第16話

 ふたりが乗る覆面パトカーが、赤色灯を光らせてサイレンを鳴らし、ショッピングモールへと向かうさなか、渋滞に巻き込まれてしまった。片側一車線の道路。反対車線も含めて車が多く、なかなか道が開けない。その車中、運転する滝石のスマートフォンに連絡が入った。滝石は片耳に嵌めたヘッドセットでそれを受ける。

「はい・・。わかりました。」

通話を終えた滝石が、隣の助手席にいる千里に伝えた。

「岸幡亨が顔認証にヒットしました」

「どこ?」

「七節町一丁目の交差点です。さっき緋波さんが言ってたショッピングモールのある付近です」

千里が呟く。

「やっぱり、そこか」

滝石が言下に答えた。

「おそらくそうでしょうね。一丁目にショッピングモールはひとつしかありませんから」


 七節署の捜査本部。高円寺のもとに電話が入った。

―綿矢だ。

「管理官!」

―連絡できずにすまなかったね。

「いえ・・・」

―詳細は聞いている。犯人を特定、現在追尾中だと。

「はい。おっしゃるとおりです」

―早速だが、その進捗状況を逐一、私に報告してくれないか。


 ようやく渋滞を抜け、目的地へと到着した。そのショッピングモールは大型の施設だった。岸幡がリュックを背負い、キャリーケースを引いて該当のモールへと歩いて行く姿を街の防犯カメラが捉えたと、堀切から報せを聞いた千里と滝石は、警備室へと向かった。


 大きなショッピングモールだけあって、警備室には防犯カメラによる屋内映像が無数にあった。このモールにも顔認証システムが取り入れられているらしいが、登録に時間がかかるという。そのためふたりは、自分たちの目で岸幡を見つけるしかなかった。

「白いTシャツに紺のジャケット、黒いズボン。青のリュックに、黒のキャリーケースを持ってます」

滝石は映像をひとつひとつ確認しながら、堀切に聞いた岸幡の服装や持ち物の特徴を千里に伝えた。千里は、それに合致する人物がいないか眼球を素早く動かしている。大勢の客の中から、ひとりを捜し当てる。困難と思えるほどのすべであるが、千里の機械のようなサーチ能力は驚異的だった。

「ねえ、こいつじゃない?」

すると、千里が映像のひとつを指差した。背を向けた男がエレベーターの前に立っている。服装や所持品は符合していた。滝石と一緒に映像を見ていた警備員が口を開く。

「業務用のエレベーターです。お客様は利用できません」

辺りを窺うように男が振り向く。その男は岸幡だった。

「いた!彼です!」

滝石が声を上げた。岸幡がエレベーターに乗り込むと、千里が警備員に言った。

「ここ、アップにできる?」

警備員は機器を操作し、そのとおりにした。千里が指したのはエレベーターの階数を示す表示灯だった。ランプの光は上へと昇っていき、やがて屋上で停まった。

「まさか、飛び降りる気じゃないですか!?」

滝石が懸念を示すが、警備員はそれを否定した。

「無理ですよ。高い金網を設置していますから。目が細かいので、よじ登ることもできません」

そこで、千里が警備員に訊いた。

「屋上にカメラは?」

「いえ、ありません。屋上は特になにもないですから」

「あそこへはどうやって行けばいいの?」

「警備室を出た先に、もうひとつ業務用のエレベーターがありますので使ってください。ただ、映像にある場所まで行くには、やや距離がありますが」

千里が決死の表情で滝石に視線を向ける。

「滝石さん」

その目を見た滝石は意を固めてうなずいた。


 ショッピングモールの屋上。そこに岸幡は立っていた。コンクリートの地面にはリュックとキャリーケースが置かれている。右手にスマートフォン、左手にタブレットを持ち、それぞれを操作している。ひととおり終えたところで、ふたつをリュックにしまった岸幡が、その中からピエロのマスクを取り出した。それを被って歩き出し、やがて立ち止まる。足元には赤いポリタンクが一個、少し離れた場所には、スマートフォンが取り付けられた低い三脚が立てかけてあった。岸幡はポリタンクのキャップを開けると、中に入っている透明の液体を頭から浴びた。全身ぐっしょりと濡れた岸幡が、そのポリタンクを投げ捨てた直後、声が飛んできた。

