第17話
またある日、それは授業が終わり、放課後になったばかりのタイミングで、
「ねぇ、キリク。私、ちょっと呪文の練習がしたいの。付き合ってくださる?」
友人の一人、隣の席のシズゥ・ウィルパに、そう声を掛けられる。
振り返り、彼女の表情を見た僕はそれを察して、普段は授業の後に確認をし合ってるクレイと一度目を合わせてから、
「もちろん、いいよ。じゃあグラウンドか、地下に行こうか」
頷き、立ち上がった。
机の上に座ってたシャムが、ぴょんと僕の背中を駆け上がって、肩に乗る。
すると、僅かに安堵の表情を浮かべたシズゥが、僕の手を引き、歩き出す。
ふむぅ、何というか、役得だ。
これにも意味はあるんだろうけれど、素直に喜んでおくとしよう。
僕もまぁ、男の子だし。
基礎呪文学の授業は、最初は教室でやってたんだけれど、内容が進むにつれて少しずつ危ない物も増えて来て、グラウンドや、本校舎の地下にある魔法の練習場を使う事が増えてきた。
教えて貰った魔法の自主練習がしたい場合も、同様だ。
最初は、魔法の自主練習なんて危ないなぁと思ってたけれど、この魔法学校ではごく当たり前の事らしい。
何しろ全ての生徒が魔法という、人が扱うには強過ぎる力を持っているのだから、ある程度の危険は付き物で当然なのだろう。
それに死にさえしなければ、多少の怪我は医務室でどうにか治して貰える。
寧ろ自主練習ができる場所をちゃんと解放しておく事で、妙な場所で生徒が怪我をして、助けが遅れないようにしてるのかもしれない。
今向かってる場所は、地下の練習場だろうか。
ただ、その目的は、恐らく魔法の自主練習ではないと思う。
何故ならさっきのシズゥは、助けて欲しいって顔をしてたから。
階段を降りたところで、彼女は僕の手を離した。
僕は、何となくあいてしまった手が寂しくて、それを見詰めて、握ったり開いたりを繰り返す。
「もういいわね。ありがとう。助かったわ」
シズゥはそんな風に、砕けた口調になって、礼の言葉を口にする。
うん、まぁ、それは別にいいんだけれど、
「助けになれて何より。でも、一体何だったの?」
流石に説明は欲しかった。
すると彼女は、少し言いづらそうに、何かを口に仕掛けてはやめて、言葉に迷う。
取り敢えず、どうせ地下に来たんだし、練習場のスペースに入ろうか。
僕は呪文の習得に苦労した試しはないけれど、それでも復習はしておくに越した事はない。
単に魔法が使えるのと、使いこなすのは全く別だ。
より素早く、正確に魔法を行使するには、やはり繰り返しの練習は必要だった。
尤もそれは、基礎呪文学っていうより、戦闘学の範疇かもしれないけれど。
それから僕とシズゥは、置かれた的に向かって、交互に火弾の魔法を放つ。
火弾の魔法の詠唱は、『火よ、放たれろ』だ。
更にそれを強化する方法として、『そして我が敵を撃て』って詠唱を付け加える事もできた。
放たれる火弾は、握り拳が一つから二つ分くらいの大きさで、普通に放てば石を投げるくらいの速さで飛び、追加の詠唱を加えれば、倍くらいの速さになる。
一撃必殺って威力はないけれど、人に向かって放てば十分に怪我はさせられるし、顔に当たった場合は、状況によっては命に関わるかもしれない。
正直、十二歳の子供が扱っていい魔法じゃないと思うんだけれど、じゃあ一体どの程度の威力の魔法なら大丈夫なのかって問いには、僕は返す答えを持たなかった。
そして魔法使いとして生きていくなら、この魔法はやっぱり基礎に過ぎなくて、すぐにもっと威力の高い魔法だって教わるだろう。
つまり、自主練習に関してもそうだけれど、魔法使いは一般人の感覚で測ってはいけないって事だ。
もちろん、この世界の多くの人は、魔法使いではない一般人なのだから、その感覚も決して忘れてはならないのだが。
「えっと、ガリア・ヴィロンダって、クラスにいるでしょ。私と同じ、ルーゲント公国から来てる」
数度、魔法の練習をした事で、気持ちが落ち着き、話す言葉が決まったのか、シズゥがそう話し始める。
……ガリア、確か、いたような気が?
