第15話
「ふう」
金曜日の放課後。
俺は学校終わりにバイトに勤しんでいた。金曜日の晩は翌日から休みということで大盛りあがりな学生がわんさか訪れる。その他にも家族連れもいたりして夕食時は中々に忙しい。
ピークを超えたところで俺はようやく解放された。着替えてさっさと帰りたいところだけどそこそこ疲れたので一度座って休憩することにした。
休憩室でぼうっとしていると俺の前にグラスに入ったカフェオレが置かれた。
「君はカフェオレだよね?」
「あ、はい。どうも」
見上げるとブラックコーヒーを手にした桜先輩がいた。彼女は俺の向かいに腰掛けて、コーヒーをぐびっと飲んでからぷはーっと美味しそうな声を漏らす。よほどのどが渇いていたのかコーヒーは半分くらいなくなっていた。
俺も彼女に習ってカフェオレを口にする。
「もう上がりですか?」
「そーだよー。これ以上働くのはさすがのお姉さんもしんどいかな」
まあ、今日はどうしてかいつにも増して忙しかったからな。普段からあまり疲れや不満を表に出したりしない桜先輩が冗談でもこういうことを言うのは珍しい。
「また明日も仕事かと思うと憂鬱だ」
「桜先輩ほぼ毎日入ってません?」
「そんなことないよ。適度に休んでる」
そうだろうか、と俺は今月を思い返す。
俺がシフトに入っている日は高確率でシフトに入ってるな。高確率というか、もう確実にだ。意図的に合わせにきているはずもないし、それだけ彼女がシフトに入っているということだろう。
「なにか欲しいものでもあるんですか?」
「どうして?」
「働き者だから」
俺が言うと、彼女はんんーっと唸る。
言われてパッと出てこないところ、欲しい物があるわけでもないのだろうか。
「別に、特別これっていうのはないよ。欲しい服とかはあるけどね」
「ならどうしてそんなに働くんですか?」
「暇を持て余してるから」
スマホをいじりながら桜先輩はつまらなさそうに言った。
いつも楽しそうに話す先輩にしては珍しい表情だと思い、俺はそれ以上この会話を続けるのをやめた。
「私のことより、君の話を聞かせてよ」
「俺の、ですか?」
オウム返しすると、さっきの表情はどこかへ吹き飛ばされニコリと笑っている。いつもの先輩の顔だと、俺はふと安心してしまう。
「例えばほら、この前言ってた女の子の話とか」
以前、絢瀬について相談というほどでもない雑談をした。
正直言って『許してもらったけどその後パンツ覗いてしまってまた不仲になった』なんて話はしたくない。絶対笑われるし。けど、聞いてもらった以上、進展があれば報告するべきだろうとも思う。俺にはその責任がある。彼女には聞く権利がある。
ということで俺が渋々最近の出来事を話すと、
「あはははははははははははははっ」
予想通りに、いや予想以上に笑われた。
しばらく笑った桜先輩はひぃひぃ言いながら息を整えて目からこぼれそうになっている涙を指で拭ってから俺の方を向き直る。
「君は本当に話題に事を欠かさないね」
「褒められてる気がしない」
「褒めてるよ。誇ってくれてもいい」
落ち着こうとしてか、桜先輩は一度コーヒーを口にした。
ふうっと息を吐いて再び顔を上げる。
「けど、あれなんだね。やっぱり別に君のことを嫌ってるわけじゃなかったんだ」
「つまらねえって思ってます?」
「いや全然」
「ならもうちょっと表情隠そうか」
ちぇーって感じの顔してますよ。
「冗談はさておき」
あはは、と誤魔化すように笑って桜先輩は仕切り直す。
「結局また避けられてるの?」
「ええ、まあ」
パンツを覗いて蹴られたのが二日前。昨日一応話しかけるタイミングを伺っていたけど明らかに避けられていたので諦めた。さすがにあれほど露骨に態度に出されるとアプローチを仕掛けるのは難しいだろう。
時間が解決してくれるような問題でないことは分かっているけど、せめてあからさまに避けるような態度だけでもなくなればと思う。
もちろん今日も話すことはできなかった。
奈緒から事情を聞いた楓花や瞬もなんとかしようと頑張ってはくれているけど、あまりしつこくしすぎると逆効果になりかねない。それは彼女らも分かっているようで今日に関してはほとんど別行動だった。
「なにかいい方法ありますか?」
「彼女と仲良くなる方法ってこと?」
「はい」
「話を聞いてると、根本から君のことを嫌っているわけじゃなくて、どちらかというと接し方が分からなくて困惑しているって感じなのかな」
「そうであると信じたいですね」
なら簡単だよ、と桜先輩は明るい口調で言う。
「なんですか?」
「胸を触らず、パンツを覗かなければいい」
「んなもん分かってんだよ」
ふざけた回答についつい敬語が抜けてしまった。
俺のツッコミを聞いて桜先輩はまたしても楽しそうにケタケタと笑う。
「冗談だよ」
「冗談が多いんですよ」
「お詫びにちゃんとアドバイスしてあげる」
こほん、と小さく咳払いをして見せた桜先輩の言葉に俺は耳を傾ける。
「マイナスの感情ってね、プラスの感情で上書きできるんだよ。もちろん逆もまた然りなんだけど。特に怒りなんて楽しい記憶ですぐに消えちゃうんだ」
「そういうもんですか?」
「うん。思い返してみると、君にもそういうことがあったと思うよ」
どうだろうか、と俺は少し過去を振り返ってみる。
そもそも友達が全然いなかった俺は誰かに対して怒りの感情を抱くことすらなかったので参考にならなかった。けど、学校であった出来事にイライラしていたけど、家に帰ってアニメを観たらどうでもよくなったことはある。つまり、それと似たようなものということか?
「今はその子も君に対して怒りに似た感情を抱いているけれど、例えば楽しい時間を共に過ごせばこれまでのことなんてばかばかしく思えるんじゃないかな?」
なるほど、と俺はつぶやく。
桜先輩の言っていることの全てが間違いだとは思わない。
確かにそういう手段を用いることができれば解決に繋がるかもしれない。
しかし問題がある。
「どうやって楽しい時間を共に過ごせばいいんですかね?」
「さあ。それは自分で考えなよ」
「無責任な」
そのときだ。
ヴヴヴ、と机に置いてあったスマホが震える。
俺は突然着信音が鳴るのが嫌いでスマホは常にマナーモードにしている。けど最近、急にバイブの音がするのも驚くのでバイブさえ消してやろうか真剣に悩んでいる。でもそれだと着信や連絡に気づかないのでそれはそれで厄介だということで渋々そのままなのだ。
「なになに、彼女さんからのデートのお誘いかな?」
「彼女なんていませんよ」
興味津々な様子でスマホを覗き見ようとしてくる桜先輩から隠すように俺はスマホを持つ。
「なら、女友達からのデートのお誘いかな?」
「そんなわけないでしょ」
言いながら、俺はスマホをいじる。
瞬間、一瞬の隙をついて桜先輩が俺の手からスマホを奪い取った。ちょうどメッセージを見る画面だったのでロックもなにもない。この人、他人のプライベートを覗くことに微塵の躊躇いを持ってねえ。
「……」
画面を見た桜先輩がこっちを向いてニタリと笑う。
「なんですか?」
「やっぱり」
言いながら、スマホをこちらに向ける。
「デートのお誘いじゃん」
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