「岸幡」

千里の声だった。滝石と共に歩いてくる。岸幡は警察だとすぐに気づき、右手をズボンのポケットに入れて言う。

「三分前。ギリギリだなあ・・。でも、よくわかりましたね」

「あんたが思ってるほど、バカじゃない刑事もいるってこと」

千里は答えると、目の前にあった三脚を横に蹴り飛ばした。三脚はスマートフォンと一緒に音を立てて地面に転がっていく。滝石はすかさず捜査本部に連絡を入れた。

「被疑者発見。七節町一丁目、ショッピングモールの屋上」

ふたりと岸幡は、ある程度の距離を保っている。スマートフォンを上着にしまった滝石は、声を潜めて千里に伝える。

「じきに応援が来ます」

千里は正面を見据えたまま小さくうなずき、言い放つ。

「業火の道化師はあんた、岸幡亨。そして、ここで死のうとしてる。それがクイズの答え」

岸幡がマスクを被った状態で声を発した。

「正解」

マスクを左手で脱いだ岸幡は、それを見て呟く。

「せっかく持ってきたのに・・・」

岸幡は不要とばかりにマスクを放ったあと、千里に目を遣る。

「あなた、クイズに答えてたでしょ?」

千里の声を岸幡は聞き覚えていた。その問いに本人が返す。

「そうだけど、それがなに?」

岸幡は笑みを浮かべる。

「頭いいね。絶対正解できないと思ってた」

それから惜しむような表情に変わり、言葉を重ねた。

「あのときも、あなたみたいなのがいたら・・・」

うつむく岸幡を見て、滝石が語気を強める。

「おとなしく投降しなさい」

滝石が一歩踏み出したとき、岸幡は顔を上げ、手を入れていた右のポケットから、ジッポーのライターを取り出して蓋を開け、腕を伸ばして前に掲げると、着火するためのホイールに親指をかけた。

「動くな!」

岸幡が叫ぶ。千里と滝石は、先ほどから臭いで勘づいていた。ガソリンだ。岸幡が身体中に浴びていたのはガソリンだったのだ。滝石の動きが止まる。一触即発のなか、千里は静かに言った。

「椎名から話は聞いた。椎名、知ってるでしょ?」

岸幡は気抜けしたかのように返した。

「ええ・・。あの人、しゃべっちゃったんだ・・・」

「じゃあ、あんたが全部やったのね?」

千里が訊くと、岸幡は無論といった様子で白状した。

「そうだよ。俺にとっては一種のショーなんだ。『報復』っていう名のショー。みんな楽しんでくれたでしょ」

岸幡は頭に血が上るのを感じながら続けて述べる。

「父さんが逮捕されたときも、刑務所に入ったときも、死んだときも、俺は何度も警察に頼んだんですよ。事件を調べ直してくれって。けど、相手にしちゃくれなかった。だから、数年かけて自分で事件を調べながら、この計画を練った。母さんが死んで、もう一度警察に頼みました。結果は同じでした。それで、計画を実行に移そうと決めたんです」

滝石が苦言を呈す。

「岸幡さん、あなたのやり方は間違っています」

それを受けて、岸幡がついに怒りをぶつける。

「間違ってんのはお前らも一緒だろ!なんの関係もない父さんを逮捕しといて、偉そうなこと言ってんじゃねえよ!そのせいで、母さんがどんな思いしたか、どれだけ苦労して死んでったか、お前らにはわかんねえだろ!」

