第32話
高校に入学した当初、当たり障りのないキャラクターでクラスメイトと接していた俺はいつも緊張してばかりだった。
上手くやれるだろうか。
過去がバレたりしないだろうか。
いつかなにかをきっかけに見放されたりしないだろうか。
そんな不安がいつもついて回っていたせいで、笑顔こそ浮かべているものの、きっと俺はその瞬間を楽しいとは思っていなかった。そんなものが本物であるわけがないと分かっていながらも、知らない世界でその場を凌ぐのに必死だった俺はどうすることもできなかった。
だから。
今の友達に出会えたことは本当に奇跡のようなことで、言葉にするのは恥ずかしくて直接伝えるようなことはしないけれど、心の底から楽しいと思える場所をくれたみんなには感謝している。
「ふう」
息を吐く。
俺は今、絢瀬家の前まで来ていた。
あれこれ準備しておいて結局、絢瀬が学校には来ませんでしたじゃ意味がない。俺の過去だって晒し損になってしまう。それはなんというか、さすがに凹むので図々しいとは思いながらも迎えに来てしまった。
インターホンを押すと、中から足音がこちらに向かってくる。
ガチャリ、とドアを開いて顔を出したのは絢瀬母だ。
「あら、ええっと、そう、間宮君」
「あの、美園さんは?」
ちょっと訊くのが怖かった。
ここで部屋から出ていないと言われればほとんど詰んだようなものだったから。けど、訊かないわけにはいかないだろう。そもそも、俺がこの場所を訪れる理由なんて彼女以外にはないのでお察しなわけだし。
「……」
絢瀬母はきゅっと唇を噛んで俯いてしまう。
やっぱり、あれだけでは厳しかっただろうか。けど、俺が切れる手札はあれで全てで、あれでダメならば正直言ってお手上げなんだけど。
不穏な空気に俺は嫌な汗をかいてしまう。
しかし。
「ありがとうね、間宮君」
「へ?」
そのとき、中からもう一つ、足音がこちらに近づいてきた。
「娘を救ってくれて」
「ママ、もう大丈夫だから」
そんなことを言いながら、絢瀬母の後ろから顔を出したのは絢瀬美園だった。クラスメイトと親が会話していることが恥ずかしいのか顔が少し赤い。それが理由ならもう遅いだろ、昨日と一昨日でこれでもかというくらいに会話している。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい、美園。間宮君、美園をよろしくね」
まっすぐな絢瀬母の瞳に応えるように俺は笑ってみせる。
「はい」
娘を救ってくれて、か。
まだなんだよ。これはまだスタートラインに立っただけ。大事なのはこのあとなんだ。一度は家から出てくれたとしても学校の空気感に耐えられなければ彼女は再び引きこもるだろうから。
だから俺はその空気感を壊さないといけない。
あるいは、絢瀬に伝えるんだ。ひとりじゃないということを。
「あなたによろしくされるつもりはありませんが」
恥ずかしさを誤魔化すように絢瀬がいつもどおりを装う。それが強がりなのだとしても、強がれるだけの気持ちがあるのはいいことだ。だから俺もいつもどおりに返すことにしよう。
「お母さんのことをママって呼んじゃう可愛い美園ちゃんに今頃強がられてもなあ」
ぷぷぷ、とわざとらしく笑うと絢瀬はさっき以上に顔を真っ赤にする。
そしてぽかぽかと俺の肩辺りを叩いてくるが、本気ではないのか痛くはない。まるで飼い猫が主人にじゃれついているような。こんなこと言ったら絢瀬は絶対怒るだろうけど。
絢瀬母に見送られ、俺たちは絢瀬家をあとにする。
「あなた、自転車通学でしたっけ?」
歩き出したところで絢瀬が訊いてくる。
「お前の家までそんなに遠くないから、ここまで自転車で来たんだ」
別に寄ってくれ、なんて頼んでいませんが? みたいな感じの言葉が飛んでくると思っていたのだが、
「……ありがとうございます」
と、素直に感謝されたのだから拍子抜けにも程がある。こういうしおらしい態度を取られるとどうにも調子が狂うな。
「よく学校に来ようと思ってくれたな」
変な空気感に耐えられなくて、俺はとりあえず話題を変えることにした。
「あのままでいいとは思っていなかったので」
「また転校とか考えてた?」
「いえ。もともと最初の転校も言い出したのは両親ですから。私があのままでいたならば、またそんな提案はしてきたかもしれませんね」
まあ、親からしても娘の辛そうな姿はいつまでも見たくはないだろうしな。
そんな提案をしたくなるのも無理はない。
「優しい両親だな」
「ええ。私もそう思います」
羨ましい限りだ、と口からこぼれかけて飲み込んだ。
電車に乗り込み、周りに鳴校生が増えてくると絢瀬の様子は徐々に変わっていく。さっきまでは軽口を叩けるくらいに余裕があったが、数が増えると周りから隠れるように俺の後ろに回る。制服の裾を掴む手は僅かに震えていた。
こんな状態にも関わらず家から出てくれたのか。
もしかしたら、こうなるなんて、自分でも想像していなかったかもしれないが。
「大丈夫か?」
大丈夫でないことは明らかなのに、気の利いたセリフ一つ出てこない俺はそう訊くしかなかった。
「え、ええ」
震える声で強がる絢瀬。
そのあとは学校につくまで話はできなかった。絢瀬がそれどころじゃなかったし、それをどうにかできるだけの話題提供力は俺にはなかった。
学校の最寄り駅に到着すると、周囲からの視線がこちらに向いているのがよく分かる。
女子の視線はこれまでと同様に絢瀬に向いているようだけど、男子の視線はどちらかというと俺の方にある。人間というのはどうにも異性よりも同性の方がマイナス感情を抱きやすいらしい。
それだけではない。
時間の経過からか、明らかに俺たちを見る視線は減っている。見た感じ、上級生と下級生はすでに別のものに興味を向けている。彼ら彼女らにとっては名前こそ知っているものの、どこまでいっても他人でしかないからな。
昇降口で靴を履き替え、教室まで向かう。俺たちを知っている生徒が増えてくる分、ひそひそと話す会話の内容も俺たちのものであることが分かる。どれだけ小さくしようと僅かに聞こえるものだ。
教室の前まで到着したところで、俺は改めて小さく深呼吸する。
絢瀬がいる手前、緊張した様子なんて出せないし不安だって表には出せない。
ここまでした以上、もう前に進むしかない。
ええいままよ、と俺はドアに手をかけ、そしてガラガラと開き教室の中に入る。
「おはよ」
俺はいつもと変わらず、誰にでもなく挨拶をする。
いつもならばそこで「うぃーす」的な返事があるのだが今日は一つもない。教室の中にいるクラスメイトからは懐疑的な視線を向けられているのが分かる。
ちら、と教室内を見渡す。
楓花や栞の他に瞬や鉄平、奈緒といった朝練組も今日はすでに教室にいるようだ。
一瞬、瞬と目が合った。何一つ疑っていないまっすぐな瞳だ。とりあえずは傍観しててくれよという感じなんだけど、上手く伝わってくれてるだろうか。
そんな不自然でぎこちない空気の中、俺に話しかけてきたのは影山北斗だ。
「おやおやぁ、もしかして後ろに連れてるのって絢瀬か? なんだよ、陰キャ同士仲良く傷を舐め合おうって登校してきたのか?」
あいも変わらず不快な笑顔で影山は前に出てくる。
黒板を見るとそこには大きく『間宮謙也は高校デビューの元陰キャ』という文字とご丁寧に当時の写真まで用意して貼り出されていた。
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