第31話
伝えるべきことを伝えた俺は栞を連れて絢瀬家をあとにした。
絢瀬母には絢瀬が会話に応じてくれたことは言わなかった。絢瀬の気持ちが少しでも揺らいでくれたならば、きっと自分から部屋から出るだろうから。彼女にとっての第一歩はそこになる。
駅までの道、俺と栞は並んで歩く。
「それで、今日はどうして私を誘ったのかしら?」
「というと?」
栞の素朴な疑問にクエスチョンマークを返す。
「今のところ、特になにか役立ったつもりはないのだけれど。強いて言うのならば、あなたのイメージ増加に貢献したくらいかしら」
「別にそういう目的で連れてきたつもりはないけど」
瞬も言っていたけれど、女子の家に男一人で出向いたところで当人あるいはその家族からの警戒心は拭い切れないだろう。そこにどれだけの正義感や正論があったとしてもだ。しかしあら不思議、そこに女子がいればどうしてかその警戒心を解くのに時間がかからない。
確かに、昨日の楓花に同行を頼んだ大きな理由はそれだし、今日栞を連れてきた理由に全くそれがないと言えば嘘になる。
けれど、今日は楓花ではなく栞であった方が都合がいい理由が別にあった。
「ならなにかしら? 私、知らない間に謙也のこと助けていたのかしら」
「栞に頼みたいことがあるのはこれからだよ」
「なに?」
栞は眉をしかめる。
彼女のこういう顔は珍しい。いつもなにもかもを知ったように澄ました顔でいるから。彼女としても今このタイミングでこんなことを言われるのは予想外なのか。あるいは、それさえも演技である可能性さえあるのだが。
「絢瀬には言うべきことは言っておいた。全部のことが予定通りに進むなら、明日学校に来てくれるかもしれない」
「へえ」
漏らした声に感情はこもっていなかった。
まるで興味なさげに、あくまでも冷静な声色。
「けど、絢瀬を救うためにはあと一つ、やらなきゃいけないことがある」
「それを私に?」
「そういうことだな」
彼女が視線で問いかけてくる。
腹の中は真っ黒のくせして瞳はまるで宝石をそのままはめ込んだように綺麗で澄んでいる。
「俺の過去を晒してくれ」
「……なんのことかしら?」
まるで分からないという感じでとぼける栞だが、彼女が俺の過去を知らないはずがない。
「とぼけても無駄だぞ。どうせ知ってんだろ」
改めて言うと、栞は俺から目を逸らすようにまっすぐ前を向いた。
そして、考えるように間を置いた栞が口を開く。
「軽蔑する?」
「どうして?」
「あなたの知られたくない過去でさえ把握しているのよ」
「俺の知られたくない過去を把握しているにも関わらず、変わらず接してくれていることに感謝はしてる」
いつから知っているのかは分からない。
話すようになって、気を許した頃にはもう知っていたのかもしれない。
瞬だけが知っていた、他の誰かには怖くて話せないでいた過去を知ってもなお、変わらず友達でいてくれた。心の中でどう思っているのかくらいはさすがに分かる。長い時間を一緒に過ごしてきたんだから。
「謙也のくせにカッコつけすぎね」
「栞のくせに素直すぎると思うぞ」
言い合って、どちらからでもなくお互いに笑い出す。
ひとしきり笑ったあとに栞がふうと深呼吸をする。
「それで、本当にいいの?」
「いいって?」
「あなたがこれまでずっと隠そうとして、隠してきた過去よ。それを自ら晒すなんてばかだと思うけど」
「いいんだ。どんな過去だって受け入れてくれる友達がいることを俺は知ってるから。でも、それをまだ分からないでいるやつがいる。俺はそれを伝えたいんだ」
言葉だけじゃ足りない。
そこには納得してもらえるだけの説得力が必要なんだ。
そして、絢瀬美園にそれを見せることができるのは、きっと似た境遇にいる俺だけだ。
「それをさせるために私を連れてきたってこと?」
「まあ、そんなとこ」
「けど、それって別に私じゃなくてもよくないかしら?」
「確かに、別に誰でもいいっちゃいいんだけど。栞が適任だと思った」
部屋の前で話したんだ。ボリュームを落としていてもきっと少しくらい聞こえていただろう。
どうせバレるわけだしそこで知られて問題があるわけではないけど、初耳か否かでは感じることも変わってくる。それに、そこはともかく友達の過去を晒すわけだ、罪悪感がゼロでいられるとは限らない。
誰よりも優しく周りに気を遣う楓花はもちろん、普段はばかにしてくる奈緒だってきっと躊躇いを持つはず。その躊躇いはそのまま言葉や文章に現れてしまう。その僅かな動揺に疑問を持たれては困るのだ。
それに対して、栞はその辺に関しては大丈夫だろうという信頼がある。
彼女が友達思いじゃないということではなく、友達思いだからこそ自分の役割に徹することができるはずだ。
「適任って」
「そういうの、得意だろ?」
俺が冗談めかして言うと、栞は呆れたように息を吐いた。そして、困ったように眉をしかめながら俺の方を見上げてくる。
「まあね」
言いながら、やはり彼女はいたずらに笑うのだった。
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