第12話
「あっ、あの日に会った、キリク君、だよね。お久しぶり。君が私の出した仕事を受けてくれる子でいいの?」
次の日の授業が終わった後、水銀科の校舎、通称、水銀棟を訪れた僕を出迎えてくれたのは、やっぱりあのシールロット先輩だった。
向こうも僕を覚えていたらしく、親し気に、あの時よりも随分と砕けた口調で声を掛けてくれた事に、少しホッとする。
見知らぬ先輩ばかりの場所に来るのは、やっぱり結構、緊張してたから。
「シールロット先輩、お久しぶりです。はい、その通りです。よろしくお願いします。あの、この子も、シャムも連れて行っていいでしょうか。錬金術の授業は、一緒に受けているんですけれど」
向こうが名前を憶えてくれてた事には少し驚くが、寮監が予め応募の連絡を取った時、それも伝えておいてくれていたんだろうか。
流石に一度会っただけの名前の生徒を、直接名乗った訳でもないのに、覚えているとは考え難いし。
いや、もちろん、覚えてくれてたりしたら嬉しいけれど、そこまで自惚れるのは、ちょっと無理だ。
僕の場合は、ここに来て初めて名前を知った相手だからって理由はあったけれど、シールロット先輩にとっては、単に多くいる後輩の一人だろう。
「なるほど、可愛いし、賢そうな、不思議な猫だね。クルーペ先生が許可を出してるくらいなら、いいよ。でも錬金窯には近づかないでね。危ないし、悪戯したら、そのまま煮込んじゃうから」
僕の言葉に、シールロット先輩は悪戯っぽく笑って、ちょっと脅すようにそう言った。
ただ、その視線は、僕にではなく、シャムに向けて。
……流石に、ケット・シーだとまでは見抜いた訳じゃないと思うけれど、シャムが何らかの魔法生物であるとは、見抜いたのかもしれない。
シャムがその視線に、僕の襟元からケープの内側に潜り込んで逃げる。
ちょっと新鮮な反応だ。
面白い。
「あはは、振られちゃったね。でもまさか、一年生が応募して来るとは思わなかったなぁ。何か、お金が必要な理由でもあるの? あ、一年生でも、君なら良いよ。きっと今年の、当たり枠の子だろうし」
逃げたシャムにシールロット先輩は楽しそうに笑い声をあげてから、気になる事を二つも言う。
アルバイトって、一年生向けの募集じゃなかったのか。
それから、僕が当たり枠って、何?
聞いてしまって、いいんだろうか。
いや、ちょっと聞くのは怖い気もするが、放っておくのも気になって嫌だ。
「えっと、二週間後なんですけど、友人に遊びに誘われてて、でも僕はちょっと事情があってお小遣いとかないんです。でもちょっと遊ぶお金で奢って貰うのってなんか違うなって思ったから、劇場を貸し切るくらいのデカい事をしてくれって言ったら……」
ただ先輩からの質問に、質問で返すのは流石に失礼だと思い、まずはアルバイトをしようと思った理由、金が必要になった訳を話す。
ジャックスに、どうせ奢るなら豪華な別荘に招待するか、或いは王都の劇場を貸し切ってくれって言った話をすると、なかなかどうして、バカウケだった。
やっぱり、王都の劇場を貸し切るのって、そんなに大変なんだろうか。
前に生きた世界にも、大きな劇場はあったと思うけれど、観劇なんて縁がなかったから、いまいち凄さはわからない。
映画館くらいなら、大金持ちなら貸し切れると思うんだけれど、人がやるのは違うみたいだ。
「うん、うん、大丈夫。その辺りの感覚、わかるのは王都に住んでる人とか、貴族の人くらいだから、別に心配いらないよ。ふふ、でも、貴族の人に劇場を貸し切れって言った子は、私も初めて見たけどね」
僕の話を楽しそうに聞いて、シールロット先輩はそう言った。
あぁ、面白かったのは、そっちの方か。
「どうせ奢られるなら大きい事をしてみて欲しかったんですよ。でもボックス席を借りるのでも、ちょっと無理させてしまうみたいだから、その日の遊び代くらいは僕が出すんだって決めて、何か仕事を探してたんです。……あの、ところで、当たり枠って何ですか?」
ひとしきり説明を終えてから、僕は逆にそう問う。
当たり枠との言葉から察するに、悪い意味ではなさそうだけれど。
どうして僕がそれなのか、何故、これまであまり関わりのなかったシールロット先輩が、僕をそうだと判断するのか。
色々と気になる事は多かった。
「あーっ、そうだね。気になるよね。でも、このまま立ち話もなんだから、もうキリク君に仕事をお願いするって、私は決めたし、君が良ければ、私の研究室で話そうよ。もっと色々、キリク君の話も聞きたいし」
そしてシールロット先輩の言葉に、僕はまた首を捻る。
私の、研究室。
つまり、シールロット先輩は、もう個人で研究室を持っているって意味だろうか。
いやいや、そんな事ってあり得るんだろうか。
もちろん、嘘を吐くとは思ってないけれど、俄かには信じ難かった。
でも、確かに校舎のロビーで長々と話し続けるのは、僕もどうかと思うし。
僕は頷き、シールロット先輩に案内されて、水銀棟の中を歩く。
ケープの中から、ひょこりと顔を出したシャムの頬を、指で撫でながら。
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