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Ito Masafumi

第1話

 七節町ななふしちょうの日が暮れるころ、七節警察署の地域課。閑散とした部屋の中で、ふたりの制服警官の男がノートパソコンに目を遣っていた。画面には七節警察署のホームページ内にある問い合わせのページが表示されている。主に区民からの意見や相談、苦情などをメールで受け付けるページだ。しかし、今日の朝に送られてきたメールのひとつが異質なものであった。そのメールにはこうつづられていた。

≪警察の皆さんにクイズに挑戦していただきます。詳細は以下に張られたリンクにアクセスしてください。ルール等を説明します。本日の午後六時までにそちらから反応が見られない場合、七節町内で人をひとり殺します。 業火の道化師≫

文章の下にはURLのアドレスが確かに張られていた。突如として送られてきた殺害予告のメールに、窓口の警務課は刑事課に連絡を取り、相談をしていた。

「今月で何度目だ」

文章に目を通し、そう問うた地域課巡査部長の遠山とおやまがコーヒーカップ片手に立っている。その前で、自席に座る同課の巡査、益野ますのがノートパソコンの画面を見ながら答えた。

「二・・、いや、三回目くらいですかね」

遠山はカップに入ったインスタントのコーヒーを一杯すすると、今度は益野が質問した。

「刑事課はなんて言ってるんですか?」

「無視していいんだと」

益野は椅子を反転させて、遠山に身体からだを向けた。

「いたずらだと思ってるんでしょうか?」

「みたいだな」

七節区は都内で治安が一番悪い。同じように治安の良くない新宿区を上回るほどだ。ある新聞社が企画した東京都の犯罪多発地区ランキングでもトップに位置している。そのせいか、区の中央に位置する七節町ではこの手の犯行予告が多い。しかし、ほとんどがいたずら目的だ。担当の刑事課は辟易へきえきしている。

「一か月前もそうだったもんなあ」

遠山が過去を回想する。

「ああ、ありましたね。オフィスビルを爆破するっていう電話の件」

益野も思い浮かべて言うと、遠山はうなずいた。

「本庁まで出動するほどの騒ぎにまでなったのに、結局は嘘。しかも捕まった犯人の動機が『人がパニクるのが見たかった』って、しょうもないもんだったしな」

「何事もなくてよかったですけど、あれで刑事課長が本庁にえらくどやされたそうですよ。『もっと慎重に裏を取れ』みたいなこと言われたって。それからその課長、強行犯の係長に八つ当たりしてたって聞いてます」

「知ってるよ。高円寺こうえんじさんだろ。あの人、陰で逆ギレしてたぞ。『お前が指示したんじゃねえか』って」

七節警察署刑事課強行犯係の係長、高円寺みつるは警察官としての情熱はあるが、やや傲慢なところがある。それが原因なのか、部下からはあまり信頼を置かれていないが、本人は無関心である。

「じゃあこれ」

ひととおり雑談を終えたあと、益野はノートパソコンの画面を指差しながら遠山に訊いた。

「このメールはスルーして、ウチらはなにもしないってことでいいんですかね?」

「いや、念のため警らは強化しろってお達しだ。各所の交番にも伝えてあるってよ。聞いてないのか?」

答えた遠山はカップをあおってコーヒーを飲み干すと、その場を離れた。

「だからほとんど人がいないんだ」

静かな部屋の周辺を益野は見渡した。悪質ないたずらの可能性が大いにある。だが、警察としては無為にするわけにはいかない。最低限の措置は講じるべきだ。なので、刑事課長は地域課に協力を求めていたのだった。


 翌朝、七節町にある高架線のトンネル内で男の遺体が見つかった。現場では警察車両が数台停まり、付近にはブルーシートが張られ、無線の声が飛び交っている。刑事や制服警官、鑑識員が出入りするなか、警視庁刑事部鑑識課の係長、芳賀岳彦はがたけひこがしゃがんでその遺体を検めている。芳賀は高齢に近い。目の下やほほには大きなしわが浮いている。しかし、それだけ熟練したプロでもあるのだ。そこへ、グレーのスーツを着た体格のいい短髪の男が白手袋をはめ、規制線を潜ると、靴カバーを履いて芳賀のもとに歩み寄ってきた。一見すると柔道家か空手家のようだが温和な顔つきのこの男は、七節警察署刑事課強行犯係の巡査部長、滝石直也たきいしなおやであった。

「刺殺、ですか?」

屈んで遺体を眺めた滝石が訊ねた。スーツ姿でうつ伏せに倒れた遺体の背中は、ぐっしょりと赤黒い血で濡れていた。滝石と同じグレーのスーツのためか、血痕がより目立って見える。そして、上着には細い穴が数ヶ所見受けられた。ちょうど作業を終えた芳賀が立ち上がって答える。

「ああ。凶器はナイフ状で両刃の物。刃渡り十センチくらいかな。深さからして、すぐ背後から。それで滅多刺しだ」

続けて芳賀は滝石に言った。

「遺体は死後、半日以上は経過してる。今は朝だから、殺されたのは昨日の夜ってとこか」

「被害者の身元は?」

「こっちだ」

芳賀は遺体から数メートル離れた場所に置かれた長机に滝石を案内した。机には矩形で茶色のビジネスバックに黒い財布、スマートフォンなど被害者の遺留品が横並びで置かれている。芳賀は白手袋をはめた手でそのうちのひとつを取り、滝石に渡した。

