第四章 美しき花園
第26話
人間は良くも悪くも空気を読んでしまう生き物だ。
空気を読む人間だけによって心地よい空間が生成され、空気を読まない人間は悪とし淘汰されてしまう。そうやって同調圧力をかけられ、それに耐えられなくなった人間は自分の意志すら捻じ曲げてその場の空気に染まってしまう。
空気を読むことによって。
自らの姿を偽り生活していた絢瀬美園は悪とされている。
男子に対して言えば、勝手に幻想を抱き、勝手に幻滅しただけであり絢瀬美園が悪いところなんて別に一つもない。変わろうと決意し、努力を重ねた彼女を称賛することはあってもそれを悪く言う筋合いなど万に一つもない。しかし、そういう意見を持った人間が多数存在する以上、そういう空気が出来上がり、それに感化され思考を上書きされてしまう。
女子は女子でそもそも美しい容姿を持った絢瀬美園を妬んでいた。ただでさえマイナス的感情を抱いていたのに、その妬んでいた相手の過去が自分にも劣る容姿であればさらに攻撃的にもなるだろう。努力によって絢瀬美園が美しさを手に入れたのだとするのならば、つまり自らの怠慢が浮き彫りになってしまうから。絢瀬美園の今を認めてしまえば、それを肯定することになる。だからそんなことはできずにひたすらに絢瀬美園を叩く。その数が多いせいで、これもまたそういう空気が出来上がっている。
つまり。
現在、学校の中に蔓延している空気を変えることは非常に難しい。まして、一人ひとりを説得したところで結局のところ全体の空気感に再び影響されてしまうだけだ。
まず最初にそれを試した空野瞬の試みは失敗に終わった。
瞬にできなかったことを俺にできるとは思えない。影響力に限った話ではないが、俺が瞬に勝っている点などごくわずかしかなく、そういうリア充的スキルにおいては完敗も完敗、比べるまでもないほどだ。
では俺が瞬に勝っている点はなにか。
空野瞬になくて、間宮謙也にあるもの。
瞬にできなかったことを俺がやろうとするならば、そこで勝負しなければならないだろう。
「土日を挟めば少しはマシになってるかとも思ったけど、相変わらずみたいだな」
週明け。
いつもより少しだけ早い時間に登校してきたのは、万一にも絢瀬が登校してきた場合に教室に一人でも味方が多い方がいいだろうと思ったからだ。
しかし、やはりというかなんというか、もちろん絢瀬は登校していなかったし、教室内の空気は相変わらずだった。どころか、時間の経過と共に絢瀬に対する感情はさらにドロドロと黒くなっていた。
「人って暇な時間があると考え事をしてしまう生き物なのよね」
俺の隣で難しい顔をしてつぶやくのは栞だ。
彼女もどちらかというと普段はゆっくりめの登校をしてくるが今日に限っては少し早めだ。特にその辺に触れてはいないけれど、理由は俺と似たような感じなのだろう。
「それってどういう意味?」
首を傾げるのは楓花だ。
「例えば、落ち込んでいるときに一人でじいっとしているとネガティブな考えが次々に浮かんでくることってない?」
「ある」
即答だった。
そうやって負の連鎖が起こっていくんだよな。俺だって中学時代はそういう悪循環を何度も経験したものだ。今でこそ表には出さないようにしているけれど、多分根っこの部分は変わらずネガティブ寄りだ。
「それと似たようなものよ。時間があれば頭の中で勝手にイメージというのは膨れ上がってしまうの。その上、今回は掲示板に書かれたせいでその事実を知る人が増えてしまったのも良くなかったわ」
「どうすればいいのかな」
「さあ。少なくとも、私にできることは今のところ思いつかないわね」
どこか冷たい物言いではあったけれど、栞はいつだって冷静だ。きっといろいろ考えた上でその結論を出したのだろうし、ちゃんと今はと言っているので、自分にできることがあるならばその役割を果たそうとするはず。
「どこかの誰かさんはなにかしようとしているようだけど」
言って、栞は俺の方をちらと見てくる。
「ソースは?」
「私」
「説明になってないんだよなあ」
本当にどこかしこから情報を得た可能性もあれば、そもそもカマをかけて情報を得ることだってあるから、今回のこれだって本当のところどっちかなんて分からない。後者であるならば、俺はまんまと栞の思惑に乗せられたことになるが。そもそもを言えば、絢瀬の為に動くと言っただけで、まだ考えがまとまったことは誰にも伝えてないからそもそも漏れるはずもない。
「冗談よ。瞬が動いて、それがダメだったときに誰かが動くとしたら、それは謙也でしょ」
「また根拠のないこと言いやがって」
「残念。これには根拠がちゃんとあるのよね」
「というと?」
訊いてみると、栞はくすりとおかしそうに笑う。
「あなたってそういう人でしょ?」
「買いかぶりだと思うよ。結局、誰かに言われないと俺は動かなかったわけだし」
事実そうである。
実際のところ、瞬からの電話がなければ動いていたかは分からない。確かになにかできることはないかと考えたことはあった。けれど、瞬のように率先して動くだけの行動力はないのだ。困っている人が目の前にいても一歩踏み出す力はない。とどのつまり、誰かに背中を押されないと俺はなにもできないのだ。
「そんなことないよ」
そう言ったのは楓花だ。
彼女の方を見ると、ぺかーっと満面の笑みを浮かべている。
「それでも結果的には謙也くんはちゃんと動き出したんでしょ? だったら、それはすごいことだよ」
「……そうかな」
俺は卑屈に呟いた。俺はみんなが思っているような人間じゃないんだけど。
そんな意味を込めていてもみんなは知る由もないし、そもそもこういうときの楓花には全然通用しないんだよな。
「わたしにもなにかできることがあったら言ってね。なんでもするから」
「本当か?」
俺の返事が意外だったのか、楓花は一瞬きょとんとした顔をするが、すぐにこくこくと頷いて見せた。
「それじゃあ、一つ頼んでもいいか?」
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