第33話

 文字だけならば影山辺りがせっせと書いたんだろうか、と思うところだが昨日の今日で写真まで用意できるとは思えない。つまり、これらは栞の仕業だろう。写真までもってこいとは言ってねえぞ。


 と、そんなことを思いながら彼女を睨んでみると、やはり飄々とした顔で笑っている。


「どういう意味だ?」


 あくまでも知らない体で影山に返す。

 絢瀬は黒板の文字を見て顔を青ざめさせている。


「いや、黒板見たら分かるでしょ。お前もそこの陰キャ女子と同じで高校デビューだったんだなって。しかもなにあれ、いかにもド陰キャって感じの見た目しちゃってさ」


 ていうか、俺あんまり自分の容姿好きじゃなかったから写真とかあんまり撮らなかったんだけど、栞はどこからあの写真を入手したんだ?


 しかしあれだ、久しぶりに過去の自分の姿をまじまじと見るが、本当にこれでもかというくらいに陰キャ道まっしぐらな姿だな。その上、中身もしっかり陰キャだったんだから笑えてくる。


「あー、まあ、そうだな」


「ンだよそのリアクション。それでいっちょ前にカーストトップ面しやがって」


「別にそんな面はしてなかったと思うけど」


「ていうか、あれは認めるンだな?」


 つり上がった目、つり上がった口角、そのどれもが人を不快にさせるものだった。


 影山の視線を追うと、そこにあるのは黒板に貼り出された俺の中学時代の写真だ。あれ、というのはつまり俺が高校デビューをして今に至っていることを言っているのだろう。


「ああ。あれは俺の中学時代の写真だよ」


「ハッ、認めやがった。自分が冴えねえ陰キャ野郎だってよォ! 髪は長いしボサボサ、目が悪くて度のキツいダサメガネ」


「それに加えてデブと言わざるを得ない体に下手くそな笑顔、とかな」


 影山の代わりに彼が思ってそうなことを言ってやる。

 それが気に食わなかったのか、影山はギリリと歯を鳴らす。


「久しぶりに中学時代の自分を見たけど、確かにいかにもって見た目してるな」


「は、はァ? なに開き直ってンのお前」


 クラスメイトは影山と俺の会話に割り込んではこない。

 彼の勢いに入るタイミングを逃しているのか、それとも割り込むほどのことを思っていないのか。


「別に開き直ってるとかじゃないけど」


「お前みたいな陰キャが陽キャ女子引き連れて学校を楽しんでるのが気に入らねえンだよ! 教室の隅っこで気持ち悪い仲間と気持ち悪い話をしとけばいいッてのに!」


 アニ研コンビの織田と豊臣の方を指差しながら影山は言う。あいつらはあいつらで「間宮氏ぃ~」なんてことを言いながら俺たちのやり取りを見届けている。


「なんだお前、もしかして俺に嫉妬とかしちゃってんのか?」


 ぷぷぷ、とわざとらしく笑ってやる。

 そのばかにしたような態度が影山の怒りをさらに助長させた。


「ンなわけねえだろ! ただ、俺はみんなの意見を代表して言ってやってンだよ! 陰キャが陽キャ面してンじゃねえってなッ!」


 もしかしたら、絢瀬のときもこうして会話の機会があれば今回のようにはなっていなかったのかもしれない。


 そもそも、気にするやつなんか一部の人間だけなんだ。


「いや、でも今の俺は陽キャらしいし? 個人的にはそんなつもりないけど、そう言ったのはお前だったと思うぞ」


 ぐぬぬ、と影山は一瞬だけ怯んだ。


 そんな彼が次に取る行動は手に取るように分かる。自分一人ではどうしようもなくなった影山は数の暴力という喧嘩において最も有効的な手段を取るだろう。


「なァ、みんな! こんな陰キャ野郎、学校にいてもウッザイだけだよなァ?」


 ほらな。

 教室の中の仲間たちに語りかける。


 けれど、そもそも空気が既に変わっている。最初こそ、俺と絢瀬に向けられていたのは明らかに悪意のこもったものだったけれど、それは俺と影山の会話が進んでいくにつれて徐々に薄れていった。


「そんなことない!」


 影山が教室内に問いかけた言葉に誰よりも早く反応したのは楓花だった。


 万が一、他の誰かが影山の言葉に賛同すれば教室内の空気感は再び変わってしまうかもしれなかった。けど、いやだからこそ、それをいち早く感じ取った楓花は誰よりも先に否定したんだ。


 おかげで、影山の言葉に乗っかる声は出てこない。

 ざわ、ざわと各々が近くにいる生徒と言葉を交わす。その際に視線を向けられているのは俺や絢瀬ではなく、影山の方だ。


「確かにさ、俺や絢瀬の過去は誰かに知られたいものじゃないよ。好きじゃなかったからこそ、変わる努力をしたんだから。それを否定されるのは仕方ないし、悪く言われても返す言葉はない」


