第3話 そのさん・三毛猫のお美代

 これはゆゆしき問題だわ。

 私は監督に渡された生写真をグシャリと握りつぶした。


「これでは麗華の秘密がばれるのも時間の問題だわ。なんとかしないと!」


 他人の暴露写真で、なにを息まいているの? ですって?

 これは最高の女優であり友人でもある、伊集院麗華の最大の危機だからよ。

 即刻対策を立て、対処しないと。

 このままにはしておけない。


 え? 私が誰か、ですって?

 時代劇の撮影現場である、ここでの名は山猫のお美代。

 そして国民的人気特撮となった「ミラクル☆バニー」に登場したミラクル☆キャットのミャオでもあるわ。


 ふふ、私は女優よ。

 名前なんてすぐに変わるから教える意味なんてないけどね。

 以後、お見知りおきを。


 今の問題は、引き裂いても憎らしいこの写真よ。

 本来撮影がされないはずの、きわどいアングルから撮影されている。

 隠しカメラがあとほんの数センチ移動していたならば、隠すべき麗華の秘密が暴露されるところだった。


 写っているのはピンゾロのお蝶の最大の見せ場。

 視聴率が一気に跳ね上がる入浴シーンである。


 立ち上る湯けむりの中、白い肌のなまめかしい背中。

 少しほつれた黒髪がうなじに落ちて艶のあるあでやかさは、女の私が見てもため息をついてしまう。


 ひとつの問題をのぞけば、いい写真であることは間違いない。

 本来ならば撮影できない角度で、隠し撮りされていることがあきらかなのだ。

 いったい誰が、いつ、どんな手段で撮影したのかわからないのが不気味だ。


 そう、撮影のプロたちが検証しても、撮影方法が解明されないなんて。

 敵はかなり手ごわいらしい。


「ネットで売られていたんだよ。他のスタッフに聞いても、この写真がどうやって取られたか、まだわからないんだ」


 監督が困惑するのも当然だわ。

 ここは時代劇「隠密漫遊記」の撮影現場ですもの。

 年配の御隠居様がたが対象の番組で、ハイテクを駆使した隠し撮りが横行するなんて、まさかの事態だ。


 しかし!

 こんな非常識なまねをする相手には心当たりがある。

 とはいえ、特定の個人ではなく、別番組の「ミラクル☆バニー」で熱狂的な麗華ファンになった輩の仕業だろう。


 そう、他番組にまで追いかけさせる、麗華の美しさが罪なのだ。

 出待ち入り待ちに飽き足らず、隠し撮りストーキングと常識知らずは数知れず。

 スタッフだけでなく私たち共演者も、ある男を雇うまでは戦々恐々としていた。


 そう、ピンゾロのお蝶を演じる女優、伊集院麗華は美しい。

 蝶が舞い、蜂が刺す。なおかつ凛として大輪の花と咲き誇る。

 衰退していた特撮も時代劇も、彼女の美貌と華麗なアクションで息を吹きかえしたのだ。


 麗華は誰もが認める若手ナンバーワン。

 頭脳明晰、容姿端麗、スポーツ万能、生粋のお嬢様。

 たった一つの欠点をのぞけば、まさに女神!


 もともとこの入浴シーンは彼女の欠点を気付かれないように設定され、背後から斜めに移動するぎりぎりのきわどいアングルで撮影されている。

 見えそうで見えないものは人の妄想を掻き立て、そして公表されている嘘情報を真実に変えるのだ。

 この撮影でその秘密をばらすわけにはいかないと、監督の顔色は非常に悪いけれど。


「監督、ご安心を。麗華の秘密を鉄壁で守れる人物を知っているわ」


 だからスタッフに雇ってちょうだいとたたみかけると、監督は背に腹は代えられないとうなずいた。

 バイトでも文句は言わない男よ、とお安く雇えるはずだと確約すると、ちょっぴり嬉しそうな顔になったのは見ないことにする。


 変質狂な奴らを蹴散らせるのは彼しかいない。

 ミラクル☆バニーの熱狂的ファンである照明係のバイト。

 熱烈な外部ファンをシャットアウトできる、唯一の秘密兵器へと変わった男。


 彼にはとことん役立ってもらいましょう。

 そう判断して速やかに彼を呼び出したけれど、開口一番。


「時代劇には興味ありません」


 伊集院麗華? 誰それ? などとぬかす。

 くの一のピンゾロのお蝶の名前に、さらに興味ダウンのありさまだ。

 あなた、そのすべてが同じ人物だってこと、本当に理解していないの?


