第25話

 その日の夜。


 放課後にバイトにやってきていた俺は週末の忙しいラッシュを捌き切り、ようやく一息ついていた。店長から上がってもいいという許可を得たところで更衣室に戻ってスマホを手にする。


 週末は忙しくて疲れるので、終わってから少しダラダラして帰るのが恒例である。適当にスマホをいじろうと思っていたのだが、瞬から着信が入っていたことに気づく。


 折返しの電話を入れると二コール目で通話が開始された。


「もしもし?」


『忙しかったか?』


「いや、今は大丈夫。バイトだったんだ」


『悪いな。疲れてるところに』


「全然。それで?」


 瞬からこうして電話がかかってくるのは珍しい。

 楓花なんかは暇つぶし程度に電話をしてくるし、奈緒は面白い動画をシェアしてきたりするが瞬は用事もないのに連絡を取ってきたりはしない。けど、それが別に仲の良さに直結するとは思っていない。


 男子ってそういうもんでしょ。知らんけど。

 そして、だからこそ、訊きはしたものの瞬の要件はおおよそ想像ができていた。


『美園のことなんだけど』


「うん」


 やはりそうだった。

 今日、部活の終わりに奈緒と二人で絢瀬の家に行っていたはずだ。いい方向であれ悪い方向であれ、どちらかに向かったのであれば報告してくれるだろうと思っていた。どちらにも転ばずという可能性もあるけれど、それでも成果ゼロとはならないので結局連絡がくれていたに違いない。


『インターホンを押してみたんだけど返事がなかった。家の人もいなかったみたいで。一応、奈緒に電話をしてもらったり、メッセージを送ってもらったりしたんだけど』


 反応がなかった、というところだろうか。

 そう思ったけど、瞬から届いたのは予想とは異なるものだった。


『少し待っていると、奈緒のラインに返事があった。今は誰とも会いたくない、ってね』


「そっか」


 そうはっきりと拒絶されるとさすがにどうしようもなかったのだろう。会えないまま、話せないまま二人は帰らざるを得なかった。しかし、やはり成果がゼロというわけではない。今の絢瀬に誰かと会う気がないというのが分かったわけだし。


 まあ、分かったところでなにができるでもないのだが。


『けど、実を言うとちょっとだけほっとした自分がいた』


「んん?」


 そのとき漏れた瞬の声色はいつもとは違い弱々しいものだった。


『正直言って、どうしようかと思ってたんだ。会ったところで俺にできるのは結局聞こえのいい中身のない説得だけだ。彼女の心を軽くする言葉なんてかけられない』


「そんなことないと思うけど」


 瞬は空気が読める男だ。楓花が誰よりも空気の読める女子であるとするなら、間違いなく瞬は誰よりも空気の読める男子である。それ故にみんなの懐に上手く入り込むし、みんなからの信頼を得ている。


『いや、そんなことあるさ。俺の言葉には中身がない』


「中身?」


『例えば俺が腕を骨折して野球を続けるのが難しくなったとする。そのとき、野球部の誰かになにを言われてもこう思うよ。お前になにが分かるってさ。それと同じで、俺がなにを言っても彼女の心には響かないんだ』


 だとしても。


 それを分かっていてもなお。


 空野瞬は動くことをやめなかった。


 あるいは、動かざるを得なかったのか。


「そっか。それも、そうなのかもしれないな」


 だとするならば、もはや瞬にできることはなにもなくて。

 けれど、彼の中には絢瀬を救いたいという気持ちは残っている。


『謙也』


 短く。

 瞬は俺の名前を呼ぶ。


「……ああ」


 俺は応える。

 彼の言葉を促すように。


『俺にはもうどうすることもできない。けど、やっぱりこのままなのは嫌なんだ。俺はこれからもみんなで仲良く毎日を過ごしたいと思ってる』


 弱々しい瞬の声を聞いたとき、俺の脳裏に蘇ったのは一年生のときの記憶だ。


 瞬は皆の英雄である。だから人前で弱音を吐いたりしないし、誰かに助けを求めることもない。困っていてもなんとかするし、ピンチに陥っても何でもない顔をして乗り切ってみせるのだ。

 けれど、たった一度だけ。

 瞬は俺に頭を下げたことがあった。

 思い返すと、あのときも自分のためというよりは誰かのためだったな。

 野球部の先輩が出場する最後の大会。不運にも部員の怪我によって棄権を余儀なくされた鳴校野球部。それではこれまで頑張ってきた先輩が報われないと、瞬が頼ってきたのが俺だった。


 別に中学時代に野球部だったわけじゃない。ただ野球漫画に影響されて一時期練習していただけの素人だ。それでもいいと瞬は俺に頭を下げた。そこまでされて断るようじゃ友達失格だ。どれだけ力になれるかは分からないが俺は全力で彼のお願いに応えた。


