第2話
家を出て、僕とシャムは村の広場へと向かう。
鍵は閉めない。
留守中は、他のケット・シーが家の保持をしてくれるだろうから、鍵を掛ければその邪魔になる。
いや、そうでなくとも、この村で扉に鍵をかけてる家なんてないけれど。
でもウィルダージェスト魔法学校に行ったら、そうもいかないんだろうなとは思ってた。
だって、そこに居るのは、可愛く気儘だけど優しいケット・シー達じゃなくて、人間だろうし。
別に人間の全てが悪い奴だって言う心算は欠片もないけれど、一部でも不心得者が混じるなら、それに用心しなければならない事を、僕は知ってるから。
「エリンジ先生、おはようございます」
広場の井戸の前で、僕らはエリンジ先生と合流する。
僕は彼に挨拶し、シャムは今日はそういう気分なのか、ニャアとだけ鳴く。
エリンジ先生は良い人だ。
年の頃は、四十歳くらいだろうか、物腰の穏やかな紳士である。
ケット・シーの村の外を、それから魔法の事も、何も知らない僕の為に、この一ヵ月程は村に滞在して、色々と教えてくれていた。
だからエリンジ先生の事を、僕はまだ学生になってはいないけれど、何の迷いもなく先生と呼んで敬意を払えるし、その授業に付き合ってくれていたシャムも同じく、彼を先生と呼ぶ。
「おはよう、キリク君、シャム君。そうだね。そうしてると、シャム君は全く猫にしか見えないな。既に向こうに行ってからの事を考えてるなんて、流石はシャム君だ」
あぁ、褒めるようなエリンジ先生の言葉に、僕はシャムの態度の理由を思い出す。
そういえば、ウィルダージェスト魔法学校では、シャムは猫のフリをするんだっけ。
ケット・シーは希少な生き物で、隠れ里に集まって暮らし、人前には殆ど姿を現さない。
この村もそうしたケット・シーの隠れ里で、外界とは遮られた場所にある。
実際には、ケット・シーが人間の町を訪れる事はそんなに珍しくないのだが、彼らは猫のフリがとても上手いから、単なる人間がそれを見分ける事は不可能なのだ。
まぁ、僕は幼い頃からケット・シーを見続けてるから、少し観察すれば多分見破れるだろうけれども。
という訳で、そこが魔法学校とやらであっても、ケット・シーを連れてる新入生なんて悪目立ちしてしまうから、シャムは猫のフリをするらしい。
魔法使いなら、猫を使い魔にしてる事も、決して珍しくはないからと。
……正直、これはあまり気に入らなかった。
乳兄弟という、家族も同然の相手であるシャムを、使い魔だとかの扱いにするなら、悪目立ちした方がマシである。
だけどシャムは全く気にした風がなく、ケット・シーは元々知らない人間の前では猫のフリをしてきた生き物なんだぞと諭されてしまうと、僕にはもう何も言えない。
なので僕も、見知らぬ誰かがシャムを使い魔なのだと見ようがどうしようが、気にしない事にしよう。
大切なのは、僕がシャムを、シャムが僕をどう思ってるかで、見知らぬ他人は全く関係ないのだ。
もしも親しい友人ができれば、その上で、僕にとっての親しい友人が、シャムにとっても親しい人になったなら、こっそり正体を知って貰えばいい。
エリンジ先生は、まるで僕の内心の不満がわかってるかのように、それが収まるのを待ってから、
「では、行くとしようか。初めてこの村を出るのだから、不安は当然あるだろう。だがキリク君、外の世界も、決して悪い場所ではないよ。私が保証しよう。もちろん、私の保証をキリク君が信じられるならば、だがね」
ニッと笑ってそう言って、まるでオーケストラの指揮者のように、両腕をダイナミックに動かした。
すると彼の両手の動きに呼応するように井戸から水が飛び出して、僕らの目の前で大きな水鏡を作り出す。
しかしその水鏡に映るのは、前に立った僕らじゃなくて、どこか全く見知らぬ景色。
「おっと、一応、復習しておこうか。この魔法を見せるのは初めてだが、説明はした事があったね? 私が使った魔法は、何という名前で、何の為の魔法か、キリク君、答えなさい」
僕とシャムが揃ってポカンと口をあけ、目の前の水鏡を見ていると、興が乗ったのか、エリンジ先生が一つ問題を出した。
うん、確かに一度、説明は受けてる。
ただこんな風に、ダイナミックに水鏡が出てくると思わなかったから、ちょっと驚いてしまったけれど。
えぇと、確か、
「旅の扉の魔法です。正確には、世界に幾つかある不思議な力を持った泉、旅の扉と言われる場所に移動する為の、水の門を喚ぶ魔法ですね。移動系の魔法は制御が難しく危険も多いですが、この魔法は旅の扉という安定した場所を利用するので、安全に移動できる魔法だとされています」
こんな風に教わった筈だ。
移動すると言って魔法を使い、水鏡、いや、水の門を出した以上、恐らく旅の扉の魔法だろう。
ちらりと肩の上のシャムを見れば、ウンウンと頷いてるから間違いない。
僕らの答えはどうやらちゃんと正解だったらしく、
「うんうん、よく覚えてる。君達は優秀な生徒だね。その通り、これは旅の扉の魔法だ。本当は、天馬でも喚んで乗せて行ってあげようとも思ったのだが、生憎と向こうは雨らしくてね」
機嫌よく笑って頷いた。
ほら、やっぱり今日は雨じゃないか。
さっき、シャムが顔を洗ってたせいである。
季節的に、雪じゃないだけ凄くマシだけど。
ただ、エリンジ先生は向こうは雨だと言ったけれど、水鏡を覗く限り、雨が降ってるようには見えない。
不思議に思って首を傾げると、肩のシャムが僕の頬を前脚でグイと押し、
「ほら、魔法学校は外敵が入って来られないように、結界に覆われた異界にあるって言ってただろ。外と中じゃきっと環境も違うのさ」
そんな言葉を口にする。
今は、猫のフリは中断らしい。
あぁ、そういえばそんな事も言ってたような?
ちなみに結界に覆われた異界と言えば、このケット・シーの村も同じである。
村の周囲の森には結界が張られてて、妖精の類でなければこの村には辿り着けない。
何故なら結界によって、この世界から少しずらされた場所に存在してるから。
そうした場所を、異界と呼ぶ。
エリンジ先生も結界を抜けて村に来るのは、それはそれはとても苦労をしたそうだ。
でもこの村を覆う結界は、流石に雨まで遮断したりはしないので、ウィルダージェスト魔法学校が存在する異界は、より高性能な場所になるのだろう。
「流石はシャム君だ。その通りだよ。できれば結界の外から入って、違いを見せてやりたかったが、まぁいずれ見る機会はあるだろう。さて、では今度こそ、行くとしようか」
そう言ってエリンジ先生は先に水の門の中へと足を踏み入れる。
僕らも、というかシャムは肩に乗ってるから、僕は慌てて後を追って、一瞬、水の門に触れるのは躊躇ったけれど、意を決して踏み込んだ。
次の瞬間、ふわりと浮遊感に包まれたかと思うと、僕は見知らぬ地に、いや、見知らぬ場所で水の上に、立っていた。
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