 想定はしていたけどね。

 ここまであからさまとは徹底している。

「ミラクル☆バニー」のミミィちゃんと、演じる女優・伊集院麗華を別物と判断しているからこそ、今の彼があると言ってもいいけど。


 だけど背に腹は代えられない。

 目には目を、歯には歯を、変態には変態を。

 変質的な輩に対抗できるのは、強烈な変態しかいないのだ。

 心配そうに見守る監督の目の前で、私は彼にたたみかける。


「あなたがどう思っていようとこの現実世界では、ミミィちゃんと伊集院麗華は同一視されているわ。麗華の守るべき秘密は、ミミィちゃんの秘密よ」


 横は向いていたものの、彼の耳がピクリと動く。

 器用ね、耳だけ動かせるなんて。

 ほらほら、あなたの大好きなミミィちゃんを守るためだから、もっと喰いついてきなさい。


「いいこと? 秘密が暴露されると、あなたのミミィちゃんまでツルペタAカップと思われるのよ。本当にそれでいいのね?」

 ガガーンと効果音がつきそうな血の気の引き方をして、彼はよろめいた。

「違う……違うぞ。ミミィちゃんはCカップなんだ! Aカップでは断じてない!」

 でかすぎず小さすぎず、ちょうど手のひらに包みこめそうな感じがいいんだ! と血迷ったことまで叫んでいる。

 Cカップの有益性について熱く語りながら拳を強く握りこみ、爪で血が噴き出しそうな勢いだ。


 でもね、現実は残念なのよ。

 ミミィの胸は嘘で塗り固められた紛い物。

 設定にあるミミィちゃんのCカップの中身はパット三枚重ねだから。


 麗華は救いようのない貧乳なのだ。

 貧乳のツルペタAカップは、絶壁と呼んで差し支えない。

 見下ろせばおへそもつま先もすべて見通せる肩こりとも無縁なペッタンコは、Fカップで万年肩こりの私から見れば実にうらやましい。

 麗華のサイズなら、乳がん検診だってマンモグラフィーで機材にはさまれ、痛~いなんて叫ばずに済むのに!

 なんて、私のことはどうでもよかったわね。


「いいこと? 麗華の危機はミミィちゃんのピンチ。ピンゾロのお蝶の危険はミミィちゃんの危険。現実世界にはびこるすべての脅威からミミィちゃんを守れるのは、あなただけなのよ」

 やってくれるわね? と熱を込めて語ると、彼の眼の色が変わった。


「ミミィちゃんを守る……俺だけにしかできない?」


「そうよ。これは特命なのよ。あなたにしかできないこと。ミミィちゃんのためにもミラクル・Gとして、影から麗華を守ってちょうだい!」

「頼んだわよ、後藤君」と肩をたたけば、彼の口から「やりましょう!」とゴーゴーと燃え盛る使命感に燃えた熱い言葉があふれた。


「俺はミラクル・Gとして、立派に使命を果たす!!」


 監督から照明のスタッフ証を渡され、そのまま後藤君は「隠密漫遊記」の撮影現場へと疾風の勢いで走り去った。

 素晴らしい勢いで現場チェックを重ね、隠し撮りされた写真から隠しカメラの位置を発見して撤去し、這いつくばって盗聴器を探り出す。

 シャカシャカと超高速で動き回り、怪しいものを探り出す驚異の能力に衝撃を受けつつも、時代劇のスタッフたちは遠巻きにしている。

 新入りの動きが尋常ではないから、ただ見守るしかないのだ。

 その驚異の動きを見つめながら、監督がポツリと言った。


「……ミラクル・GのGは、後藤君のGだと思っていいのだろうか?」


 うん、そう言いたくなる気持ちはわかる。

 私も初めてみたときには茶羽のある生き物を思い出し、無意識のうちに三歩は後ずさってしまったから。

 後藤吾郎君はある意味で人類を超越している。


「お好きにどうぞ。グレートかもしれないでしょ? それとも三億年前から生息する怪生物とでも思ったのかしら?」

 たぶん監督も怪生物の姿を思い描いているだろうと思いながら微笑みかけると、監督は軽く肩をすくめた。


「お美代、おぬしも悪よのぅ」

「あらあら、監督ほどじゃありませんわ」


 撮影が始まると、後藤君がこの現場にいることに、さすがの麗華も驚いたけれど。

 防犯で彼以上に有能な人間がいるかと問いかけると、いないわとあっさり認めたので問題ないわ。


 こうして、時代劇の撮影現場に平和が訪れた。


「隠密漫遊記」は娯楽時代劇。

 美食・温泉・痛快活劇、観光だって兼ねている。

 美貌のくノ一を数名お供に連れて、時の将軍様の双子の兄が、日本全国世直し旅に回るのだ。


 ピンゾロのお蝶はサイコロ投げて。

 山猫のお美代は三味線片手に始末する。


 ヒラリ、華麗に斬り捨てて。

 幕府の安泰、援けましょう。


 見せ場はやっぱり殺陣だけど。

 最高視聴率を誇る入浴シーン。


 陰に潜んだミラクル・Gの護衛の元に。

 漂う湯煙り、ほのかに肌染めて、ピンゾロのお蝶は今日も舞う!

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