遺族としての感情を高ぶらせる岸幡に、千里が悠然と問いかけた。

「死ぬのは最初から決めてたの?」

息を深く吐き、落ち着きを戻した岸幡は答えた。

「ええ。ショーのエンディングは、派手なほうがいいですから」

千里は重ねて問う。

「どうしてここなのよ?」

岸幡は遠い目をした。

「ここは改築される前、デパートでした。子どもの頃、この屋上には小さな遊園地があって、よく両親に連れて行ってもらった思い出の場所なんです」

太陽が時間をかけながら南を通っていく。そのなかで、千里は射るような眼差しで述べた。

「あんたは無駄死にしようとしてる。これからでしょ。はっきりさせるのは」

「俺が生きていても意味がありません・・。でも死ねば、周囲の状況が変わるかもしれない。警察だって・・・」

岸幡はライターに着火した。どこか悲しげな表情になり、結びの語を継ぐ。

「悪業を犯した道化師は、業火に焼かれて身を滅ぼす。それが俺・・・」

そのとき、滝石が叫んだ。

「岸幡さん!」

滝石は岸幡に向け、声を大にして主張する。

「ご両親はこんなこと望んではいません。今までのことだって。喜ぶとでも思ってるんですか!」

岸幡は平然と答えた。

「椎名さんにも同じこと言われたよ」

滝石は涙腺を緩ませながら説きつける。

「あなたの辛い気持ちはわかります。憎しみの気持ちも、痛いぐらいにわかります。確かに、当時の警察の捜査はずさんでした。警察官として、自分が代わりに謝ります。ですが、あなたが死んだところで、なにも変わりません。少しの間騒がれて、あとは風化していくだけです」

千里が、その言葉を引き継ぐ。

「そう。あんたが死んでも変わらない。世間も警察も。だったら、あんたが調べたことと、私たちが調べたことを合わせて突きつければいい。十年前の真犯人はわかってる。警察が動かなくても、検察が動く。そのためには、あんたが生きてなきゃいけないの。死にたいなら死ねばいい。私は止めない。でも、どうせ死ぬならそれからでも遅くない。あんただって、父親の冤罪が晴れるとこ、自分の目で見たいでしょ」

滝石が再度、願い出た。

「約束します。必ず、お父さんの潔白を証明します。だからあと少し、もう少しだけ、生きてみませんか」

岸幡は目をつぶり、眉間を寄せた。心が揺らぐ。そして訊いた。

「俺は警察に裏切られた。あなた方だってそうかもしれない。本当に約束してくれるんですか?」

千里はひと言、口を開く。

「信じて」

岸幡はライターの蓋をそっと閉じ、ゆっくり目を開いた。千里が右手を差し伸べる。岸幡がライターを千里に渡そうとした瞬間、一発の銃声が鳴り響いた。岸幡は後方へと仰向けに倒れる。驚いた千里と滝石が銃声のした方向に目を遣ると、塔屋の上に武装した黒装束の男がふたり、身を低くして屈んでいた。SATの隊員だ。ひとりはライフルを構えている。千里と滝石は、急いで岸幡のもとへ駆け寄るが、胸を撃たれた岸幡はすでに死亡していた。即死であった。亡骸となった岸幡を見つめ、千里の瞳は厳しくなったのだった。


 警視庁警備部の一室。綿矢が手を後ろに組み、窓の景色を眺めながら立っている。右手にはトランシーバーが握られていた。そのトランシーバーから男の声が流れる。

―ターゲットダウン。

綿矢はトランシーバー越しに返答した。

「ご苦労様」

日中の窓にわずかに映る自分の顔に目を遣りながら、綿矢は冷笑するように、片方の口角を上げた。


 生配信はされていた。岸幡はあらかじめ、時間になれば自動配信が行われるようにしておいたのだ。しかし、千里がそのためのスマートフォンを三脚ごと遠くに蹴ったがゆえに、映るのは青い空ばかり。音声も届いていたが、なにを言っているのか不明瞭で、唯一定かに聞こえたのは銃声だけであった。

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