界によって周囲を遮り、環境が安定してるウィルダージェスト魔法学校の寒さは、そこまで厳しいものじゃないから。

 いや、家が埋もれる地方だと、屋根の雪下ろしがあるから、それはそれでのんびりもしてられないか。


 何にせよ、普段よりも少しばかり愚図るけれど、最終的には僕はベッドから這い出て、杖を握った。

 冬の朝、一番に使う魔法は、暖かい風を吹かせる魔法だ。

 これで部屋の中を温めてからなら、そんなに寒い思いをせずに着替えられる。

 そしてこの魔法を使った後は、シャムもベッドから出てきてくれた。


「おはよう、キリク。今日も寒いね。いや、村に比べたら全然マシだけど。正直、キリクがこの魔法を覚えてくれただけでも、ここに来た甲斐はあったと思うね!」

 朝一番のシャムの物言いに、僕は苦笑いを浮かべる。

 確かに、夏は冷風、冬は温風を使うだけで、生活の質は格段に向上するけれど。

 他にも便利な魔法は一杯あるのに。

 例えば、部屋に落ちたシャムの毛を集める魔法とか。


 あぁ、でも、冷風と温風の魔法を道具に籠めれば、空調ができるなぁ。

 誰でも思い付きそうなのに、どうしてウィルダージェスト魔法学校にはそれらしきものがないんだろう?

