第30話

 昨日通った道をうろ覚えながらも歩いていく。電車に乗り込み最寄り駅で降りて歩き始めたところまではよかったのだが、やはり何度か道を曲がったところで迷ってしまった。ついに俺が立ち止まったところで栞が呆れたように息を吐く。


「迷ったのね」


「……悔しいが認めるしかないな」


「目的地まで女子をエスコートすらまともにできないなんて、謙也の彼女になる人のことを考えると心配になるわ」


「なにも言い返せねえ」


 やれやれと肩をすくめる栞に、俺がぐぬぬと声を漏らす。

 とはいえ道に迷った以上どうしようもないので楓花に住所を教えてもらうか。出発までは謎の自信に満ちていたのでそんなこと考えすらしていなかった。俺なんて結局なにもできないミジンコ以下の存在なんだよ。ぐすん。


「こっちよ。ついてきなさい」


 スマホを取り出したところで栞が指を差す。


「え、分かんの?」


「私を誰だと思ってるのよ」


「さすがっす」


 知らないことはないんだな。

 なんでも知ってる栞に何でも知ってるんだなと言えば、きっと「なんでもは知らないわ。知ってることだけ」とどこかの誰かの名言だって返ってきてしまうに違いない。少し気になったけれど、今は冗談を言っている場合ではないのでぐっと飲み込む。


「栞は絢瀬の過去のこと、知らなかったんだよな?」


 道中、俺はなんとなくそんなことを訊いてみた。

 俺の数歩前を歩く栞はこちらを振り返ることはせずに、前を向いたまま答える。


「知らなかったわよ。どうして?」


「いや、知っててもおかしくないと思って。お前、そういうのどこからか仕入れてくるだろ」


「ま、確かに人の情報を仕入れることに関しては人よりも長けていると自負しているけれど、さすがに絢瀬さんの過去を知るには時間が短すぎるわ。半年もあればどこかしこから手に入れていた可能性はあるけどね」


「……そっか」


 やっぱりそうか。

 どれだけ隠された情報も、時間があれば見つけてしまえるというのだから実に恐ろしい。どういうルートで手に入れているのか、本当に教えてほしいものだ。


「ここでしょ?」


 そんな話をしていると気づけば絢瀬家の前に到着した。

 昨日と同様に俺は躊躇うことなくインターホンを押す。ああは言ったけど今の絢瀬には俺たちと会う気はないだろうな。昨日はたまたま絢瀬母と遭遇したからよかったものの、そもそも今日はチャンスがあるかさえ分からない。


 インターホンを押して少し経つ。応答がなくもう一度だけ押して無理ならちょっと待ってみるかと思ったそのときだ。


『はい?』


 反応があった。

 しかしそれは絢瀬の声とは少し違うもので、おそらく昨日話した絢瀬母だろう。


「こんにちは。美園さんの友人の間宮と言います。昨日もお伺いさせてもらったんですけど」


『ああ、昨日の。ちょっと待ってね』


 ぷつりとインターホンが切れて、パタパタとドアの方から足音が聞こえてくる。ガチャリと鍵を開ける音のあと、ドアが開かれた。


「いらっしゃい。どうぞ、上がって」


「ありがとうございます」


 俺が言ったあと、後ろにいる栞がぺこりと頭を下げる。そんな彼女の様子を見て、絢瀬母は不思議そうな顔をした。こいつ別の女連れてきてんじゃんとか思われてそうだなあ。


「今日は昨日とは違う女の子を連れてきたのね」


 思われていた。

 リビングに案内してもらう道中にしっかりとツッコまれた。


「ああ、ええ、まあ」


 なんと返すのが正解か分からずに俺は言葉を詰まらせてしまう。

 そのリアクションが逆に妙なリアリティを生んでしまうのだから恐ろしい。面白いのか、栞も特に会話に介入してくる様子はなかった。


 リビングに案内されたところで昨日と同様に絢瀬母は俺と栞の前にお茶の入ったグラスを用意してくれる。


 とりあえずは昨日のあれからの様子などを確認してみたが、特にこれまでと変わったところはなかったらしい。部屋から出てくることはなく、ドアの前から話しかけても応答はなかったそうだ。