まぁ、殆ど関わりのないクラスメイトに関しては、流石に出身までは知らないけれど。
「……キリクはもう少し、特定のメンバー以外とも関わるべきじゃない? ここに来てから何ヵ月も経つのに、クラスメイトをうろ覚えは、流石に駄目でしょ」
ただ、僕の態度で、そのガリアの事をあんまり覚えてないと見透かされたらしく、シズゥに苦言を呈された。
それは、全く以てその通りなのだけれど、こう、あんまり知り合いを増やすと、手が回らなくなりそうというのも、正直ある。
できる人はできるのだろうけれど、僕は人付き合いが苦手な、それに必要とするエネルギーが多く必要なタイプだ。
もし仮に、僕が広く付き合いを広げていた場合、今日のシズゥの表情に、気付けていたかどうかは、わからない。
「話を戻すけど、ガリアって、ルーゲントの騎士の家系なのよ。だから多分、家の方から、在学中に私と仲良くなれって言われてるんだと思うけど、……そういうの、鬱陶しくて」
なるほど。
そのシズゥの言葉に、僕は頷く。
彼女には悪いが、ちょっと面白い。
シズゥは男爵家の令嬢で、確かポータス王国では男爵は貴族の一番下だけれど、ルーゲント公国では真ん中辺り、つまり割と偉い方になる。
そして騎士が、ルーゲント公国では、貴族の一番下の位だ。
何が面白いって、一般教養の授業で習った知識が、話の理解に繋がるのが面白かった。
要するにガリアは、逆タマ狙いって奴なのだろう。
皆の前でならともかく、親しい人間の前では、貴族として振る舞いたがらないシズゥとは、そりゃあ合わなくて当然だ。
「だから親しい男子は他にいるんだぞって牽制したかった訳だね。うぅん、でも、僕で大丈夫? ジャックスとかの方が向いてると思うし、何なら僕から頼んであげるけど」
なら問題は、僕がそのガリアに対しての抑止力になり得るかどうか。
正直、貴族としての関係なら、僕よりもジャックスの方が向いている。
だって何しろ、彼は伯爵家の人間だ。
他国の騎士なんて、それこそ平民と大差ない。
これも一般教養の授業で習ったけれど、ルーゲント公国の貴族は、ポータス王国では爵位が一つ上として扱われる。
つまり、ルーゲント公国の準男爵なら、ポータス王国でもギリギリ貴族としての扱いだが、騎士は一つ上になっても貴族としては扱われない。
もしもジャックスとシズゥが仲良くしてる姿を見せれば、ガリアがそこに割って入る事は、どうしたってできないだろう。
僕からすると、そんなのあんまり関係ないんだけれど、貴族として振る舞いたければ、貴族としての流儀を守らないといけなくなるから。
「うぅん、ジャックスも、キリクと話してる姿を見れば、悪い人じゃないのはわかってるけど、それでもやっぱり、キリクの方が信じられるし」
だがシズゥは僕の申し出に、首を横に振った。
そうかぁ。
まるで僕が信用できる人間だって言われてるみたいで、嬉しいけれど少し恥ずかしくて、誤魔化すように片手で、肩のシャムの喉を撫でる。
バチッと、シャムに僕の手は叩き落とされてしまったけれども。
「それに、ガリアもキリクには手出しできないから。……ほら、キリクって貴族とか関係なしに殴ると思われてるし、クラスで一番魔法が上手いし。ルーゲントの騎士って、負けるのが凄い恥だから、勝てない相手には挑まないの」
そう言ったシズゥの声には、強烈な皮肉が潜んでる。
いや、普通に言葉の内容も皮肉だらけか。
でも、えっ、僕ってクラスでそんな印象なの?
確かにジャックスを殴ったけれど、その後はずっと仲良くしてるのに。
「だから、キリクは他の人と関わりが少なすぎるのよ。私は貴方が、優しいって知ってるけど、そうじゃない人もいるんだから。……でも、それを利用した私が言う事じゃないわよね。……ごめんなさい」
再び苦言を呈そうとして、しかし勢いを失って、謝罪の言葉を口にする、シズゥ。
だけどそれは、別に謝る必要なんてない事だ。
利用といえば、確かにそうだろう。
しかしそれなら、僕は先生を利用して学んでるし、友人を利用して日々を楽しく過ごしてるし、シャムを利用して心を癒してる。
単に言い方の問題でしかない。
シズゥは助けて欲しかったから、助けになりそうな僕に助けを求めた。
僕は彼女を助けたかったから、助けになれるならそれで良かった。
それだけの話である。
それだけの話にできるのが、友人関係って奴なのだ。
もちろん、無理な事は無理だけど。
たとえ相手がシズゥでも、シャムを差し出せとか言ったら右ストレートだ。
あぁ、うん、女子が相手だから、多少は躊躇うけれど、できれば躊躇ってる間に逃げてくれたら嬉しい。
僕がそう伝えたら、
「キリクって、ちょっと格好つけだよね」
シズゥはそんな風に言って笑った。
そうだろうか?
そうかもしれない。
できれば格好つけじゃなくて、格好いいって言って欲しいところだけれど。
彼女が笑ってくれたので、今日のところはそれで十分だ。
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