 少なくとも先代校長の、僕と同じ星の記憶を持っていたハーダス先生なら、間違いなく作れた筈なのだが……。


 まぁ、いいか。

 朝から頭を悩ませる程の事じゃない。

 何か理由があったのか、それとも自分で魔法を使った方が手っ取り早いと思ったのか、単に気が向かなかったのか、もう確かめるのは不可能だし。


 シャムと一緒に、食堂に向かう。

 冬期の休暇は、夏に比べると学校に残る生徒が多い。

 というのも、夏も冬も変わらず、各国の首都までは先生が運んでくれるのだけれども、そこから先の移動が冬は厳しい為である。

 特にポータス王国よりも北側にあるノスフィリア王国や、クルーケット王国は、完全に街道が雪で閉ざされてしまうらしい。

 ポータス王国やルーゲント公国だって、冬の移動は夏よりもずっと厳しく、危険も多いという。

 冬の寒さが移動に影響しないのは、サウスバッチ共和国くらいなんだとか。


 ただ、食堂の利用者は、今はあんまりいなかった。

 初等部の二年生、休み明けからは高等部になる彼らが、既に卵寮を出て、各科の寮に移っているからだ。

 休みが明けて、新しい一年生が入って来れば、雰囲気も元通りになるだろうけれど、今はどうしても閑散としてる。


 高等部の科の選択は、そろそろ僕らにとっても他人事じゃない。

 二年生になれば、基礎呪文学からは基礎の文字が取れて、錬金術は魔法薬のみならずアイテムの作り方に内容が進み、また魔法陣や古代魔術に関しても初歩を教わるようになる。

 そうやって、自分の適性、或いは性に合った、興味のある魔法を見付け、高等部でどの科に進むのかを、決める事になるだろう。

 優秀な生徒には、科の方からの勧誘もあるらしい。

 尤も適性を踏まえた上での学校側の意図もあるから、必ずしも本人が希望する科に進む訳ではないそうだけれども。

 科の選択はさておいて、一年生とは大きく内容の変わる二年生の授業は、割と楽しみだった。


「おはよう、キリク。朝食、ご一緒してもいいかしら?」

 僕とシャムが朝食を摂ってると、そう断りを入れてからシズゥが前の席に座る。

 彼女も、夏はルーゲント公国の実家に帰っていたが、この冬期休暇は学校に残った一人だ。

 他には、クレイはやっぱり学校に残ってる。


 帰ってしまった友人は、パトラ、ガナムラ、ジャックスの三人。

 いや、ジャックスは正確には実家じゃなくて、王都にあるフィルトリアータ伯爵家の別宅に帰ってる。

 パトラは王都に家があって、ガナムラは出身国がサウスバッチ共和国だから帰るのに支障はないので、この二人は本当に実家に戻ってた。


「もし、時間があるなら、キリク、今日も練習に付き合ってくれない?」

 僕とシャムの朝食の皿が、殆ど綺麗になった頃、シズゥがそう言い出す。

 彼女の言葉からわかる通り、この申し出も、もう何度目かだ。


 以前もシズゥに頼まれて魔法の練習に付き合ったが、あの時は故郷を同じとするガリアと距離を取るための方便だった。

 でも今回は、本当にシズゥは自分の実力を上げたくて、この冬期休暇の間、日々魔法の練習を重ねてる。

 尤も、事情は前回と、そう変わりはしないのだけれど。


 一年生の後期の試験は、あの上級生との模擬戦に出た生徒が、軒並みとは言わないまでも、殆どが成績を上げたという。

 例外は元より上がりようのなかった僕くらい。

 すると当然、他の生徒の幾らかは彼らに成績を抜かされている。

 シズゥも、その影響で少し成績が下がってしまった一人だ。

 そして彼女の成績を抜いたのが、他ならぬ同郷のガリアだった。


 学校での成績が一度や二度抜かされたからって、大きな影響はないと思うのだけれど、シズゥにとってはそうじゃないらしい。

 貴族の世界は、彼女の弁によると見栄の世界だ。

 魔法学校に送り出した娘が、自家よりも格下で、尚且つ自家との繋がりを求めるヴィロンダ騎士爵の息子に成績で負ける。

 これはシズゥの生家、ウィルパ男爵家にとって、あまり面白い話ではないのは当然だろう。


 すぐさま影響する話ではないかもしれないが、これが続くのはよろしくない事態を招きかねない。

 場合によっては優秀なヴィロンダ騎士爵の息子、ガリアを婿に迎える方向に、ウィルパ男爵家が傾きかねないから。

 故に今、シズゥは割と必死に、冬期休暇の間に自分を磨こうと、魔法の練習に精を出してた。

 冬の休みに時間の余裕がある、僕を誘って。


 もちろん僕も、友人であるシズゥが望むなら、練習に付き合うのを厭いはしない。

 ただ、一つだけ気になるのは、彼女が見てるのはヴィロンダ騎士爵の家であって、ガリア自身じゃないって事だ。

 或いは、ヴィロンダ騎士爵の家すら見てなくて、自身の生家であるウィルパ男爵家しか見えていないのかもしれなかった。


 シズゥは、貴族らしい婚姻、自分の意思を越えたところで運命が決まる事を嫌がっている。

 恐らく、彼女は魔法使いとして、自分の運命は自分で切り開きたいのだろう。

 折角、そうやって生きられる、魔法使いとしての才能を持って生まれたとわかったのだから。

 けれども同時に、シズゥはウィルパ男爵家の令嬢である自分を、父母への情や、領民から集めた税収でここまで育てられたという、多くのしがらみを捨てる事もできず、今は悩みと迷いの最中にあるのだ。


 故に彼女には、ガリアという個を見る余裕がなく、その肩書であるヴィロンダ騎士爵の名前ばかりに反応していた。

 僕は決して、ガリアに対して好意的ではないけれど、それは少し哀れにも思う。

 シズゥの悩みに、無責任に口を挟める訳じゃないし、ガリア個人を見てやれなんて、言ったりは決してしないけれども……。

 なんというか、貴族って難しい。


「何、どうしたの? ジッと見て」

 物思いに耽りながらシズゥを見ていると、自分の朝食をせっせと口に運んでいた彼女が、少し顔を赤らめて、そう問う。

 ちょっと、ジッと見過ぎてしまったか。

 やっぱり、貴族が難しいんじゃなくて、単に女の子が難しいだけかもしれない。

 だって、……同じ貴族でもジャックス辺りは、もっと単純な気がするしね。


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