 俺たちならともかく親とくらいは会話すればいいだろうに、と思うのはきっと当事者ではないからだろうな。俺がもし絢瀬の立場に立たされていれば、同じように誰に対しても心を閉ざしてしまうかもしれない。


 いや、心を閉ざしているわけではないのか。

 自分の過去を受け入れている親に対して閉ざす理由はない。きっと気持ちの整理をしているだけなんだ。それが終われば部屋から出てくるくらいはできるかもしれない。あるいは、タイミングを失ってしまっているとか。


 いずれにしてもどれだけ考えようとそれは憶測でしかない。


「栞、ちょっとここで待っててくれるか?」


「いいけど。連れてきたわりには扱いが雑いのね」


「ちょっと、絢瀬と二人で話したくて」


 俺がそう言うと、栞は僅かな沈黙を作る。

 もしかしたら、これだけで俺の意図を汲んでしまうかもしれない。


「好きになさい。そもそも、会話が成立するとも限らないけど」


 軽口を叩かないと気が済まないのだろうか。


「サンキュ。ちょっと、美園さんのところに行ってきます」


 絢瀬母に一言断ってから、俺はリビングをあとにした。

 今日は来るまでに絢瀬に連絡をしたりはしなかったけど、起きていればリビングでの会話で訪問自体には気づいているだろう。そして、俺たちが来たということは部屋の前にまで押し寄せてくることだって予想しているはず。


「……」


 俺はすうはあと、一度深く深呼吸をした。

 さてと、ここからが正念場だ。俺が組み立ててきた考えが上手くいくかどうかはここに懸かっている。ここで絢瀬に言葉が届かなければ次に進めないのだ。


 ゆっくりと、コンコンとノックをした。


 しかし、やはり中からの反応はない。


「返事はしなくていいよ。けど、ちょっとだけ話を聞いてほしいんだ」


 返事はなくてもいい。俺の言葉を彼女が聞いてくれていると信じて、彼女の心に届くと信じて俺は話すだけだ。唇を湿らせて、どう話したものかと言葉を舌の上で転がせる。


「ある中学校に、アニメや漫画が大好きな少年がいたんだ。そいつは人と話すのが得意じゃなくて、お世辞にも友達が多いタイプじゃなかったけど、それでも話の合う奴らと他愛ない話をして、大好きな漫画に囲まれての生活は楽しかったらしい。けど」


 俺は一度言葉を切って、一度呼吸を整える。


「カラフルな世界に浸れば浸るほど、自分の世界の色のなさを実感していったその少年は、いつしかそのカラフルな世界に生きるキャラクターたちのようなキラキラと輝く日々に憧れるようになった」


 そのときだ。

 微かにだけど、部屋の中でなにかが動く気配がしたような気がした。


 気になったけれど、俺は構わず話を続けることにした。


「中学を卒業した少年は高校入学に合わせて自分を変えることを決意した。容姿を整え、コミュ力を磨き、おしゃれも勉強して、あらゆる努力を怠らなかった。春休みの時間すべてを費やして自分を変えた少年は見事、高校デビューに成功した。仲のいい友達ができて、楽しい日々が毎日続いている。その少年は、夢見ていたキラキラした日々を手に入れることができたんだよ」


 けど、と俺はさらに言葉を紡ぐ。


「内心、不安でいっぱいだった。その少年は過去の自分を隠していたからだ。もしも変わる前の自分を知られたら、そう思うと心臓は激しく脈打ち、視界がチカチカした。そんな不安を振り払って、偽りの仮面を被って夢見た時間を過ごす日々に罪悪感を覚えることもあった。それでも今の自分の世界が好きで、少年は過去を隠し続けた」


