第2話 そのに・麗華さんの憂鬱

 冗談ではないわ。

 その話を聞いたとき、わたくしは思わずコーヒーカップを落としてしまいました。

 すぐに新しいコーヒーが淹れなおされたけれど、カップを持つ手が震えてカチカチとはしたなく食器に音を立ててしまうほど動揺していたのです。


 あの忌まわしい「ミラクル☆バニー」が成長して還ってくるなんて。

 いったいどこのどなたがそんな脳が沸騰したような話を持ち出したのかしら?

 そんなことプロデューサーが許しても、わたくしは許さない!


 何を熱くなっているかわからない、ですって?

 教えてあげますわ。

 わたくしは伊集院 麗華。

 ミラクル☆バニーの主演女優でしたの。


 何の因果でしょう?

 わたくしは女優になどなるつもりはありませんでしたわ。

 たまたま地方オーディションに友人が合格して、テレビ局の中を見学ができると甘言につられて最終オーディションに同行させていただいたのですけれど、なぜかプロデューサーに目を付けられてしまったのです。


 あれよあれよという間に主役に祭り上げられてしまったのは忌まわしい過去。

 これでも由緒正しい伊集院家の次女でしたので、テレビに出るだけでも親戚一同の会議が行われ、針のむしろに座るようないたたまれなさを味わいました。


 え? 名前の割に後ろ向きな発言が多いですって?

 わたくし、もともと内向的で部屋の隅っこで本を読んでいれば幸せな人間でしたの。

 テレビに出るどころか、人前で話すことも苦手。

 そんなわたくしに女優など勤まるわけがありませんでしょう?

 お断りしたのですが、強すぎる押しに結局断りきれなくなり、気がついたら十年も経ちました。

 ここまでやり続けるとそれなりに女優としての意識も育ちましたけれどね。


 語ると長くなりますけれど、ミラクル☆バニーのミミィ役はわたくしとは性格がまるで正反対。

 常に姿勢正しくをモットーに育てられましたから、役にある朗らかでぽやーっとしている日常生活の姿は、未知の世界の住人のようでよくわかりませんでしたの。

 はじけるように明るく笑って「君の夢、忘れないで!」なんて決め台詞、蕁麻疹が出そうになって何度もとりなおしを受けてしまいました。


 ああ、でも。

 アクションシーンだけはとても楽しかったのです。

 無駄口をたたかず、背筋を伸ばし、常に優雅であれと育てられてきましたけれど、護身用に教えられてきた武術がこんなところで役立つなんて!


 襲いかかってくるあまたの敵を薙ぎ払い、ワイヤーの助けは借りたけれど鳥のように自在に跳躍し、決めポーズと同時にすべてを焼き尽くす炎が燃え上がる。

 火薬のにおいが立ち込め、轟音が響く中で勝利を確信する瞬間。

 あの瞬間だけ、わたくしは本来のわたくし自身に戻れた気がして、最後までミミィを演じきれたのです。

 思い出した途端、ゾクリと背筋を駆け昇ってくる愉悦に、わたくしは不覚にも身を震わせてしまいました。


 でも。

 でも、ミラクル☆バニーはわたくしにとっては黒歴史。

 あまりに役の印象が強すぎて、他の仕事もミミィの印象を壊さないものしか長い間もらえず、どこにいってもミミィの話ばかり。

 クイズ番組に招かれてもミラクル☆バニーの決めポーズを真似して笑いを取るような芸人と一緒にされたりと、わたくしの神経を逆なでする人の多いことと言ったら!

 最近になって時代劇のレギュラーであるくノ一役を射止めて、やっと特撮のイメージが消えてきたのに。


 再び、ミラクル☆バニーを復活させる、ですって?

 しかも同じキャストで、十年後の世界を描くなんて正気の沙汰とは思えません。

 この番組がこけたら、わたくしへの仕事そのものがなくなるに違いなくて、想像しただけで怖くてたまらないのに。


 ああでも、なんということでしょう。

 事務所は二つ返事でこの話を受けてしまったのです!

 十代の美少女が成人した未来なんて、誰が見たがるのかしら?

 子持ちの母親が戦うお話なんて、本当に視聴率が取れますの?