『無責任なことを言ってもいいか?』


「なんだ?」


 俺が言うと、瞬は少しだけ間を置く。そして、意を決したように短く端的に自らの思いを吐き出した。


『頼む。美園を救ってあげてくれ』


 誰かのために真剣になれる瞬の頼みだからこそ、俺はそれを断るわけにはいかない。


 俺だって瞬のそれに助けられてきた。俺が今、こうして楽しい毎日を過ごせているのは瞬がいてくれたからだ。


 だから、瞬にできないことがあって、もしそれが俺にできることならば力になりたいと思う。


 それに瞬のためだけじゃない。


 絢瀬のためにも


 もちろん、俺自身のためにも、だ。


「俺になにができるかは分からないけど……できるだけのことはやってみるよ」


 俺は極めて明るい声色で答えた。

 それを聞いた瞬は『ありがとう』と小さく言ってから電話を切った。

 ホーム画面に戻ったスマホのディスプレイを見ながら小さく息を吐く。


 あんなことを言ったはいいけど、どうしたものか。


 と、途方に暮れているとゆっくりと休憩室のドアが開かれた。


「もう入ってもいいのかな?」


 そう言いながら顔を覗かせたのは桜先輩だ。

 いつもはにやにやと楽しそうに近づいてくる彼女だが、今日はそういう感じはない。


「あ、はい。待たせちゃいました?」


「まあね。でも真面目そうな話してる声聞こえてきたからこれは邪魔しないほうがいいかなと思って」


 桜先輩は俺の向かいの席に腰掛ける。


「そう言いながら、ドアの向こう側で聞いてたんでしょ?」


「いやいや、お姉さんそんなことしないよ」


 どうだろう。

 この人は平気で人の話に聞き耳立ててくるしなあ。


「だって、そんなことしたらきみの口から聞く楽しみがなくなるじゃない」


 言って、桜先輩はにこりと笑う。

 そんなことを言われると返す言葉がない。


 変なところで律儀というか真面目というか、やはりこの人には敵わないと思わされる。


「それで? 話してくれるのかな?」


 笑みを浮かべながら言う彼女に、俺は一つ一つこれまでの出来事を改めて話していく。


 絢瀬美園と間宮謙也の関係について。

 バーベキューで起こったことを。

 絢瀬美園の過去がバレたことで学校に来れていないこと。

 その状況を変えようとしているが上手くいっていないこと。


 自分の考えをまとめるように、俺は改めて一から説明していった。


 その間、いつもならば適当な冷やかしを入れてくるところだが、本当に大事な話のときは茶化すことはせずに最後まで真剣に聞いてくれる。うん、うんと短い相づちを挟みながら俺の話の邪魔は決してしない。


 瞬がいろいろと動いたもののどうにもならず、俺にお願いしてきたところまで話したところで、桜先輩はなるほどねと呟いた。


「きみの友だちはかしこいね」


「急になにを」


 先程までは真面目な表情でうんうんと頷いていたのだが、話を聞き終えた桜先輩はどこか楽しげな表情に戻る。くくっと笑いながら言う彼女に、俺はそんな言葉を返す。


「確かにきみの友だちの言うことは尤もだ。痛みを知らない人間には本当の痛みは理解できない。そして、痛みを理解できない相手の言葉じゃ心の奥のところまでは届かない」


「はあ」


 瞬が言っていたことか。


「その点で言えば、きみは他の人たちとは違うよね?」


「……」


 桜先輩の言わんとしていることは分かる。

 俺と絢瀬美園は似ている。それこそ、同じ道をたどっていたと言ってもいい。きらきらした青春に憧れて、自らを変えて新たな舞台に臨んだのだ。


「きみの友だちの考えは正しい。今回の一件、彼女と似た境遇にいて、似た思考を持つきみだからこそできることがあると思うな。彼女を救えるのは他の誰でもない、きみ自身さ。ううん、違うか。もしかしたらきみじゃない誰かでも救うことはできるのかもしれない。時間が解決してくれることだってある。けど、きみには彼女を救う力がある。それは確かだよ」


「俺だからこそ、できること」


 そんなもの本当にあるのだろうか。


 もう少し話せばなにか分かるかもしれないと思ったけれど、桜先輩はそれ以上の話をしてくれなかった。いつもそうだ。俺が知りたがっていることは言葉にはしない。まるで甘えるなとでも言われているようだ。


 けれど、この厳しさはきっと彼女の優しさで。


 俺が考えて辿り着いた答えだからこそ意味があるのだと、桜明日菜はそれを教えてくれているのだ。


 だから俺は考える。


 家に帰る道中も、風呂に入っている間も、寝る前でさえ、思考を巡らせる。


 そうして少しずつ、俺は自分の中の考えを形にしていく。


「……これしかない、よな」


 辿り着いた一つの答え。

 確かにこれは俺にしかできないことかもしれないけれど。


 実行するにはそれなりの覚悟と勇気が必要になる。それこそ、今俺が立っている居場所を捨てるくらいの気持ちがないと一歩踏み出すことはできないだろう。


 どうしたものか。



 考えていると、いつの間にかまどろみの中に潜り込んでいた。

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