第14話


 奈緒の言う通り、あまり考え込むのもよくはない。


 体を動かせば解決するというのは実に奈緒らしい考え方ではある。俺は根っからの体育会系というわけではないけど、運動が嫌いなわけではないので、極々たまにそういう気分になることはあるのだ。


「謙也、一〇〇キロでいいのか?」


「ああ、これくらいなら大丈夫だと思う」


 最近バッティングセンターには来ていなかったから打てるかは分からないけど、目の前で奈緒に九〇キロの球をバコバコ打たれた後にそこに入るのはちょっとプライドが許してくれない。八〇キロに入るなんてもってのほかだ。


 ガシャン、という音の後にピッチングモーションが始まりボールが放たれる。俺は狙いを定めてバットを振った。


 ブンッ!


 しかし空振り。

 どうやら思っていたよりも打てなくなっているらしい。


 二球目、三球目と続く。

 カツン、カツンとボールがバットに当たり始めている。どうやら少しずつ勘を取り戻しているようだ。最後の方は奈緒と同様にいい当たりを出すことができた。


「結構当たってたな」


 すべてのボールを打ち終えて二人のところへ戻ると鉄平が感心したように言ってきた。


「野球やってたのか?」


「まあ、嗜む程度だけどな。バスケ漫画読んだらむしょうにバスケやりたくなることあるだろ?」


 俺が言うと鉄平は合点がいったように頷いた。


 中学のとき、とある野球漫画にハマった俺はバッティングセンターでひたすら練習したし、キャッチボールをする相手はいなかったから壁に向けてボールを投げたりもした。高校に入学したときに野球部に入る道もあったけど、それは少し違うような気がしてやめた。


 もしあのときに野球部に入る選択をしていれば、違う形で瞬と出会い、きっと今と変わらないくらいに仲良くなっていただろう。とはいえ、まさか別の形で野球部と関わることになるとは思わなかったが。


 さすがに当時ほどに熱中しているわけではないが、適度な運動は続けたいので素振りくらいはすることがある。しかし、バッティングセンターに来るのは久しぶりだったので球を打つというのはやはり楽しいものだと実感する。


「間宮って運動できるの?」


「人並みにはできる、と思ってる」


「謙也は帰宅部のくせに体育はそれなりの結果出すから気に食わねえんだよ」


「それなりなんだからいいだろ。スペシャリストには負けるんだし。バスケでお前に勝てたことだってないだろ?」


「あったら俺はバスケ部を引退してるね。それか無理やりにでもお前を入部させてやる」


 体育の授業は嫌いではない。

 そもそも、オタクや陰キャという存在からイメージするほど運動自体が嫌苦手ではないのだ。野球やバスケはもちろん柔道や持久走だってやってみれば面白さはある。ただどれも極めるほどに好きなわけではないので部活に入るには至らない。


「へえ。じゃあ今度スポッチャ行こうよ。あたしも間宮が動いてるとこ見てみたい」


 基本的に男子と女子の体育は場所がかぶらない。男子がグラウンドならば女子は体育館のようにズラされている。もちろん必ずというわけではないので、たまにある同じ場所での授業では男子がいつもより気合いを入れる。


「まあ、いいけど。次の休みはいつなんだろうな。ブラック部活は」


「土日は午前だけとかたまにあるんですけど?」


 それってつまり休みはないってことなんですけど?

 その考え方がもうすでにブラック環境に毒された人間の思考なんだよなあ。


「じゃあ気が向いたら誘ってくれ。俺は基本フリーだから」


「言ったよ? 誘ったら絶対来てもらうから」


 そんな話をしたあと、今度は鉄平が中に入ってバットを持つ。ブンブンと素振りを数回してからコインを入れる。運動神経は申し分ないが、果たしてバッティングの腕はいかがなものか。