桑原俊克くわはらとしかつ鐘ヶ宮かねがみや百貨店」

滝石が呟いた。それは顔写真が記載された社員証だった。紐のついたネームホルダーに入っている。

「財布にあった免許証でも確認した。ガイシャ本人でまず間違いないだろう。あと・・・」

芳賀は被害者の財布を手に取って示し、語を継いだ。

「物取りじゃない。現金もカードも残ってた」

「だとしたら、通り魔か、怨恨の線があると?」

滝石の問いに芳賀は眉間を寄せた。

「そこなんだけどなあ・・・」

芳賀は財布を置くと、そのまま一枚のカードを手に持ち、滝石に見せた。その白いカードはサイズや紙質、厚さも名刺と同じだった。カードには黒い印字で横書きにこう記されていた。

≪警察の皆さんがクイズに挑戦しなかったため、予告どおりに人を殺しました。≫

それを読み上げた滝石はハッとした。

「クイズって、まさか・・・」

表情が曇ってきた滝石に芳賀がしらせる。

「ガイシャの右手の下に置かれてた。まるで意味がわからない」

視線が定まっていない様子の滝石に芳賀が続けて訊ねた。

「おい、なんか知ってんのか?」

実のところ、またいたずらであろうとばかり思っていた七節署は、あの殺害予告のメールの一件を本庁に報告していなかった。警戒はしていたつもりだったが、実際に殺人が起きたことで、七節署の怠慢さが露呈する形となってしまった。芳賀が怪訝そうに滝石を見つめていると振動音が鳴った。滝石のスマートフォンだった。電話に出ると、相手は上司の高円寺からであった。

「えっ!?またメールが来たんですか?」

どうやら先ほど、昨日と同様のメールが七節署のホームページにある問い合わせ欄に届いたらしい。この殺人を示唆する文も添えられているという。

「はい。すぐに戻ります」

高円寺の指示にふたつ返事で従った滝石は、電話を切ってスマートフォンを上着にしまうと、芳賀に詳しい話をしないまま黙って一礼をして駆け出していった。

「なんだあいつ」

芳賀は遠ざかる滝石の後ろ姿をただ呆然と見送るしかなかった。


 警視庁は七節警察署に捜査本部を設置し、本庁と七節署の捜査員が合同で捜査を行うこととなった。この事態に七節署は昨日の経緯を本庁に話した。そして、署長と刑事課長は本庁からかなりのお叱りを受けた。近いうちになんらかの懲戒処分が下されるだろう。滝石が捜査本部のある会議室に入ると、まだ準備をしている最中であった。半分は終わっているところだろうか。それにしても通常よりパソコンの数が多いように感じる。見ると、本庁のサイバー犯罪対策課まで来ている。そうか、理由はそういうことかもしれないと悟った滝石が、作業を進める署員たちを後目に室内の端を歩いていると、一番前にある進行席の両脇、そして中央には、スタンド式の大型モニターがそれぞれ一台ずつ設置されている。その進行席でダブルのスーツを身に着け、長い前髪をセンター分けにした魚顔の男が椅子に腰掛け、やや前屈みになりながらデスクトップパソコンの画面を怖い目つきで睨んでいる。係長の警部補、高円寺であった。後ろでは五人ほどの捜査員が同じように画面を立ったまま凝視している。そのなかに、垂らした前髪を少し七三に分け、清潔な印象を与える顔をしたスーツ姿の若い男がいた。警視庁刑事部捜査一課の警部補、諸星学もろぼしまなぶである。滝石は気づかれないよう諸星の背後に回り、肩をポンと二度叩いた。

「あっ、滝石さん」

振り返った諸星は笑みを浮かべた。この署の捜査本部に入ったので、会うであろうことは予測していたが、あまりにも突然だったので内心驚いた。その滝石も穏やかな笑顔で返して言った。

「最後に仕事してから半年ぐらい経ちますか」

「ですね」

諸星がほころんで答えると、滝石は背を向ける高円寺を見て真剣な表情になり、小声で諸星に訊いた。

「またメールが来たと聞きました」

その深刻そうな言い方に諸星も顔つきを変え、声を落とした。

「ええ。メールには被害者の名前や殺害方法などの記述がありました。事件はまだ報道されていませんので、昨日、この署にメールを送った人物と同一で、犯人ではないかと」

高円寺はパソコンの画面をずっと威圧するように睨みを利かせている。

「さっきから係長はなにしてるんですか?」

滝石はそれが気になっていた。よく見ると、画面上は七節署の問い合わせページで、昨日と同じ文面のメールが表示されていた。諸星が話していたとおり、文章が追加されている。本来、問い合わせページのメールは警務課の職員でしか閲覧できない。しかし、この事件が起きてすぐ、警務課は捜査に必須であると判断し、限定的にその問い合わせページを捜査本部のパソコンでも閲覧できるようにしてあったのだ。そういう事情を滝石に説明した諸星は、高円寺の耳に入れさせたくないのか、囁くように言った。

「迷ってるんですよ。張られたアドレスにアクセスすべきかどうか」

そのとき、高円寺が大声で人を呼んだ。

堀切ほりきり君!」

進行席の手前の席で、黒縁の眼鏡をかけた三十代の男がノートパソコンを操作していた。その男、サイバー犯罪対策課の捜査官、堀切わたるがビクッと気づいて顔を上げ、高円寺を見た。近い距離にいるのだから、そんなに声を張り上げなくてもと思いながら堀切は返事をした。

「はい」

「その後の進捗状況は?なにかわかったか?」

堀切はノートパソコンを持って席を立ち、進行席に歩み寄ると、パソコンの画面を高円寺に向けて報告を始めた。

「昨日のメールに張られたアドレスにアクセスしてみました。もちろん、この署のページからではありません。全く別の方法です」

滝石や諸星を含むほかの捜査員たちが注目するなか、堀切は立ったままノートパソコンの後ろから腕を回し、キーボードを二、三度叩くと、あるサイトが画面に表示された。

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