第36話


「そういえばさ、シャムって、クー・シーが嫌いなの?」

 休日、僕はベッドに寝ころびながら、お腹の上で丸くなってるシャムに問う。

 以前、この学校に初めてきた日、マダム・グローゼルが森にクー・シーがいるって言った時、シャムが嫌そうな顔をしてた事を思い出して。

 ケット・シーであるシャムの表情は、マダム・グローゼルにはわからなかったと思うけれど、幼い頃から付き合いのある僕にはバレバレだったから。


 僕の質問に、シャムは面倒臭そうに顔を上げ、

「別に、嫌ってないよ。ただ、ちょっとあいつら面倒臭いんだよ。融通利かない癖に、契約とか好きだし」

 そんな言葉を口にする。

 嫌ってはないとの言葉通り、シャムの声に嫌悪感のようなものはない。


 しかし……、契約か。

 契約とは、一部の魔法生物が重視する、……なんだろうか、約束事のようなものだった。

 そしてその契約を重視する魔法生物の中に、妖精も含まれる。


 身体を起こすと、シャムは僕のお腹の上から飛び降りて、溜息を一つ吐く。

 僕がその話に興味を抱いてた事が、彼には伝わったのだろう。


「契約って、結ぶ相手によって細かく決めたり、曖昧に決めたり、変えるんだよ。……例えば、一日三度の食事の代わりに力を貸すって契約を結ぶとするでしょ」

 シャムは珍しく、ベッドの上に二本足で立ちながら、僕に契約の説明を始める。

 魔法学の授業では、まだそういったものがあるとしか聞いてないので、具体的な事を僕は知らない。

 だけどまさか、授業よりも早くシャムからそれを教えて貰えるなんて、なんだかちょっと面白かった。


「好かない契約相手には、食事の時間まできっちり決めて破り易くなるようにして、どのくらいの力を貸すのかは曖昧にするんだ。そうしたら、こっちは力を出し惜しめるし、相手は食事の用意が間に合わなくなって契約を破る事もあるだろうしね」

 あぁ、なるほど、細かい条件を設定しておけば、相手のミスが起き易くなるのは道理だろう。

 もちろんこれは、説明の為に単純化して話してくれてるだけで、本当はもっと相手の油断を誘う為、色んな罠を契約の中に仕込む筈だ。

 でも気に入らない相手なら、そもそも契約なんてしなきゃいいと思うんだけれど、そこには何か理由があるんだろうか。

 例えば、契約金みたいなものが最初にあるとか、相手に契約違反をさせて、罰則を与えるのが目的だとか。


「逆に気に入った契約相手なら、時間の指定とかしなくて、取り敢えず三度あればそれでいい、みたいな風にして、融通が利くようにするんだ。……まぁ、本当に気に入った相手は、契約なんてなくても力を貸すんだけどね。キリクにしてるみたいに」

 ……ふむ、確かに僕は契約なんてしてないけれど、シャムはずっと一緒に居てくれる。

 つまり契約をしなければ力を貸せない、なんて縛りはないって事だ。


 しかしそれなら、少なくとも今聞いた話だけだと、妖精を含む一部の魔法生物が、契約を重視する理由がいまいちわからない。

 どうもその辺りを、シャムはボカシて話してる印象を受けた。

 まぁ、話したくないなら、無理に聞き出さなくていいだろう。

 少なくともシャムが無条件に、幼馴染として、家族として、一緒にいて力を貸してくれてる事に違いはないし。


「それで、クー・シーの話に戻るけれど、あの犬達は、その辺りの融通が全く利かなくて、どんな条件も詳細に決めなきゃ気が済まないんだ」

 シャムは、やっぱり面倒臭そうに、クー・シーをそう評する。

 どうやらシャムは言葉通りにクー・シーを嫌ってはいないが、決して好意的でもなく、同じ妖精に分類される存在ではあるけれど、できれば関わりたくないと思ってるのが、ひしひしと伝わってきた。

 いや、これは同じ妖精だからこそ嫌ってないだけで、そうでなければ感情は簡単に嫌いに傾きそうだ。


「しかも契約自体が好きだから、他人の契約にも細かく決めろって口を挟むし、ボクとキリクが一緒にいるの見て、契約がないって知ったら、契約するべきだって言ってくるだろうね。ホラ、面倒臭いでしょ」