「ところでさ、間宮」


 空振りやファール、ゴロを連続する鉄平のプレイを見ていると奈緒が口を開く。

 なんだろう、と奈緒の方に顔を向ける。


「美園のことだけど」


「ああ」


 返事をして、再び鉄平の方に視線を戻す。

 話している彼女の横顔が真剣なものだったので、それをまじまじ眺めるのもどうかと思ったのだ。


「わかってると思うけど、別に間宮のこと嫌いなわけじゃないと思うよ」


「それは、そうなんだろうけど」


 これまでならば、そんなことないだろと返していたけど、今日の彼女とのやり取りを思い出すと否定するのも違うように思う。


「多分、接し方がわからないんだろうね。いきなり胸触られた相手となにもなかったように話すなんて難しいよきっと。あたしだってさすがに動揺する」


「……」


「なんだその冗談だろ何言ってんだよっていう顔は」


「してないしてない」


「あたしだって一応女子だってこと忘れんなよ」


「分かってるよ」


 話が脱線しそうだったので戻す。


「どうしたらいいかね?」


 タイミングなんだとは思う。

 ただ避けられるとどうしてもその機会が減ってしまうのだ。


「誠意を伝えるしかないっしょ」


「どうやって?」


「さあね。言葉で上手く伝えられないのなら行動で、じゃない?」


「やっぱ奈緒は体育会系の熱血少女だな」


「褒め言葉として受け取っておいてやる」


「褒め言葉だよ」


 ちょうど鉄平の番が終わりこちらへと戻ってくる。それと入れ替わるように、これで話はおしまいだというように立ち上がった奈緒が入っていく。


「俺ももっかいくらいやっとくかな」


 せっかくこんなとこまで来たんだし楽しまなきゃ損だ。

 俺は奈緒の隣のエリアに入る。コインを入れようとしていた奈緒の手が止まった。


「勝負しよっか」


「速度が違うが?」


 さっきと同様に奈緒は九〇キロ、俺は一〇〇キロだ。男女ということもあるし、ハンデといえばハンデだろうけど。奈緒はなんとなく、そういうの嫌いそうなんだが。


「負けたときの言い訳を残しておいてあげてるんだよ。あたしの親切心を無下にしたいなら待っててもいいけど?」


「負けるつもりなんて毛ほどもないから問題ない!」


 こうして俺と奈緒の勝負が始まった。

 お互いコインを入れて構える。


 ルールを示し合わせてはいないけど、このシチュエーションで勝負といえばどちらが多くの球をヒットさせることができるか、だろう。結果は自己申告制だがこんなところで不正を働くようなやつではないことは分かっているのでそこは気にしない。


「負けたら相手の言うことなんでも聞くってことで」


「それってどの範囲まで許されるやつ?」


 一球目が飛んでくる。

 俺はバットを構えて握る手にグッと力を込める。


「ま、あたしの純潔くらいなら捧げてあげてもいいかな」


「はっ!?」


 コツン、と。

 動揺した俺は振り遅れてしまう。

 しかし隣の奈緒は快調のカキーンと気持ちのいい当たりを見せた。


「お前」


「集中しないとまた振り遅れるよ」


 俺の言葉の続きを遮るように奈緒が言う。

 彼女の言うとおりなので今のところはとりあえず目の前のボールに集中することにしよう。


 しかし。


 結果は俺の負けだった。


 お互いに一度目のプレイである程度ボールの速さには慣れたからか、ホームランには及ばないもののヒット性の打球を出すことは難しくなかった。つまり、最初の振り遅れた当たりが敗因だ。


「これも作戦通りか?」


「んー? なんのことかね?」


 明後日の方を見ながらそんなことを言う奈緒を俺は睨むことしかできない。

 果たして俺はなにを命じられるのだろうか。


「それで? 約束は約束だし、実現可能なことなら聞いてやるぞ」


 俺が言うと、奈緒はぐぐっと体を伸ばしながらこちらを見る。小ぶりな胸が主張され、俺は視線を逸らした。


「必ず美園と仲直りすること。それがあたしが間宮に下す命令だよ」


「命令、なのか?」


 思っていたこととは全然違う言葉が飛んできたので驚いた。


「うん。あたしね、美園のこと結構好きなんだよ。これからもっと仲良くなれると思ってる」


「まあ」


 悪いやつだとは俺も思わないけど。


「だから間宮との間に壁があるせいで仲良くなれないのは悲しいわけよ」


「そうだな」


「だから、ちゃんと仲直りしてって言ってるの。約束だよ、これは」


「そうは言ってもなあ」


 ぐしぐしと頭を掻く。

 これに関しては俺というより絢瀬側に問題があるというか。改善するための機会を作ってくれるのかというところが重要なんだが。


「間宮は友達との約束を破るような男じゃないよね?」


「……」


 そう言った奈緒の顔を見ると一片の曇りもない笑顔をこちらに向けていた。

 そんな顔をされると軽口も叩けない。


「善処するよ」


「ん。それでいいよ」


 なんとなく、これ以上バッティングを続ける気分ではなくなった。

 奈緒も同じ気持ちだったのか、彼女は帰り支度を始める。俺もそれに続くと鉄平も荷物を纏め始めた。


「あ、そうだ。体動かしてどうだった? スカッとした?」


 思い出したように奈緒が言う。


「何の話?」


「うだうだ悩んでるときは体動かすとスカッとするでしょ?」


「ああー」


 体動かしたほうがいいよって、やっぱりそういうことだったのか。

 自分がなにかに悩んでいるとき、きっと彼女はこうして無理やりにでも体を動かすのだろう。いやなことを忘れようとして。そうすることで前を向くことができるのだろう。


 つまり、元気づけようとしてくれたわけだ。


「なにさ?」


 奈緒を見ながら、どうやら俺は笑ってしまっていたようだ。奈緒は怪訝な表情を向けてくる。


 素直にありがとうというのがなんだか照れくさくて、俺は笑ったまま口を開く。


「いや、やっぱ奈緒は体育会系の熱血少女なんだなと思って」


「褒め言葉として受け取っておくね」



 褒め言葉だよ。

 心の底からのな。

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