第41話


 コツコツと僕は大きく重たそうな扉をノックする。

 そして一呼吸置くと、扉は自ら内に開いて、

「どうぞ、キリクさん、シャムさん。入ってください」

 マダム・グローゼルの声が僕を招く。

 僕は深く息を吸って、吐いて、それでも少し心が定まらなかったので、肩に乗ったシャムの顎を撫でてから、意を決して中へと入った。


 校長室に入るのは、学校に来たばかりの時以来だっけ。

 シャムはそれとは別に、夏期休暇の頃に来た事があるらしいけれど、僕はその時は、クルーペ先生の研究室で魔法薬を作る仕事をしてたから。

 随分と久しぶりに入った校長室の様子は、以前と全く変わりない。


「模擬戦はお疲れさまでした。随分と活躍されてましたね。貴方の優秀さが発揮されているようで何よりです。それで、用件はその、指に填まった物の話ですね?」

 穏やかな口調と、柔らかな声で、マダム・グローゼルはそう言った。

 彼女の口調や声は、決して擬態ではない。

 マダム・グローゼルは本当に優しくて、生徒想いの校長だ。


 しかし……、それだけでも決してないのだろう。

 魔法学校の校長が、優しいだけの人に務まる訳がないのだから。


「これは夏の雨の日に、先代の校長、ハーダス先生が中庭に遺した仕掛けを解いて手に入れました。他の場所にある仕掛けの鍵にもなってるそうです。でも僕は、これを自分で所有したいと思っています」

 何一つ誤魔化さず、事情と希望を、僕はマダム・グローゼルに告げる。

 まぁ、ほら、僕とマダム・グローゼルじゃ役者が違い過ぎて、安易な嘘は見抜かれてしまうだけだし。


 僕の言葉に、マダム・グローゼルは少し困ったような表情を作って、

「……そう、ですね。しかしハーダス先生の名前を知ってるなら、わかると思うのですが、それは大変に魔法的な価値のある物です。発見したのがキリクさんでも、校内にあった物ですし、そうですかと差し上げる訳にはいきません」

 そんな言葉を口にした。

 でもその表情は、僕にもわかり易く作られた物だ。

 彼女なら、もっと上手く、本気で困ってるのだと僕に思わせる表情を作るのだって、簡単だろうに。


 わざと楽しさを隠し切れない様子を見せてる。

 まるで子供と戯れる母……、というよりは祖母のようにだ。


「わかっています。でもこれは、ハーダス先生が僕に遺してくれた物だと、思うんです」

 きっとマダム・グローゼルは殆ど察しているだろうけれど、話せと言外に促されてるようだから、僕は素直にそう話す。

 だけど、もしもこれで、彼女が察してなかったら、僕の言葉は酷く傲慢に聞こえるかもしれない。

 幸いにも、そんな恥ずかしい事にはならなかったようで、僕の言葉に、マダム・グローゼルは一つ頷く。


「星の知識ですか。キリクさんがそう言うなら、そうなのでしょうね。あの方は、星の知識を持った子供を見付ける為の仕組みを、幾つも魔法学校に作りましたから」

 そう言った彼女の声は、とても懐かしそうだ。

 しかし、星の知識を持った子供を見付ける仕組みか……。

 心当たりは幾つかある。

 例えば、実際に僕が見出された当たり枠の仕組みだとか、今回の、初等部の一年生と二年生の模擬戦だとか。


 以前に読んだ『星の世界』という本には、星の知識を持つ者は、強い魂の力、要するに高い魔法使いとしての才能を持つとあった。

 世界の壁を越えれる程の魂は、必然的に強い力を持つという。


 故に当たり枠も、模擬戦も、直接的に星の知識を持つ者を探す訳じゃなかったが、高い魔法使いの才を持った者を選別する仕組みだ。

 当然、魔法使いの才を求めるのは、魔法学校としても不自然な行為ではないから、その裏にもう一つ別の目的が含まれても、あまり気付けはしないだろう。

 それこそ、僕のように星の知識を持っている、当事者でもない限り。


「つまり、キリクさんは星の知識を持っていると、認めるのですね? 一応、言っておきますが、別にどう答えられても、私が貴方を害する事はありません。シャムさんとも、そういう契約をしていますので、そこは安心してくださいね」

 ……えっ?

 けれども、続くマダム・グローゼルの言葉は、僕にとってあまりに予想外だった。

 シャムがマダム・グローゼルと契約?

 校内の探索を許す代わりに、首輪をつけるって事以外に?

 僕の身の安全?