 そこまで話し終えて、俺はふうと息を吐いた。


 そのときだ。


「それで」


 部屋の中から、微かに声がした。

 ドア越しで、それも久しぶりに声を発したのか弱々しくか細いものだったが、確かに絢瀬美園は声を発した。


「それは誰のことなんですか?」


 ドクン、ドクンと心臓が激しく動く。


 動揺するな。緊張するな。あくまでも冷静に、平然を装え。


「お察しの通りだと思うけど」


「分かりません」


 今にも消えてしまいそうな声だった。

 けれど、俺にはその声が助けを求めているように聞こえる。


「間宮謙也って男の話だ」


 俺がそう言うと、再び沈黙が起こる。


 さっきまでは返事なんてあるはずがないと思っていただけに、勝手に一人で話し続けていたけれど、一度返事があった今はそういうわけにもいかない。俺は沈黙を破ることなく、絢瀬の言葉を待つことにした。


 とりあえず、声量は抑えて下には聞こえないように気をつけた。


 いい兆候だと思う。これを絢瀬母が知れば涙を流すかもしれない。なにせ、数日間部屋に引きこもり会話一つ成立しなかった娘がクラスメイトの話に応じているのだから。けど、今はまだ知らせないことにした。


 何となく、絢瀬がそれを望んでいないような気がしたから。


「……信じられませんね」


 時間にすれば僅かなものだったろうけど、体感では随分と長い間待たされて、ようやく絢瀬はぽつりと一言だけ漏らした。


「けど、事実だよ。俺もお前と同じなんだ。本当の自分を、過去の自分を隠してみんなと接してる。いつかバレるんじゃないか、バレたらこの時間が終わってしまうんじゃないかって震える夜もある。そんな中、お前のこんな事件が起こったんだ」


 俺はそっとドアに触れる。


「お前の気持ちは痛いほど分かるなんて、簡単には言わない。いくら似た境遇にいたとしても、俺とお前は似ているだけで一緒じゃないから。過去に友達に裏切られた上、再びその悪夢に直面してる絢瀬の気持ちは俺には分からないよ」


「……」


 不安そうな息遣いだけが部屋の中から聞こえてくる。

 言葉はない。けど、その沈黙は俺の言葉の続きを待っているように思えた。


「けどさ、分かってることもあるつもりだ」


 瞬は大事なのは過去じゃなくて今だということを伝えたいと言っていた。

 それが間違っているとは思わないけど、ちょっとしっくりこないんだ。それはきっと絢瀬も同じで、だから伝えるべきことはそうではなくて。


「俺の過去のことを知った友達が、過去なんて関係ない、大事なのは今だって言ってくれた。それは確かに俺の心を楽にしてくれたけど、不安を取り除いてはくれなかった。俺たちにとって過去は、陰キャだった事実はなかったことにはできないんだよな。それはいつまでもずっと背負っていくべきものだ。けどさ、それでも笑って生きてたら、過去も今も全部引っくるめて受け入れてくれる人だって現れると思うんだ」


「それは綺麗事で、理想論で、夢物語でしかありません。今の私に居場所はないんです。みんなが私をおかしい人を見るような目で見てくる。それが耐えられないんです」


「それでも、絶対に裏切らない仲間がいたら乗り越えられるだろ」


 俺の言葉に、絢瀬は躊躇うような間を置く。


「そうですね。いれば、の話ですが」


 やはり。

 言葉だけでは伝わらない。


 だから俺にはまだやるべきことがある。それを絢瀬には見てもらわないといけない。


「それを証明するよ。絶対に揺るがない絆があるってことを。だから、明日学校に来てくれ。今日は、それを伝えに来たんだ」


「……」


 返事はない。

 あとは絢瀬を信じるだけだ。


 絢瀬だけじゃない。瞬も、楓花も、鉄平も奈緒も、栞も、みんなを信じなきゃ今回の問題は解決できない。



「それじゃあ、また明日」

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