二章 当たり枠

第11話


「うーん……」

 四月に入ったある日、僕は卵寮の寮監が教えてくれた、低学年者向けのアルバイトの募集を纏めた掲示板を見ながら、何度か目の唸り声をあげる。

 シャムの尻尾の先端が、いい加減にしろ、早く選べと言わんばかりに、僕の頭を突っついた。


 確かに、大急ぎで決めなきゃいけない訳じゃないけれど、悩むだけ悩んでまた明日ってやってる余裕は、もうあんまり残ってない。

 僕にはなるべく早く、具体的には二週間後の休日までに、ある程度の金が必要な理由がある。

 というのは、友人……、って呼んでもそろそろいいかなって思ってる、仲の良いクラスメイトの一人、ジャックスに王都での遊びに誘われたからだ。


 僕が特殊な環境で育った為、無一文でこの魔法学校にやって来たって話は、実はある程度だがクラスメイトにも知られていた。

 まぁ、それがケット・シーの村である事は流石に伏せられているけれど、スカウトのエリンジ先生がわざわざ一ヵ月も掛けて事前準備をさせてから連れて来たというのは、かなり特別なのだと誰でもわかってしまうから。

 なので僕に小遣いの類といった収入がないのは、ジャックスも当然ながら知っていて、彼は全ての遊び代を奢ってくれる心算だったらしい。


 ただ、僕はそれは嫌だ。

 いや、別に親の金で奢られるのが嫌とか、青臭い話じゃなくって。

 伯爵とかいう、多分かなり凄い貴族、つまりは大金持ちに奢って貰うのが、チマチマとした遊びの金だというのが、嫌だった。

 具体的には、どうせ大金持ちに奢って貰うなら、豪華な別荘への招待とか、王都の劇場の貸し切りとかして欲しい。


 ジャックスにそう言ったら、彼は王都の劇場の貸し切りなんて王族でもなきゃ無理だって言うから、ボックス席で手を打つ事にする。

 まぁそれでも三男である彼には中々用意が大変らしく、ちょっと蒼い顔で何とかするって言っていた。

 なら、友達に無理をして大きな物を奢って貰う以上、その日の他の遊び代は、なんとかお金を作ってでも、僕が全て持つべきじゃないだろうか。

 僕はそう思う。


 という訳で、それなりに稼げるアルバイトを探しているのだけれど……。

 なんというか思った以上に、給金の多いバイトが幾つもある。

 いや、それは都合の良い話なんだけれど、低学年者向けのアルバイトでこの金額って、命と引き換えの危険でもあるんだろうか。

 その一つが、クルーペ先生の魔法薬の治験だから、当然ながらこれは無視するとして、……いや、同等に近い額を生徒が出して募集するアルバイトって、そっちの方がヤバいでしょ。

 まだクルーペ先生なら、命は無事に済みそうな辺り、いいアルバイトなのかも? なんて風にも考えてしまう。


 実際には、本当に命の危険があるなら、アルバイトの募集を学校が仲介したりしないだろうから、精々が多大な恐怖を味わって、医務室に担ぎ込まれて治療を受けるくらいの筈だ。