 混乱しながら、僕が肩の上のシャムを見ると、……彼は前脚で僕の頬を押し、マダム・グローゼルへと視線を戻させる。

 いや、遊んでる場合じゃなくて、そこはちゃんと確認したいんだけど。


 でもシャムだって、ずっとは誤魔化し切れない事くらい、わかっているだろう。

 何せ僕と彼はこれまでずっと一緒に生活してきたし、これからもそうして行くのだ。

 だから今は、マダム・グローゼルとの話に集中しろって事か。


「認めます。他の星の記憶を持った人がどうなのかはわかりませんが、僕はハーダス先生と近い世界の記憶を持ってます。ただ、僕とハーダス先生の年齢の違いを考えると、同じ世界ではないのかもしれませんけれど……」

 僕は呼吸を整えてから、はっきりとそう告げる。

 ただ、ハーダス先生に関しては、僕も色々と疑問は多い。

 この世界に、僕より随分と早く生まれたハーダス先生、記録では僕が生まれるよりも先に、この世界でも亡くなった彼が、どうしてマインスイーパーを知ってたのか。

 あれは、少なくともPC機器の類が誕生してから作られたゲームの筈だ。

 指を折って数えても、どうにも世代が合わない。

 尤もそれは、僕の個人的な疑問であって、今の本題ではないけれども。


「そうですか。私に星の世界の事はわかりません。ですがハーダス先生は魔法陣を使って、魔法の『ぷろぐらみんぐ』をしているのだと仰ってましたね。中庭の仕掛けもそれだと思います」

 マダム・グローゼルは、そう言って、本当に懐かしそうに微笑んだ。

 あれは、魔法でプログラミングしたゲームという訳か。

 星の知識といっても、様々なんだなぁと、改めて思い知らされる。

 だって僕、プログラミングとか、全然さっぱりわからないし。


 ……しかし、もう一つ、シャムに確認する事ができたな。

 中庭の仕掛けに僕を案内したのがシャムで、マダム・グローゼルは中庭の仕掛けを把握していて、シャムとマダム・グローゼルは契約をしているらしい。

 そうなると、どうしてもあの雨の日、シャムが僕を中庭に連れて行ったのは、マダム・グローゼルの意思が関わっていたんじゃないかと、そう思ってしまう。

 だが、シャムが僕の為にならない事をしないってのもわかってるから……、あぁ、もしかして、あの頃、僕が『星の世界』って本を読んで、あからさまに思い悩んでいたのに、シャムに何も相談しなかったから、彼はそういう行動に出たのか。


「僕はどうすればいいですか? マダム・グローゼル、貴女は、僕をどうしますか?」

 僕は、一つ息を吐いてから、マダム・グローゼルにそう問うた。

 自分の足りなさが、どれだけシャムに心配を掛けていたのか、それを思うと、少しばかり凹む。


「いえ、特に。これまで通りに学生として頑張ってください。貴方は特に問題のある生徒ではないですからね。模擬戦で、あのまま、魔法で相手を押し潰そうとするようでしたら、少しは考えないといけなかったでしょうけれど、貴方はそうしませんでしたし」

 少しだけ、覚悟を決めて問うたのに、けれどもマダム・グローゼルは、即座に首を横に振る。

 どうする心算もないのだと。


 あぁ、だけどあの試合には、やっぱり観察の意図があったのか。

 今回の話で、マダム・グローゼルは少しずつ言葉にヒントを入れて、僕が色々と気付けるように、促してくれてる。

 多少、回りくどいところはあるけれど、これが彼女の優しさか。


「ですが、一つだけお話しておきましょう。ハーダス先生は、とても偉大な魔法使いでした。しかし人として生き、人の寿命の範疇で亡くなりました。もう、十五年程前でしょうか」

 人として生き、人として死ぬ。

 つまりハーダス先生は星の知識を持つ魔法使いであっても、人として逸脱はしなかったのだと、マダム・グローゼルはそう言っていた。


「魔法陣の扱いに関しては他の追随を許さぬ方でしたが、単純に戦うなら私の方が強かったでしょう。……つまり、多少は特別でも、異端ではなかったのです。貴方も、そうですよ。今日は上級生に勝ちましたが、例えば、貴方と仲の良いシールロットさんには、同じように勝てるとは思わないでしょう?」

 うん、それは、もちろんそうだ。

 星の知識を持つ者は、魂の力が強い。

 しかしそうでない者にも、同等の魂の力を持つ者は、何人もいる。

 それが、例えばマダム・グローゼルであったり、シールロット先輩であったり、或いはキーネッツであるのだろう。


 ハーダス先生が、当たり枠なんて仕組みを作ったのは、もしかすると、星の知識を持つ者を孤独にしない為、或いは増長させない為だったのだろうか。

 いや、そこまで考えるのが、傲慢なのかもしれないけれど、でもそう考えてしまうくらいに、この学校は僕に対して優しかった。


「ですから、貴方はただの我が校の生徒の一人です。多少特別である事は否定しませんが、貴方が道を外れぬ限り、私がそれを保証しましょう。多くの友人を作って、楽しい学校生活を送って下さいね。その指輪は、貴方に預けておきます。ハーダス先生も、見守ってくださいますよ。それから、シャムさんもですね」

 マダム・グローゼルの言葉は、最後まで本当に優しくて、僕は肩のシャムが落ちない程度に、彼女に向かって頭を下げる。

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