 俺はまっすぐに影山を見る。


 睨んでいるつもりはない。ただ、どこまでも穏やかな瞳を影山に向けているが、俺は自分の後ろにいる絢瀬に向けてこの言葉を放つ。


「それでもさ、そんな過去を知った上で今の俺を受け入れてくれる友達がいるんだ。そいつらが味方でいてくれる限り、何十何百の非難に負けたりはしない。どれだけ否定されても、そいつらがそんなの関係ないって思わせてくれるから」


 そのときだった。

 教室の隅っこの方にいるであろう瞬の「あっ、おい」という、漏れ出た声が聞こえた気がした。


 その次の瞬間。


「よく言ったぜ、謙也!」


 まるでラグビーのタックルでも決めるかのような勢いで、鉄平が俺の肩に手を回す。どうしてこう体育会系ってのは肩を組みたがるんだよ、と俺はついつい笑いながら思った。


 ほらな。

 やっぱりそうだよ。


「よく言ったよ、謙也くん!」


 わざわざ反対側に回って腕にしがみついてきたのは楓花だ。


「それでこそあたしの相棒だよ!」


 最後に俺の肩に両手を置いてぐいっと馬跳びをするように自分の体を浮かせて飛び乗ってきたのは奈緒だ。


 そもそも力不足ということもあるし、突然のこともあってさすがに耐えられなかった俺はそのまま床に倒れ込む。


「ただ、理由はどうあれ隠し事をしていたことに関しては罰ゲームだ。デコ出せ、デコ!」


「はっ? なに?」


「喰らえ正義の鉄槌、デコピン!」


 ぱちん、とほどほどの勢いのデコピンを喰らう。

 奈緒に続いて、ニヤリと笑う鉄平がデコピンの準備をしていた。準備体操とでも言うように指を動かしてポキポキ鳴らしている。


「二発目ぇ」


 今度はバチンって感じの一発。

 奈緒のに比べると普通に痛い。多分、今頃俺のおでこは赤くなっていることだろう。


「それじゃあ三発目、いいかな?」


「ええっと」


 俺の返事を聞く前に、楓花の三発目が炸裂する。といっても、前二人に比べると全然痛くはなかった。加減してくれたというよりはそもそもの力の差だろう。


 そんな俺たちの様子を悔しそうに見下ろしていた影山の方を改めて見る。


 しかし、俺がなにかを言う前に彼の前へ立ったのは鉄平だ。


「分かったか、大馬鹿野郎。今度、俺のダチのこと悪く言ったらお前にもデコピンくらわすぞ」


「なッ」


 影山は俺が喰らったデコピンを思い出してか、自分のおでこを抑える。


 そして、そのまま数歩下がった。


 いやしかし、この最悪の空気感はどうしたものだろうか。この状況の中に担任がやってきたら何を言われるか分からん。


 だけど心配御無用。こういうときに頼りになるリーダーがこのクラスにはいるのです。


「さ、そういうわけだ。誰が悪いとかそういうのやめて、みんなで仲良くしようぜ」


 パンパン、と手を叩きながら前に出てきたのは瞬だ。まったく、相変わらず良いとこ泥棒だよなあ。けどあれは瞬の人望あって初めてできることだから何も言えない。


「影山も、ちょっと言い過ぎただけだよな。謙也と美園に謝って、終わりにしようぜ」


「……」


 瞬にここまで言わせて、これ以上なにか言おうものなら本当の意味でクラス全員を敵に回すことになるだろう。お前あれだけ言ったのに瞬くんが不問にしてくれるって言ってんだぞ、という視線が影山に刺さっている。


 俺と絢瀬に謝ってきた影山の顔といったら、それこそ写真を取って残しておきたいくらいに面白かった。


「先生が来る前に黒板とか消しておこう。これで誰かが怒られたりしたら面倒だしな」


 瞬の言葉で教室の中はいつもの空気感を取り戻していく。


 これで一安心だろうか、ととりあえず自分の机に荷物を置きに行こうとしたところで制服の裾を掴まれる。何事だと振り返ると、絢瀬が真面目そうな顔で、しかしどうしてか顔を赤くしてこちらを見ていた。


「ありがとうございます」


 そして、そんなことを言ってくるものだから俺は、


「別に。俺はなにもしてないよ。みんなが自分にできることをやっただけだ」


 なんてことを言うしかなかった。

 別に謙遜とかではなくて、本当に助けたとか救ったとか、そういうつもりはない。むしろ、自分の過去をみんなに知らせるいいきっかけだったとさえ思っている。


「それでもです。あなたにちゃんと言いたいんです」


「そっか」


 まあ、そういうなら受け取っておくか。


 これ以上どうこう言ってもキリがないし。


「私も」


 改めて行こうとしたが、絢瀬が言葉を続けるので足を止めてもう一度振り返る。そこで見た光景に俺は思わず目を丸くした。


「どれだけ悪く言う人がいたとしても、あなたのように、自分のことを大切にしてくれる人たちを信じたいと思います」


 そのときの彼女はこれまでのようなぎこちない笑顔でも、取り繕った笑顔でも、もちろん無愛想な顔でもなく、心の底から込み上げてくる笑顔だったから。

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