 ここの医務室は魔法での治療が行われるから、死んでさえなきゃ何とかなる可能性は高いし。

 ……うん、絶対に嫌だな。


 取り敢えず、高額過ぎるバイトは見なかった事にしようか。

 金額に心惹かれはするけれど、失う物が多そうだ。


 最悪の場合は、クルーペ先生に集めたシャムの毛を売るのもありかなぁとか、ふと思う。

 彼女は恐らく、シャムがケット・シーである事は見抜いているから、悪くない値で買い取ってくれる筈だった。

 問題は、シャムが怒って拗ねて、三日くらいは口をきいてくれなくなりそうな事か。

 致命傷である。


 うん、自分でもどうかなって思う金策だし、やめておくべきだ。

 普通のアルバイトを探そう。

 こう、募集のリストも、詳細な情報にまで目を通すと、少しずつだが見えてくる事もあった。


 まず、ちゃんと募集者の名前が書かれてる。

 つまり調べれば、どんな人が何の為に人手を必要としてるのか、ある程度は調べられるのだ。

 まぁ、僕にはその時間が足りなさそうだけれど、うん。

 次に所属する科と、アルバイトの内容。

 これには一定の傾向が見られる。

 具体的には、水銀科の生徒が出してるアルバイトなら素材の採取や治験といった、錬金術に関する物が多く、黄金科の生徒が出すアルバイトは、古書の整理などが殆どだ。


 黄金科、水銀科、黒鉄科には、それぞれハッキリとした特徴があって、この際だからそれもちょっと説明しておこう。

 僕がもう少し悩む間の、時間潰しの為に。



 全ての科には金属の名前が付けられているが、この金属の特徴が、科を象徴するとされている。

 一つ目の黄金は、朽ちる事なく輝き続ける貴金属だ。

 黄金科は、変わらぬ昔ながらの魔法使いの在り方を貴び、今は失われたとされる古代魔法こそが至高の魔法であったと説く。

 故にその研究は、新しい魔法を開発する事よりも、古代魔法の欠片を探し出し、その再現に心血を注ぐ。


 二つ目の水銀は、常温常圧で液状であるという珍しい特徴を持つ金属だ。

 水銀科は、変化を常に模索する。

 昔は、不老不死の薬として飲用された事もあるらしい。

 尤もそれは誤りで、人間の身体には毒なのだけれども。

 故に水銀科は特に錬金術を重視し、新しい何かを模索し、開発する事に喜びを覚える人が集まる。

 その筆頭が、クルーペ先生なのだが、それはひとまず置いておく。


 三つ目の黒鉄、つまり鉄は、力を象徴する金属といえるだろう。

 その力とは、もちろん武器、戦闘力も意味するし、工業力や、その他諸々、多くの意味を含んでる。

 実際、もしも今、この世界から鉄が消えれば、家は釘がなくなって崩れて、武器の刃は失われ、人々は雨風や獣、自然の驚異から身を守る術を失う筈だ。

 まぁ、青銅が使われるようにはなるんだろうけれど、少なくとも一時的には。

 つまり力とは、人の営みを支える力を意味してた。

 故に黒鉄科は、戦闘学に重きを置くきらいはあるが、基本的には即戦力となる人材を育てる事を目指してる。

 ある意味で、現世利益の追求が本分といえる科かもしれない。

 実際、高等部で一番人が多く所属するのは、黒鉄科って話だった。


 こうして寮の特徴も踏まえて、再度アルバイトの募集を見ると、……黒鉄科から出てる仕事は、単に本当に人手が、労働力が欲しいんだなって思うものが多い。

 そして黄金科や水銀科は、仕事を通して初等部の生徒に、古代魔法の探求や、錬金術の魅力を伝えようとしてるんじゃないかって内容も、チラホラある。

 もしかすると、そうした仕事を出してる高等部の生徒は、初等部の頃に、同じように先輩が出してるアルバイトを受けて、どの科に進むのかを決めたのかもしれなかった。

 いやまぁ、本人の希望と適性が、必ずしも合致するとは限らないのだけれども。


 んー、どうしようかなぁ。

 そんな風に考えると、正直、黒鉄科の出してるアルバイトには、あまり魅力を感じなくなった。

 もちろん、そうした労働にも意味はあるし、学びはあるし、それを通して先輩と親しくなる事だってあるとは思う。

 だけど僕には、その手の労働をした経験はなくても、記憶という知識はある。

 とあるレストランで、ひたすらに皿洗いをしたり、簡単な調理補助をして、同じアルバイトの人達と仲良くなったって、随分と懐かしい記憶が。

 もう、頑張って記憶の底から探って来ないと、直ぐには思い出せない、記憶だけれども。

 ……まぁ、うん、なので今はそれよりも、真新しい経験をしたい。


 やっぱり錬金術が面白いかなぁと思うのだけれど、古代魔法にも興味はあるのだ。

 確かマダム・グローゼルやエリンジ先生は、黄金科の出身らしいから、先生への好意で言えば、そちらに凄く傾くし。


 そんな風に考えた時、ふと、アルバイトの募集を出してる生徒の名前の一つが目に付いた。

 水銀科、シールロット。

 あぁ、この名前、魔法学校に来た初日に、旅の扉の泉で出会った先輩だ。

 この学校に来て、初めて耳にした名前だから、凄くはっきり覚えてる。

 クルーペ先生を見て、ヤバいなって思った水銀科の印象を、一人で回復させてくれてる先輩だった。


 ……よし、これにしよう。

 散々迷って悩んでしてたのに、その名前を見た途端、不思議と一瞬で僕はシールロット先輩のアルバイトを受ける事に決める。

 内容は、素材の採取と助手。

 うん、治験じゃないな。

 素材の採取はともかく、錬金術を扱う場所に、シャムを連れて行けるかどうかがネックだが、そこは、直接聞いてみようか。


「すいません、あの、この方の出してる仕事の募集に、応募をしたいんですけれど」

 僕はすぐに寮監を呼び、応募の希望を告げた。

 シャムは何か言いたげだったが、近くに寮監が来てるから、声を出すような真似はしない。

 部屋に帰ると、多分からかって来るんだろうけれど。


 違うよ。

 別に下心から、アルバイトを受ける訳じゃないよ。

 確かに素敵な先輩だとは思ったけれど、アルバイトを受けるのは、そんな色気付いた理由じゃない。


 一番大きな動機は、高等部とはいえ一年生が、つまり僕と二歳しか変わらないのに、当たり前のように旅の扉を使いこなしてたあの先輩が、一体何を錬金術で作ってるのか、それが気になったのだ。

 基礎とはいえ、呪文を幾つも覚えるようになって、あの旅の扉を使って遠くに移動する魔法が、どれだけ高度なものだったのかを、薄っすらとだがわかるようになった。

 目に見える範囲よりもずっと遠くに移動する魔法は、そのイメージを持つ事は、無から水や炎を生み出すよりも、翼なしで大空を飛ぶよりも、間違いなく、ずっとずっと難しいから。

 僕はあの、シールロットという先輩の事が、とてもとても気になっている。


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