 わたくしの嘆きと心配をよそに、着々と進められた新生ミラクル☆バニー。

 いざ公開されたら、過去の栄光を再びどころか、爆発的に人気を博してしまったのです。


 戦う女性は美しい。

 子供の命を守るためひたすらに愛を語るその姿は、特撮好きの大人だけではなくワーキングマザーたちのハートもつかんでしまったようなのです。

 ごめんなさいね、わたくしのせいで子供の学芸会にコスプレ参加させられるお母様方が続出したとのお便りをいただきましたけど、想定しておりませんでした。

 それに苦情処理は事務所に任せておりますの。


 ええ、ごめんなさい。

 みんなどこか腐ってる。なんて言ってはいけませんわね

 この仕事のおかげで、わたくしの女優人生は開けたのですから。


 アンニュイな気分に浸っていると、視界を横切るバイトの姿。

 フッとため息をついてしまいましたわ。


 彼、とても変ですの。

 熱烈なミラクル☆バニーのファンで、やたらと暑苦しい。

 作品の制作にはほとんど興味がなく、ミミィというキャラそのものを愛してやまない、本当に変な人ですの。


 撮影に入った直後で麗華の姿の時には、挨拶だけはしても目もあいません。

 台本を読もうと、目の前で着替えようと、ほとんど無視。

 その特殊な行動ゆえに、やたらと気になります。


 間違ってもかっこいいとか、気がきく人間ではありませんの。

 目につくというか、明らかにおかしい行動を取るので、目立つと言うか。

 悪い意味で人目を引きますの。


 今もわたくしが食べた弁当の箸を回収しているのです。

 わたくし、というのは語弊がありますわね。

 ミミィの姿になっているわたくしの使ったものをコレクションしているだけで、他には害がありません。


 むしろ撮影の邪魔になりそうなものへの嗅覚は人並み外れ、撮影にもぐりこもうとしたファンを排除する能力にもたけております。

 腕っ節が強いわけではないのですよ?

 彼の熱すぎる言葉にひいて逃げていく人の多いことと言ったら。

 ええ、半端な気持ちでは太刀打ちできないほどのミミィへの愛をもっているのだけは確かですわね。


 レフ板も普通では持てないような姿勢で何時間も耐え、ときには足りなくなったやられ役怪人Aになり、リハーサル前のしかけのテストにも率先して参加する。

 涙ぐましくけなげなほどのその愛は、すべてミミィに向けられているのです。


「彼って変態よね」


 いつの間にか傍らに立っていた、ミラクル☆キャットにわたくしは「ええ」とうなずきました。

 彼女のおかげで私は堅苦しい家からひとり立ちし、女優への道を歩み出したのです。

 オーディションを共に受けてから、つかず離れず常に傍らを歩んでくれる友の存在は心強いものなのです。


「変態に愛される気分ってどう?」


 フッと鼻先で笑ってしまいました。

 出演者にまで変態扱いされるバイトはほかにおりません。

 そして、そこまで目立つ怪しい行動をしているのに、安全物として撮影に関わっている変態も、世界中には彼ひとりではないかしら?

 ええ、確かめるすべはありませんけれど。


「彼はミミィを愛しているのであって、他の何にも興味がないわ」


 確かに役は役。

 キャラそのものとわたくしはまるで別の存在。

 普段の話し方をしているだけで、ミミィとは別人と認識されるわたくしの気持ちが、あなたにわかるかしら?


 あれほどのミミィへの情熱が、伊集院麗華だというその事実だけで虚無に変わる。

 湧き上がるのは彼に対する侮蔑と、湧き上がる敗北感と屈辱。

 女優であるわたくし自身の存在は、彼に人間として認められることすらないなんて。


 今日も今日とて。

 わたくしは彼の熱い眼差しを受けながら、華麗にポーズを決めました。

 相変わらず食い入るように見つめてくるから、ミミィのコスプレ中の眼差しがいつか発火能力を得そうだとバカなことを考えてしまうほど熱がこもっておりますの。


 こんな言い方をしたらいけませんが、非常に腹立たしいことです。

 この撮影が終了するまでに、一度でいいから彼にわたくしの女優としての名前を呼ばせて見せるわ。


 ささやかな野望ですけれど、それは人としての意地です。

 伊集院麗華はれっきとした女優だから、ミミィなどという架空キャラの名前で呼ばれても満足できませんの。


「君の夢、ずっと忘れないで!」


 前作から引き継がれたままのセリフ。

 人妻で一児の母としてはどうなのかしら? と思う戦いが終わった後の決め台詞と同時に、ドカンと派手な爆発音が鳴り響き炎の柱が燃え上がります。

 ええ、我ながらバカな突っ込みばかりしていると思いますわよ。

 夢だって叶うとは限りませんわ、なんて冷めたことを言ってしまうほどに、この番組はプレッシャーも大きいの。


 でも、負けないわ。

 私自身を認識しない、あの変態チックなバイトにも。

 ネームバリューばかり膨らんだこの仕事にも、ともすれば役柄に飲みこまれて消えそうになるわたくし自身にも。

 絶対に負けたりしない。


 愛と平和とあふれる夢を守るために。

 ミラクル☆バニーは今日も戦う!!

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