 あぁ、うん、それは鬱陶しいな。

 シャムがクー・シーを面倒臭がる気持ちが、僕にもよく理解できた。

 僕らの関係に口を挟むなんて、それこそ余計なお世話である。

 妖精の犬に会いたいって気持ちは、僕の中でごくごく小さなものに萎む。


「人からしたら、わかり易いし、契約も結び易い妖精だから、番犬として使われてるんだろうね。縄張りを守るには、優秀だよ。鼻も効くし、戦いも得意だし」

 シャムの言葉は、クー・シーに対する精一杯のフォローだろうか。

 確かにどんな契約も細かくきっちり詰めるなら、お互いに騙し合う余地は少ない。

 また好んで契約を結びたがるなら、魔法使いにとっては扱い易い魔法生物って事になるのだろう。

 ケット・シーであるシャムが、優秀だって言うくらいなら、人の基準なら相当なものになる。


 ただ、一つ気になったのは、

「ふぅん、でも契約が好きっていっても、妖精と契約できる人なんて魔法使いくらいだろうし……、滅多に契約なんてできないんじゃないの?」

 クー・シーが契約を結ぶ機会って、そんなにないんじゃないかって事。


 何故なら、ウィルダージェスト魔法学校の初等部の一年生は三十人。

 そのまま全員が無事に卒業したとして、一人前の魔法使いは年に三十人誕生する。

 ポータス王国だけじゃなくて、ノスフィリア王国、ルーゲント公国、サウスバッチ共和国、クルーケット王国、合わせて五つの国で、三十人だ。

 一つの国だと、僅か六人。


 当然、全員がクー・シーとの契約を望む訳でもないだろうし、また全員にその資格があるとも限らない。

 こうして改めて数えながら考えると、クー・シーが契約を結べる機会って、本当にごく僅かに思えてしまう。


「いや、契約は、本当は魔法使いがいうところの魔法生物同士が主だよ。お互いの縄張りに立ち入らないとか、外敵には一緒に戦おうとか、そういうのが多いね。魔法使いはそこに首を突っ込んで利用してるだけ。まぁ、人でも魔法が使えるなら、対等に契約相手にしてあげても良いかなって感じだね」

 だが僕の言葉に、ふるふるとシャムは首を横に振る。

 二本足で立ってる今、その仕草は本当に人を思わせた。

 でもその言葉は、少しばかり面白い。

 恐らくこのウィルダージェスト魔法学校では、契約をまた別の解釈で教わるだろうけれど、妖精、魔法生物からすると、魔法使いとの契約はそんな風に思われてるのか。

 シャムは完全に上位からの目線で、魔法使いを評してる。


 こんな話をシャムとする機会は滅多にないから、僕は今、とても楽しい。

 もしかすると、こんな話を聞けば、他の魔法使いは怒るのかもしれないけれど、僕にとっては魔法使いとしての自負よりも、家族であるシャムの方がずっと重いから、彼の言葉も全く気にならないし。


「そういえば、契約と使い魔って、また別だっけ?」

 だから僕は、もう一つ疑問を口にした。

 この学校では、一部の人を除いて、シャムは僕の使い魔だって事にしてある。

 しかし僕には、使い魔と、契約した魔法生物の違いが、いまいちよくわかってない。


「全然……、ではないけれど、ちょっと違うよ。エリンジ先生が言ってただろ。使い魔は、契約を模した魔法で、非魔法生物を疑似的な魔法生物に成長させて使役するんだって。だからボクは、キリクが使役する、凄く賢くて格好良くて美しい毛並みの猫って事になってるんだろ」

 シャムがそんな風に答えるものだから、僕は少し笑ってしまう。

 確かにシャムは賢くて、格好良くて、ついでに可愛らしくて、毛並みもとても綺麗だけれど、自分で言うかなぁ。


 だけど、よく覚えてるなぁ。

 そういえばそんな風に、教わったっけ。

 シャムを使い魔として扱うって事が不服で、あんまりちゃんと聞いてなかったや。


「キリクはさぁ、前期の試験は一位だったけど、もしもボクが試験に参加してたら勝ってるよ。キリクなんて二位だよ。二位。全然ボクの方が上の成績取れるね。現状に満足してないで、もっと頑張りなよ」

 なんて風に、説教臭い事を、シャムが言う。

 あぁ、うぅん、どうだろうか。

 一般教養はともかく、魔法学に関しては、妖精という魔法生物であるシャムの方が、実際のところは詳しい。

 また戦闘も、シャムは僕より強いだろう。

 しかしシャムは人の扱う魔法は使えないし、何よりもこのプニプニの肉球のお手々では、錬金術の細かな作業には向かないと思うのだけれども。


 僕は手を伸ばして、シャムの手をプニプニと触ってその感触を楽しむ。

 もちろん、僕が何を考えてるかは、シャムにはお見通しだったようで、手は叩かれてしまった。

 今日の休みは、こうして穏やかに過ぎていく。

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